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フルブライト交流事業

世界的に認められているフルブライト交流事業はアメリカと相手国の人々の間に相互理解を促進するために設立された教育交流プログラムです。

J. ウイリアム・フルブライト元上院議員

J.ウイリアム・フルブライト上院議員

教育交流は、「国家を人々に変える」、すなわち国際関係を人間的にすることができます。それは他のどんなコミュニケーション手段もできないことです。私は教育交流が人々の間に必ず友好的な感情をもたらすものだとは思いませんし、またそれを目的とすべきだとは思いません。ただ、人間として共通の感情を喚起できること、言いかえれば、他の国々に自分達が恐れる教条があると理解するのではなく、自分達の国で育った人々と同じように喜びや悲しみ、残酷さや優しさを共感できる人々が住んでいる、ということが実感できれば充分だと考えます。

フルブライト交流事業について

J. ウィリアム・フルブライト上院議員は、広島と長崎に原爆が投下されてからわずか数週間後に、フルブライト事業の法案を米国議会に提出し、第二次世界大戦終了後間もない1946年に米国議会でアメリカと諸外国との相互理解を目的とした人物交流事業「フルブライト交流事業」が発足しました。以来、フルブライト交流事業は世界で最も広く知られ、権威のある人物交流事業に発展し、これまでに世界中で30万人以上の人々に、相手国での研究や教育を行なう機会を提供してきました。現在日本を含む世界約155ヶ国が同交流事業に参加しており、あらゆる職業分野のリーダーを育成するという大切な役割を果たしています。国際社会が様々な問題に直面している今日、フルブライト交流事業の意義はさらに重みを増しています。

日本におけるフルブライト交流事業

日本では1949年から1951年まで、ガリオア・プログラム(GARIOA/Government Aid and Relief In Occupied Areas) で約1,000名の日本人が米国へ留学しました。1951年8月に当時のアメリカ合衆国大使ウィリアム J. シーボルトと吉田茂外務大臣との間で日米相互の人物交流に関する覚書が交わされ、1952年からフルブライト交流事業が始まりました。日本におけるこの交流事業は開始以来、約30年にわたり米国政府からの資金で運営されていましたが、1979年12月24日にそれまでのフルブライト交流事業を継承する形で日米教育委員会が設置され、日本政府も運営費用を分担するようになりました。現在、基本的運営資金は両国政府で折半されていますが、これら政府資金に加え、日本人フルブライト同窓生により1986年に設立された公益財団法人日米教育交流振興財団(フルブライト記念財団)からの民間資金援助も受けており、合計で年間にそれぞれ約50〜60名の米国人と日本人の人物交流を実施しています。また、フルブライター(Fulbrighter)と呼ばれる同窓生は日本人が約6,300名、米国人が約2,500名でその中の多くは今日、教育、行政、法曹、ビジネス、マスコミ等さまざまな分野で活躍しています。