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フルブライト語学アシスタントプログラム(FLTA)

2012年度 参加者レポート

2012年度参加者
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江口 真規 ---U of Arkansas, Pine Bluff

中間レポート

FLTAとして渡米し早5ヶ月。毎日新しい人や新しい言葉、音楽、料理に出会い、見るもの、聞くもの、食べるものと、五感でアメリカを体験しています。思い出を書き留めるために持ち歩いているメモ帳は、あっという間にページが尽きてしまいます。ここでもたくさん伝えたいことがあるのですが、アメリカでの生活とTAとしての活動の一端を報告させて頂きたいと思います。

私が住むアーカンソー州パインブラフ市は、人口約50,000人の都市で、住民の多くがアフリカ系アメリカ人です。「バイブル・ベルト」と呼ばれるキリスト教信仰の強い南部地域に属し、教育や地域コミュニティの中心は教会にあります。自己紹介をすると、名前よりも先に「どこの教会?」と聞かれるくらいです。私も誘いを受けてバプティスト、メソジスト、長老派などの教会に行きましたが、聖書の解釈や礼拝の形式はそれぞれの教会で大きく異なり、とても同じ宗派とは思えません。賛美歌、ゴスペル、ロック、ヒップホップなど、教会で耳にする音楽も様々で、参拝者全員でダンスをする教会もありました。

アメリカの食べ物というと、マクドナルドやコカコーラなどファストフードのネガティブなイメージが強いかもしれません。しかしここアーカンソーでは、バラエティに富んだソウルフードが食卓に並びます。ナマズ、アリゲーター、コーンブレッド、ハッシュパピー(トウモロコシの揚物)などがその代表例です。特にナマズはミシシッピ・デルタ地帯の名産で、初めて聞いたときにはぎょっとしましたが、今では地元のレストランに行くと必ず注文するメニューの一つになりました。大学で養殖されているナマズの販売会にも足を運びました。この町の家々のキッチンとリビングにはサザンホスピタリティが溢れており、サンクスギビングのホームパーティでいただいたスイートポテトパイとレモネードは、涙が出るほどおいしかったです。

しかし、私がこの町に来て最も驚いたことは、治安の悪さです。夜はもちろん、昼間であっても一人で外を歩くことはできません。毎晩近所で銃声を耳にし、不安で眠れない時期が続きました。住んでいる家にはセキュリティシステムを含め5つの鍵があり、最初は家を出るのに一苦労でした。キャンパス内も決して安全であるとはいえず、レイプ事件が発生したこともあります。全米でも有数の犯罪率の高さを改善するためにも、教育が大変重要視されています。町の人々が私が大学に勤務していることを知ると、「われわれブラックのためには教育が一番大事なんだ」と激励してくれます。

ここで大学でのTAとしての活動について紹介したいと思います。私が担当しているコースは、日本語でも日本文化でもなく、インターナショナル・マーケティングのクラスです。アーカンソー大学パインブラフ校は、全米に105校あるHistorically Black College and University(HBCU)の一つで、現在でも学生の9割がアフリカ系アメリカ人です。国際教育が進む中でも、HBCUでは閉じられたコミュニティが形成されがちで、外国語学習や他国の文化に対する興味が少ないのが現状です。また、留学することに興味を持っていても、人種的・経済的な問題から困難を感じる学生が多いことがわかりました。そのような中で、大学では、学生に他文化に接する機会を提供し将来の活躍の場を広げてほしいという願いから、国際教育プログラムの発展に取り組んでいます。その一環として、FLTAによる授業が開講されることになりました。

秋学期には、週3回のインターナショナル・マーケティングのクラスのうち週1回と、課外活動週2回を担当し、主にビジネスでの場面を想定した初級日本語と日本文化を教えました。働きながら大学に通っている学生や、子どもを育てながら勉強を続ける学生、韓国とインド出身の教員がいて、私よりも年上の受講者が多かったです。学生の専門は決して日本語や日本文化ではありませんが、ビジネス目的だけではなく、日本を訪れることで新しい経験を積みたいと考えています。日本語学習を続け、さらに興味を広げてもらうべく、国際教育担当事務所とともに日本への短期滞在プログラムを企画中です。 TAとしての活動に加え、アメリカ文学とオーラルコミュニケーションの授業を聴講しました。演劇学部開講のオーラルコミュニケーションクラスは、スピーチの構成や話し方、グループでのコミュニケーションについて学ぶコースです。「不安」をテーマにしたスピーチ課題からは、家族が殺されたり、犯罪歴があったりと、学生の多くが問題を背負っていることを知りました。スピーチをすることでクラスメートと不安を共有し、どうすればそれをなくすことができるのかを話し合えたのは貴重な経験であるとともに、アメリカという国が抱える問題の大きさにも気づきました。また、期末試験では、レジ袋問題についてのスピーチをしました。アメリカでのごみの排出量とレジ袋の多さに驚き、アメリカの環境政策の問題点とサスティナビティティへの態度の改善について訴えました。ただ単にアメリカから何かを学び取るだけではなく、何が間違っているように思えるのか、どうすればよくなるのか、一外国人として提言したいと思ったからです。

これらの授業でのディスカッションやスピーチの練習を通して、英語の方言と標準英語にもついて学びました。学生や地元の人々は、南部アクセントとテキサス訛りが混じった英語を話します。最初は全く聞き取れず途方に暮れましたが、他の地方から来たアメリカ人も聞き取れないそうです。学生に教えてもらったヒップホップの歌詞を聞きながら、その独特のリズムとイントネーション、スラングになんとか馴染もうと努力しているところです。 普通の留学では経験できないような、このような貴重な機会を提供して頂いている日米教育委員会、IIEのスタッフの皆様に感謝致します。春学期のコースでは担当クラスと学生の数も増える予定で、よりアクティブに取り組んでいきたいです。

最終レポート

私がアメリカに滞在した期間はたったの10ヶ月でしたが、"eye-opening"な経験に満ちた刺激的な毎日を過ごすことができました。 春学期のTAの活動としては、先学期と同様、ビジネス経営学部の「インターナショナル・マーケティング」の授業と、日本語課外活動クラスを担当しました。

マーケティングの授業では、日本文化と日本語をそれぞれ週1回教えました。履修者25名の専攻は、マーケティング、経営学、農業ビジネス、犯罪学、教育学、と多岐に渡り、学習目的も様々でした。そのため、日本文化の授業では、学生が興味のあるトピックについて講義をしそれについてディスカッションをする、という形式をとりました。私は日本語教師でもなければ英語教師でもないため、語学教師としての経験と専門性には欠けています。しかし、比較文学を専攻する大学院生として、自分にしかできない授業をしたいと思い、主なトピックであった経済、自動車、食事、ファッション、ジェンダー、音楽について、文化的な側面から調査し説明できるよう心掛けました。

「インターナショナル・マーケティング」の授業は、アメリカ企業のグローバル化を促進するためのクラスと思っていました。しかし、指導教員と話し合ううちに、このクラスは他国の文化・言語がいかに異なるものであり、それを知ることがいかに難しいか、という異文化理解の基礎を学ぶ授業として設けられていることがわかりました。事実、学生の中には、映画やインターネットから伝わる情報によって、今日では各国の文化がアメリカとほぼ同じものと思っている人が少なくありませんでした。伝統と外国文化・現代文化が融合した日本の事例を通して、学生が「アメリカと日本はこんなに違うのか!」と気付いてくれたときはうれしかったです。

FLTAのもう一つの顔である学生としては、「アメリカ文学(南北戦争以後)」と「アーカンソーの歴史」という二つのクラスを聴講しました。文学の授業では、アフリカ系アメリカ人をはじめ、ネイティブ・アメリカン、ハイチや中国からの移民といった、多様な人種的・民族的背景をもつ現代アメリカ人作家の作品を読みました。歴史のクラスでは、スペイン人・フランス人による開拓から奴隷制、南北戦争、世界恐慌、公民権運動、クリントン州知事時代など、アーカンソーが抱えてきた政治的・経済的問題を学びました。このようなアメリカの歴史を学ぶことは、世界史上における人の移動の集約を見るようで、スケールの大きな学習となりました。

今学期特に重点を置いたことは、大学外における地域コミュニティでの活動です。地元出身の教員の一人とそのご家族が、私のホストファミリーとして接して下さり、学校行事、教会のイベント、スポーツ観戦などに一緒に参加しました。また、ホストファミリーの紹介を通して町の小学校を訪問し、日本に関するレクチャーを行いました。子どもたちの言語習得と折り紙の上達の速さには、驚かされるばかりです。他にも、テレビ・ラジオ番組への出演や、ロータリー財団支部での講演を通して、町で働く人々と知り合う機会を持ちました。

中間報告でも述べた通り、私が住んでいたパインブラフ市は決して安全な町ではなく、怖い思いをしたこともありました。しかし、この町に住み始めたとき、銃声を聞いて脅える私に言ってくれたルームメイトの言葉が、今でも心に強く残っています。それは、「この町の善し悪しを判断するのはあなたの経験次第。治安の悪さだけでわかるものではない」ということです。犯罪の統計からはみてとれませんが、町の人々は概してとても親切かつフレンドリーなのです。大学でもスーパーでも、人とすれ違うときは「Hi!」と声をかけ合います。バスの運転手や乗客とも顔なじみになり、路線を変更して家まで直接送ってもらったこともありました。今では、アメリカで他でもないこの町に住み、アメリカの様々な側面を見ることができよい経験になったと思っています。信仰深い町の人々は、「神があなたをここに連れてきてくれたんだ」と言いますが、私をこの町のFLTAとして選んで頂いた大学とフルブライト事務局の皆様、そして見守ってくれたたくさんの人々に感謝しています。

この他にも、長期休暇や週末を利用し、アメリカの42州を旅行しました。どこを訪れても、とても同じ国とは思えないような、多様な自然、気候、人々のライフスタイルに出会いました。旅行をしていて気付いたことは、国内を旅行するアメリカ人は決して多くはなく、このような多様性を知らない人がたくさんいる、ということです。南部の人には旅行のための経済的余裕がなく、また、北部の人は南部を訪れることが少ないという話を聞きました。私は学生に、外国の文化を学ぶとともに、アメリカ国内にどのような問題があるのかを知るために、まずは色々な場所に行ってみるようアドバイスしました。特に、私がアーカンソーで目の当たりにした人種差別や貧困の問題については、アメリカ国内での理解を高め、問題の解決に取り組む必要があると感じました。

しかし、このことを自分に当てはめて考えると、日本がもつ多様性や複雑さ、現代の問題を十分に理解しているとはいえません。アメリカでも、「日本ではどうなっているのか」「日本人としてどう思うか」としばしば尋ねられましたが、伝えたいことを伝える語彙力がないという言語の問題以上に、日本そのもののことを知らなさ過ぎる、ということを痛感しました。学生時代に日本全国を旅行し、もっと日本のことを知りたいと思ったことがきっかけで、私は大学院に進学し研究者を志すようになりました。勉強すればするほど、そして世界に出れば出るほど、自分がいかに知らないか、ということに気付かされます。

この10ヶ月間、長年の夢であった留学を通して、自分のやるべきこと、やりたいことにたっぷりと時間を割くことができました。このような時間と場所を提供し、経済的支援をして頂いたフルブライトプログラムに感謝の意を表すとともに、今後さらに研究を積み、学んだことを広く伝えていきたいと思います。

 

花城 枝里 ---Spelman College

中間レポート

私はジョージア州アトランタの中心部にあるスペルマン大学に派遣されています。スペルマンはHBCU(Historically Black Colleges and Universities)と呼ばれる学校の一つで、生徒数が2,000人程の黒人女子大学です。スペルマンの側には、同じくHBCUのモアハウス大学とクラークアトランタ大学があり、学生は3つの大学間でクラスを履修することが出来るシステムになっています。日本語のクラスはスペルマンにしかないので、私が担当しているクラスには、モアハウスやクラークの学生が特に多いです。

 学校は秋学期と春学期の2学期制で、秋学期はレベルの異なる5クラスを、もう一人の先生(スーパーバイザー)と一緒に担当しました。初級と中級クラスは、週に3回の50分授業で、上級クラスは週に1回の60分授業でした。チームティーティングの形をとっていたので、毎回スーパーバイザーと一緒に教室に入りましたが、初級クラスでは私がメインティーチャーを務め、中級と上級クラスでは、スーパーバイザーのアシスタントとしてサポートにまわりました。今振り返ると、秋学期の始めは授業の度に緊張していたので、用意してきた内容を生徒に説明するのが精一杯で、あまりクラスの雰囲気をつかめていなかったように思います。私の緊張感が伝わっていたのか、最初は生徒たちも比較的静かだったのですが、お互いに慣れてくると、率直な質問や提案が飛んできたり、私の間違った英語が指摘されたりと、クラスが大分にぎやかになりました。気が付くと、私自身も自然に生徒たちとのやりとりを楽しめるようになっていました。基本的にどのクラスも教科書に沿って授業を進めており、初級と中級クラスでは、まだ日本語よりも英語を話している割合のほうが多いですが、上級クラスではビジネス会話を中心に練習し、自由に日本語を話す時間を多めに設けています。授業中によくスーパーバイザーから、生徒が知っている語彙の範囲で、スピーチの見本をアドリブで頼まれるのですが、これが意外に難しいです。メインティーチャーは授業の用意が大変ですが、アシスタントには、他の先生の要求を汲み取って動く臨機応変さも求められるので、それなりの難しさがあると思います。学生たちの日本語を学ぶ理由は様々で、男子生徒の大半は日本の漫画やアニメに、女子生徒はファッションや音楽、TVドラマなどに興味を持っています。他には、親や祖父母が日本人で、日本語をHeritage Language として学んでいる学生や、日本への留学を予定している学生、卒業後に日本で英語教師として働くことを考えている学生などがいます。理由は何であれ、それぞれの興味への追求に、少しでも協力できていると思うと嬉しさを感じます。しかし、大学では現在、日本語よりも中国語プログラムのほうが重視される傾向があり、日本語への人気も以前に比べ減少していると言われています。そのような状況の中で、日本語や日本の文化に興味を持ってきてくれた学生に対し、なるべく意義のある授業をしなければと責任も同時に感じます。

 クラス外の活動としては、週に1度、ジャパンクラブのミーティングに参加しています。ミーティングでは、たいてい数人のメンバーが、あるトピック(例えば、アニメソングやホラー映画、料理など)に沿ってプレゼンテーションをした後、みんなで日本のお菓子を広げ、選んだ映画やアニメを見たり、音楽を聴いたりしています。お菓子の中では特にポッキーが人気です。私は最初、顧問的な立場でミーティングに参加するつもりでいたのですが、メンバーの知識の豊富さに驚かされることが多く、今では生徒としてクラスに参加するような気持ちで、メンバーのプレゼンテーションを聞いています。もう一つ私が驚いたことは、ジャパンクラブの役員を決める選挙が行われた際、選出に時間がかかるほど多くのメンバーが手を挙げていたことです。アメリカの大学では、奨学金や大学院などに応募する際、学業における成績(GPA)と同様に、学業外の実績が重視されるそうで、学生は様々な活動を通じて実績を残そうと一生懸命です。スペルマン大学でインターナショナルウィークが開催された際も、ジャパンクラブのメンバーと一緒に、ソーラン節のパフォーマンスや着物ワークショップ、お茶とおりがみのワークショップも企画し、無事成功させることができました。準備は大変でしたが、数人の女子生徒たちが事前に浴衣の着付けを練習し、当日は他の人に綺麗に着せてあげていたり、意外にも男子生徒たちがお茶やおりがみに夢中になっていたりと、予想以上の成果がありました。

 学生として履修したクラスについても書きたいと思います。秋学期は、教育心理学とジャズの歴史をとりました。どちらも週に2回の75分授業でした。他の学生と同様に単位を取得する、クレジットの学生として登録したので、毎週課題やテストの準備を終えるのに必死でした。特に教育心理学のクラスでは、教科書の内容に関連したアクティビティを考えたり、パワーポイントを作ったりするグループでの課題が毎回与えられました。教科書を読み終え、提出案を考えるだけでも精一杯でしたが、他のメンバーのワークスタイルに合わせながら課題を仕上げていくのがさらに大変でした。授業では、教育心理学における基本的な理論を学んだあと、アフリカンアメリカンの視点からデータを取り上げたり、ディスカッションをしたりと、HBCUならではのスタイルがあり、私にはとても新鮮で興味深い内容でした。また、ディスカッションのみならず、普段の授業中においても生徒たちが積極的に発言する雰囲気があり、教授がそれぞれの発言に対し、「FactなのかOpinionなのかハッキリさせなさい。」とよく言っていたのも印象的でした。一方で、ジャズの歴史のクラスは私にとって癒しの時間でした。授業では様々な時期のジャズをたくさん聴いたり、先生自身が目の前でサックスを演奏してくれたりと、履修した学生はみんなジャズが好きになると言われる評判のクラスでした。また、学内で行われたジャズクラブのコンサートに行ったときは、女子生徒たちの歌唱力の高さに感動しました。ジャズのみならず、コーラスのコンサートやアフリカンアメリカンダンスのショーもみんな素晴らしかったです。

 もうすぐ春学期が始まります。すでにここに書き切れない程たくさんの経験をさせていただいたのに、これからまた新しい経験が待っていると思うととても楽しみです。このような貴重な機会を私に与えてくださった方々への感謝とともに、残りの期間を大切に過ごしていきたいと思います。

最終レポート

帰国してから約1ヶ月が経ちました。FLTAプログラムで経験したことを、家族や友達に話し続けているのですが、話す度に全て伝えきれていないような感じが残ります。それほど、アメリカで過ごした10ヶ月間が様々な経験で充実していたのだと思います。早速、中間レポートで書ききれなかった事も含め、後半の春学期についてまとめたいと思います。

まず、日本語のクラスについてです。春学期は前期からスケジュールが変わり、私がメインティーチャーを務めるクラスが2つに増えたので、授業プランや成績に関して、スーパーバイザーに相談しつつも、自分で判断することが多くなりました。前期と比べると、私自身がクラスの中で話すことに慣れてきていたことと、既に知っている生徒も多かったので、授業がスムーズに進むようになったなという実感がありました。しかし、少し複雑な文法などを扱う段階に入ると、何人かの生徒からなかなかスッキリした表情が得られないこともあり、生徒のモチベーションを維持させる難しさも感じました。クラスを自分で担当するようになってから、アシスタントとして参加するスーパーバイザーのクラスから学ぶこともより増えたように思いました。3月にはジョージア日米協会主催の日本語スピーチコンテストがあり、日本語のクラスから3人の生徒が参加しました。年明けに練習を始めたときは、生徒たちもおとなしく、私が主導で練習を進めるしかありませんでした。しかし、コンテストが近づいてくると生徒からこういうジェスチャーを入れてみたい、当日は内容に合わせて着物を着たいなどと提案が出てくるようになりました。スピーチが改善されていくとともに、彼女たちが自身の日本語スキルに自信をつけていく様子を横で見ることができ、嬉しかったです。当日は、緊張の中で全員納得のいくスピーチをし、2人の生徒がそれぞれの部門で賞をもらいました。応援に来ていた生徒たちも他の参加者から刺激を受けたようで、来年は自分もスピーチをしてみたいと言っていました。これからも大学でコンテストへの取り組みをぜひ続けてほしいと強く思います。

次に、学生として受講したクラスについて書きます。春学期は、American Sign Language(ASL)とFood and Cultureを受講しました。どちらのクラスも課題がとても多かったのですが、どれも仕上げた後に満足感が残るようなやり甲斐のあるものだったので、前期に比べより楽しく取り組めたと思います。ASLでは、手話を覚えるだけではなく、Deaf Cultureを体験して学ぶことがクラスの目的でした。そのため、公共の場所で難聴者としてサービスを受けてスタッフの対応を記録したり、日常の出来事を手話でビデオに記録したりするアクティビティがありました。また、教育学専攻の学生たちをクラスに招き、ペアを組んで学校で必要とされる基本的な手話を教えあう時間も設けられ、とても実践的な授業だと感じました。ASLの受講によって、日本におけるDeaf education やDeaf cultureにも興味を持つようになりました。

Food and Cultureは、「食」について学際的に学ぶことを目的としたクラスでした。生産、料理、歴史、消費、商業、文化など様々な観点から記事を読んだり、映画を見たりして、クラスで毎回ディスカッションを行いました。「食」に関する経験は万人に存在するということで、本やインターネットから得た情報を、情報のままではなく自分自身の記憶や経験と結び付けてクラスでシェアするように先生から言われました。アメリカ生活の中で、食材や食文化について以前より関心を持つようになっていた私にとって、ソールフード、ファストフード、食品処理産業などといったトピックはとても興味深かったです。ディスカッションでは、伝えたいことを上手く伝えられない自分の英語力に歯がゆさを感じながらも、クラスメイトのざっくばらんな話をいつも楽しみに参加していました。アフリカンアメリカンのソールフードの歴史を学んだ後に与えられた、自分自身のFood History を書く課題は、個人的にも意義のあるものとなりました。聞き取りや資料などから、自分の家族や祖先が食べてきたものをなるべく遡り、現在の自分自身の食生活とどのように繋がっているのかを調べなければならなかったので、スカイプを使って両親や祖母から聞いた話も参考にしながらまとめていきました。認知症を患わっている祖母から、今まで聞いたことのない詳細な過去の記憶が出てきたときは、私の家族皆が驚き、このような機会を与えてくれた課題に感謝の気持ちを抱きました。せっかくなので、最後まで丁寧にまとめたいという思い(Excuse?)から私が2週間も遅れて提出したこの沖縄の食文化についてのエッセイを、先生がとても気に入って下さり、授業の中で特別に沖縄の地図と一緒に紹介してくださいました。初めて自分の文化をちゃんと伝えることができたような気がして、すごく嬉しかったです。

学校外の生活についても書きたいと思います。同じ大学に派遣されたChinese FLTAが1人と、留学生が数人いたので、週末は一緒にアトランタの街を探索したり、買い物に行ったりしました。FLTAとしての10ヶ月間は他の州を旅行する機会も多くありました。まず、12月にワシントンDCで開催されたFLTAのMid-Year Conference では、夏のオリエンテーションで出会ったFLTAたちとの再会を喜びました。Conference の後には、フィラデルフィア、ニューヨーク、ボストンなど東海岸を2週間ほど一緒に旅行しました。また、秋休みにはChinese FLTAと一緒に、長距離バスでフロリダに行ったり、アジア研究の会議ではサンフランシスコへ、春休みは他のFLTAたちを訪ねにテキサスやアリゾナに行ったりしました。アメリカの大学や短期の休みもけっこうあるので、フルに活用して色々な場所を見ることできました。さらには、10年前に留学生としてお世話になったホストファミリーや友達とも、オハイオで再会することができ、素敵な10ヶ月間の締めくくりとなりました。 このプログラムでの人々との出会い(FLTA仲間、スーパーバイザー、生徒たち、スペルマンの留学生たちや職員…etc.)は、私の一生の宝物です。彼らと近い将来再会できる日を心から楽しみにしています。 私にこのような貴重な機会を与えて下さり、出発の前からお世話になりました日米教育委員会の方々、IIEの方々にお礼を申し上げたいと思います。本当にありがとうございました。

八田 あいり ---University of Wisconsin-Stevens Point

中間レポート

私はウィスコンシン州のスティーブンズポイントという町にあるUniversity of Wisconsin-Stevens Pointに派遣されています。ミルウォーキーから車で3時間ほどのところに位置するとても小さな長閑な町です。大学の近くにはウィスコンシン川が流れ、こちらに到着した秋の始めにはカヌーを楽しみました。私の住む寮の裏にはシュミークリーリザーブという動植物の保護区が広がり、鹿を見かけることもあります。このレポートを書いているのは1月初旬ですが、部屋の窓からは雪で一面真っ白になったグラウンドが太陽の光でキラキラとしているのが見えます。外はマイナス7℃という寒さで、2月には更に気温が下がるとのことで、まだまだ新たな経験ができると楽しみにしているところです。

 大学では日本語の授業のアシスタントという立場ですが、おそらく他の日本人のFLTAとは状況が違うと思います。私のいるStevens Pointの校舎には、日本語の授業のインストラクターはいません。日本語の授業はUniversity of Wisconsin-Oshkoshからテレビ中継を通して行われ、インストラクターはOshkoshの校舎にいます。テレビ中継を介して、Oshkosh校とStevens Point校合同で授業が行われるという特殊な形態です。クラスはレベル別に3クラス(週4~5日)ありStevens Point校だけで日本語を学ぶ学生は合わせて25名程度います。私の役割はテレビ回線の接続に始まり、授業中の指導補佐、提出物の回収・返却、授業外での会話指導など、また授業が円滑に行われるようにインストラクターとの日々の連絡は欠かせません。テレビ回線がうまく繋がらないという最も焦るトラブルにも何度か見舞われましたが、学部のスタッフの方々にいつも助けてもらい、どうにか無事に秋学期を終えることができました。

私が来たばかりの頃は日本語で挨拶をするのが精いっぱいだった学生が学期末には日々の出来事を日本語で話せるまでに成長している姿にとても嬉しくなりますし、アシスタントという立場ではありますが教える喜びとやりがいを改めて感じさせてもらっています。学期に数回ある口頭試験の際には、事前に時間を設けると多くの学生が練習に来ます。熱心に学ぶ学生の役に少しでも立てればと思い、日々過ごしています。

学生としては秋学期にアメリカ史とアメリカ文学を受講しました。アメリカに関するものを学ぶというプログラムの要件もありますが、日本語との授業時間の兼ね合いで秋学期はスーパーバイザーが指定した上記二つの授業の受講になりました。どちらも毎週、読まなければならない本が多く、最初の一カ月は毎日寝不足でした。ルームメイトにアドバイスを求めたり、スーパーバイザーや学部のスタッフに素直に弱音を吐いたり、学内のチュータリングセンターに助けを求めたりと様々な手段を使って、睡眠を取る時間も維持できるようになりましたし、素直に助けを求めたことで色々な人との関係も築けたと思います。春学期こそは教育に関するものを受講したいと思いましたが、日本語の授業との時間の関係で難しく、宗教や歴史を学ぶ予定でいます。

日々の生活についてですが、学内の21歳以上向けの寮で暮らしています。ルームメイトは3人おり、それぞれにシングルルームがあります。リビング、キッチン、バスルームは4人で共同です。最初に一緒に暮らす上でのルールを4人で話し合ったこともあり、問題なく楽しく暮らしています。学内にカフェテリアもありますが、私は料理が好きなのでほぼ毎日部屋で自炊をしています。時にはルームメイトやそれぞれの友人を交えて日本食パーティーを開いています。とても小さな町のため電車もなくバスは1時間1本で且つ限られた時間内での運行で、特に寒い冬は買い物に行くだけでも友人や知人に車を出してもらう必要がありますが、そういう状況を誰もが理解しているので快く引き受けてくれます。また、大学が独自に留学生向けに行っているフレンドシップファミリーという制度に登録して、私のこちらでの暮らしをサポートしてくれるファミリーを紹介してもらいました。週末に訪ねて一緒に食事をしたり、町のイベントに参加したり、ハロウィン、サンクスギビングなどを共に過ごしたり、料理やカヌーをしたりと様々な貴重な経験をさせてもらっています。また、インフルエンザの注射は打った方がいいのか、風邪薬はどれが効くのかなど、日常的に困ったことを相談できるのでとても助かっています。

FLTAとしてアメリカに来るまで私は海外留学の経験がありませんでした。学生時代から英語が大好きで、英語を教えるという立場に就いてはいたものの、留学経験がないということは私にとって自信の無さのひとつでした。特に帰国子女や外国籍の生徒の前に立つことも多く「私の話している英語は正しいのか?」という疑問を抱くようになっていました。それはTOEICなどの英語の試験でスコアを上げても、あまり自信には繋がりませんでした。海外で暮らし学ぶということが私の中でどのような変化をもたらすのか、更にその経験が後々にどのような影響を私にもたらしていくのかにとても興味があったというのがFLTAのプログラムに応募したきっかけでした。

FLTAのプログラムを通して日本語や日本文化を伝えることはもちろんですが、支えてくださっている多くの人たちへの感謝を忘れず、更に興味と関心を広げて様々なことを吸収していきたいと思います。

最後に、世界の様々な地域出身の400人を超えるFLTAが先月ワシントンDCに集結しました。夏のオリエンテーションで出会ったFLTAとの再会だけでなく、新たに多くのFLTAとの出会いから沢山の刺激を受けました。これはこのプログラムならではの醍醐味だと思います。

最終レポート

帰国の前日まで川でカヌーをして、湖で釣りをして、例年以上に長かった冬のせいもあって、やっと訪れた夏を友人と満喫しました。スティーブンズポイントでの日々は、本当に「あっという間」という言葉通りの10か月でした。東京出身の私には、あまりにのんびりとした田舎町で戸惑うこともありましたが、たくさんの素敵な人たちと出会えたことは私にとってかけがえのない経験となりました。

 その中でも滞在中、多くの時間を共有したのが日本語のクラスの学生たちです。ほぼ毎日、日本語のクラスで会う学生たちは私にとって素晴らしい生徒であり、私にアメリカ文化を教えてくれる先生でもありました。私のいたウィスコンシン州立大学スティーブンズポイント校ではオシュコシュ校からのテレビ中継で日本語の授業が行われる為、私はオシュコシュ校の学生同様にスティーブンズポイント校の学生が積極的に授業に参加できるように努めました。スムーズに学生が授業に入れるように授業前に前回のクラスの復習を行ったり、授業外では書道やおりがみの時間を設けて日本文化への関心を持ってもらうように工夫したりしました。私が最初に出会った頃はまったく日本語が話せなかった学生が、今夏に日本への短期留学を決めたり、今秋から長期留学をしたりするまでに成長してくれたことは私にとって大きな喜びであると共に誇りでもあります。オシュコシュ校の先生方の熱心なご指導のおかげです。とても有難いことに、すべての授業が終わった日に、学年をまたいで日本語のクラスの学生たちがサプライズで私のフェアウェルパーティーを開いてくれました。「こっそり1ヵ月も前からみんなで計画していたんだよ!」とニコニコと話す学生の表情を見て、本当に良い学生たちに恵まれたという感謝の気持ちでいっぱいになりました。

また、私の生活を力強く支えてくれたのが、大学独自のプログラムで出会ったフレンドシップファミリーのホストファミリーです。週末には自宅に招いてくれたり、一緒にスキーやカヌーを楽しんだり、誕生日にはケーキを焼いてくれたり、私に様々な体験をさせてくれました。私もまたホストファミリーの自宅で日本食を作ったり、大学でのインターナショナルディナーに招待して私も参加した日本人学生の踊りのステージを観に来てもらったり、本当に楽しい時間を共有することができました。ホストファミリーのおかげで学生だけでなくスティーブンズポイントの町の人たちとも出会う機会が増えましたし、アウトドアが好きなファミリーだったのでウィスコンシンの大自然の楽しみ方も学ぶことができました。ホストマザーとホストファザーは、仕事に追われている人が多い都会の暮らしとは違う、日々を充実させる新たな方法を私に示してくれたように思います。これからも私にとって大切な人たちであることに変わりはないと信じています。

学生としては、春学期は宗教学(キリスト教、ユダヤ教、イスラム教)と日本史を受講しました。秋学期同様、日本語の授業との時間の折り合いがつかず、希望していた教育に関する授業は受講できませんでしたが、とりわけディスカッション中心の日本史の授業はとても有意義なものでした。アメリカの視点から母国の歴史を学ぶという貴重な経験を通して、日本にいた時には気づかなかったことにも気づけましたし、改めて日本という国を見つめなおすきっかけを与えてもらいました。また、アメリカの学生が抱く日本に対する考えやイメージを直接聞くことができたことも良い刺激となりました。 先に述べたことは、私がアメリカで経験したほんの一部に過ぎません。たった10カ月しかいなかった私のために、スティーブンズポイントを離れる前に多くの人たちがお別れ会を開いてくれました。10か月の間にスティーブンズポイントで出会った人たちは本当にフレンドリーで素敵な方たちばかりでした。日本語のクラスの学生、ホストファミリー、ルームメート、大学の先生方、その家族、ウィスコンシン州立大学オシュコシュ校の花井先生と江森先生、外国語科のスタッフ、クラスメート、留学生の友人たち、留学生担当のスタッフ、カウンセリングルームのスタッフ、ラーニングセンターのスタッフ、学外で出会った本当に多くの友人たち、気軽に声をかけてくれた町の人たちに、私のスティーブンズポイントでの暮らしを豊かなものにしてくれたことに対して心から感謝しています。また、アメリカでの滞在を支えてくれたIIEの方々、世界中から集まったFLTAの仲間、日本から見守ってくれた日米教育委員会の皆様、日本から応援し続けてくれた友人や知人たち、そして、支えてくれた家族にも感謝の気持ちでいっぱいです。 この貴重な経験を生かして、これからの人生を歩んでいきたいと思います。また、これからのFLTAもそれぞれに豊かな経験を積まれることを願っています。本当にありがとうございました。

 

桂島 雄 ---Elms Coll

中間レポート

私は現在、マサチューセッツ州チコピー市というところにあるエルムズ大学(Elms College, Chicopee, MA)で日本語を教えています。エルムズ大は正式名称をCollege of Our Lady of the Elmsと言い、1897年にカトリックの女子教育機関として創設された教養学系大学で、1998年からは男子学生にも入学の機会を与えています。高知県立大学(University of Kochi前・高知女子大学)と姉妹校提携を結んでおり、毎年1名の長期交換留学生と10名程の短期研修の学生達がやって来ます。

 活発な姉妹校関係のお陰で、日本関連資料は豊富です。長年の同大学との絆のもとに寄贈された図書や雛人形などの所蔵は、エルムズ大学を地域でも最も特色のある教育機関の一つとして位置づけるものとなっております。また、毎年5月に行われるElms in Japanプログラムという高知県立大での日本語短期研修も、学生が日本語を学ぶ際の最大の魅力となっています。

 フルタイムの学生は約800名、パートタイム学生が250名、また院生250名と、大学としては小規模ながら教員1名に対し学生が15名というきめ細やかな教育体制を整えているために年々学生数を着実に伸ばしている感があります。最も人気の専攻は順に、看護学、ソーシャルワーク、ビジネスと、実生活に根ざした学問を追求する学生で賑わっています。とりわけ前述の高知県立大では、日本で初めて災害看護学会を発足させた南裕子(みなみひろこ)先生が学長を務めていらっしゃる事実とあわせてみても、エルムズ大学と高知県立大学がいかに最良の友好関係にあるかということが伺い知れると思います。

 秋学期における私の主な職務は、キャンパス内の学生寮に住みながらアメリカ研究の授業への出席、インターナショナルクラブの運営、さまざまな大学イベントや、宗教学や社会学などの教授の授業に赴いての日本文化関連のプレゼン等でした。秋学期は正式に日本語を学ぶ学生が1名しかいなかった為、規定の職務を超えて日本語テーブル(自由参加型日本語教室)や日本食を作りながら学生と交流するイベントなどを開催しました。また、それでも持て余す時間を、日本人留学生のための論文添削や日本での就職や就学を考えている学生支援などに有効活用するなど、エルムズ大の秋学期は、様々な人生背景や人生哲学を持つ学生達と向き合えば向き合うほど、自分で仕事を見出すには事欠かない環境でした。

 さらにエルムズ大インターナショナルプログラムオフィスの長であるJoyce Hampton, Ed.D.教授がスーパーバイザーとして学習相談からキャンパス生活の問題まできめ細やかに対応して下さったお陰で、秋学期を心身共健康に修了することができました。出会った人々から期待感を感じ取り、自分の信じる任務へと自身をコミットすればするほど応援し、エルムズコミュニティの一員として認めて下さるHampton教授の対応にいつも心から励まされています。時折卒業生からも相談の電話が掛かって来るほど熱心に学生を見ていらっしゃる教授の姿は、見習うべき鏡となっております。

 また、1学期間を無事修了することができたのは、同僚のFLTAとしてアイルランドから派遣されて来たCiara Cosgrove先生の親身なアドバイスや気遣いがあったからだと信じています。TAとしての共通の立場から、お互いの授業やプレゼンに出席し学び合うだけでなく、生活上の悩みや困難等をも共感し合える相談相手になってくれました。

 エルムズ大では、ダイニングホールが社交の場です。半分学生、半分教員という私の柔軟性のある立場から、学生から大学教員・スタッフとも知り合いになる機会が多分にあり、年代の垣根を越えた人間関係を構築することが可能です。一息入れようと一人で食事をしようものなら、すぐに知り合いでテーブルが満席になります。エルムズ大の最大の魅力はこのコミュニティの力です。

 TAの私は、学生の顔、教員の顔のふたつを持ち、場面によって使い分けながら、さらには学生や大学教員が気軽にアクセスできる日本人としての役割があるのだと感じています。職務立場上の柔軟性を持ちながら、いわば多重人格のような私を、従来の行動規範に押し込めることなく振る舞わせてくれるアメリカ人学生や教授陣、ひいてはアメリカ英語の使用環境に大変感謝しています。

 蛇足ながら、日本語文化圏から完全に離れたエルムズ大での秋学期は、年功序列や敬語などに追従する所作等日本語文化圏における行動規範が私自身の自己実現のネックになっていたことを改めて感じさせてくれる良い機会となりました。日本文化を伝える者として相反する考えに思われますが、同時にアメリカの人々や文化に直に触れることで、ユニバーサルな人間性、国籍や身に纏った文化に左右されない礼節や心遣いの原点を再認識することも出来ました。

 春学期には、いよいよ日本語と文化の授業が始まります。文化の違いこそあれ、マナーや心遣いの原点はどの文化圏も相手への思いやり、信頼関係を基本にしていることを念頭において学生達と時間を共有していきたいと思います。  

最終レポート

2012年度FLTAプログラム後半の春学期も、無事に修了の報告ができますことをたいへん嬉しく思います。これもひとえに、ご支援いただきましたJUSECの皆様と、2010年度FLTAの田中志緒先生のご尽力の賜物と思っております。そして、今年度エルムズ大学をご卒業なされた日本人留学生の渡邊あずささんをはじめとする良き友人たちや教授陣のお陰です。

 また、エルムズ大日本語科の大きな進歩は、姉妹校である高知県立大学からご引率でいらした長澤紀美子先生の温かいお励ましの言葉と同大学教職員の方々の並々ならぬご助力を賜り、支えて頂いたからです。そして長澤先生ご引率のもと来訪してくれた熱意とユーモアあふれる県立大生のみなさんにも、新しい風となってエネルギーを運んでくれました。特に、長期交換留学生としていらしていた光井綾さんには、忙しい授業スケジュールの合間を縫いながら日本語科や日本関連イベントにも出席してもらい、学習補助や日本語話者の自然体モデルとして大きな力を貸して頂きました。この場を借りまして、高知県立大学とエルムズ大学の益々のご清栄をお祈りするとともに、FLTAプログラム期間中にお世話になりましたすべての皆様に感謝の意を表したいと思います。

余談にはなりますが、首都圏代表の渡邊あずささんや四国ブロック代表の光井綾さん、そして東北在住の私を軸に今後とも学生たちを見守りながら支援や交流を続けることの出来る日本エルムズ同窓会を、エルムズにゆかりのある方々とで発足できればと思っております。

さて、春学期の担当教科は、3教科でした。Novice Japanese 101(初級日本語1・Japanese For Busy People I ローマ字版教科書使用)と日本短期留学者向け日本文化のセミナー(コース名Introduction to Japanese People and Culture)、また今学期も学生が1名、インデペンデントスタディーを申請・受講してくれたので、初級日本語クラスでの知見を発展させつつ学生の興味に焦点を当てた「言語と文化理解を織り交ぜた学習方式」(コース名Intersection of Japanese Language & Culture)を学生主体で取り組みました。

初級日本語は、受講者が14名で、そのうちの1名が聴講生でした。特筆すべきは、うち2名が近隣のコミュニティ大学各2校からの受講生だったことです。彼らのカレッジには日本語が開講されていないこと、また広域スプリングフィールドにある大学同士の単位交換制度を採用していることなどの理由で、大学全体としてエルムズ内外の学生が活発に学んでいるのでした。(エルムズ大が位置するチコピー市も、バスケットボールの発祥地であるスプリングフィールドの広域範囲内に入るのです。)嬉しいことに、日本語に興味を持ってくれた大学の友人たちや初級日本語開講の噂を聞いて駆けつけた別な学校の学生などが、私の許可を得た上で自由に聴講しに来るという現象もあり、毎回賑やかで有意義なクラスを教えることができました。特にエルムズ大では隔年、「エルムズinジャパンプログラム」という日本への短期留学制度があるので、これに参加する学生は初級日本語の受講が必須です。この条件も手伝って、日本語クラスには熱心な学生が多く集まったのでした。

日本文化のクラスは、初級日本語同様、短期留学参加者は必須科目です。この授業は、私のスーパーバイザーでありインターナショナルプログラムオフィス(IPO)のディレクター、また学務担当学部長をも兼務するJoyce Hampton教授が担当して下さったので、私は質疑応答やディスカッション、学生プレゼンなどの場面において助言者的役割を担いました。このクラスはセミナー形式で、全学生から合意の取れた日曜日の午後6時から8時半、全6回というスケジュールで開講されました。日本への留学が近づくにつれ学生の期待と不安も徐々に大きくなり、詳しい話し合いなどが必要となることがありました。そのような場合は、初級日本語の授業の後などに、追加的に説明会などを開いたりもしました。

どのクラスも学生が主体的に学習を続けてくれ、みな初学者ながら1学期のうちに文化や言葉を吸収し、素晴らしい成長をみせてくれました。個人的な都合などをわざわざ調整し、学内の国際関係のイベントなどによく出席してくれた学生たちは、エルムズ大の日本語クラスの存在感と認知度を一層引き上げてくれたと思っています。

また、2年前の前任者である田中志緒先生を温かく懐かしむ教授たちや学生たちに出会うたび、志緒先生がエルムズ大コミュニティの中に残して下さった日本語クラスへのフレッシュな印象と期待を感じ、日本語を受け持つことの重要性を再認識させてもらうことができました。将来エルムズ大に派遣されるFLTAの皆さんには、志緒先生の頃から積み上げられ現在に至るエルムズ大日本語科の伝統を、学生との交流の中から肌で感じ取り、受け継いでいって頂けたらと思っております。

殊に、エルムズ大では2年に一度の開講であった日本語科を、今後は毎年開講にしようと尽力しているところです。近隣のコミュニティカレッジとの連携により年々学生数が増えつつあるエルムズは、日本語科の需要がますます大きなものとなっています。将来派遣される方々には、エルムズが日本語教授者にとって素晴らしい教育現場であり、期待以上に応えてくれる学生がいる学びの場、ご自身の修練の場となるということを、自信を持ってお伝えしておきたいと思います。

そんな日本語科をさらに後押ししてくれるかのように、姉妹校の高知県立大学では毎年2月から3月にかけて10名の学生を短期留学生として派遣してくれます。ご想像の通り、エルムズはこの間、日本一色となります。県立大からの交換留学生にとっては、異国の地での不慣れな学生生活にあって、同郷の学生達と先生が突然、夢のように現れるのです。仲間の来校を待ちわびることで、どれだけ励まされ、心強くいられることでしょう。この間、長期留学生は留学の先輩として短期留学生たちへの指南役を務めます。相互に成長できるとても良いシステムだと思います。私も、ご引率でいらした長澤紀美子先生に温かい励ましの言葉を何度も頂き、たいへん嬉しく有り難かったです。今年度は、光井綾さんが高知県立大代表として滞在され、長期留学を無事修了されました。光井さんが、今後とも両大学の架け橋として留学成果と知識を若い世代へと語り継ぎ、幅広くご活躍することと期待しています。

両大学の交流の中で、日本語の学生は、日本に学びたいという気持ちをより一層強くし、さらに日本の学生さんたちとじかに知り合ったことで「将来わたしも日本語を学びたい!」と思ってくれる新たな学生も数多く発掘することができました。FLTAプログラムの日本語とエルムズ大学、そして高知県立大学の三つ巴構成が相乗効果となって、想像を超える魅力的な学びの場を提供し続けているのだと思います。日本語科を通して日米の学生たちが成長してゆくさまを見ていると、もし出来ることであるならば毎年日本からのFLTAの方が派遣されるように心から祈念してやみません。

充実した1学年はあっと言う間に過ぎ、帰国の時が来てしまいました。幸いなことに、5月下旬に催行されたエルムズinジャパンプログラムのはじめの数日間を、日本で学生達と一緒に過ごすことが出来ました。彼らが高知ホームステイへ出発する前の京都の3日間にあわせ、後を追うようにして私がアメリカから帰国し、直接京都で合流しました。自分の教えた日本語を実際の日本社会で果敢に使っている学生を見ることができ、たいへん嬉しかったです。おそらく、自身の授業の学習成果を直接日本で確かめることができるのは、エルムズに派遣されるFLTAだけでしょう。教室で教えていた学生達とJoyce先生とで日本に一緒に滞在しているというとても新鮮で不思議な経験でしたが、帰国直前Joyce先生に、「アメリカに来るときは、あなたは一人だったけれど、日本に帰るときは10人も学生をいっしょに連れて帰るのですよ」と言われたときには、涙が出るほど感激しました。

この1年間は、私にとって贈り物であったように思います。FLTAプログラムを終えてみて、自身の成長を感じることができ、ふるさと仙台に戻って家族とともに力を合わせて生活基盤をしっかり構築していけるよう気持ちを新たにしております。

最後になりましたが、ふるさと仙台に関連して、春学期に3.11地震・津波ドキュメンタリー映画、菅野結花監督「今日を守る」(英語字幕版Resilience - Protecting Today)の募金上映プロジェクトをエルムズ大の日本語の学生たちとともに開催することができました。この上映会で頂いたエルムズ大内外の人々の温かいご支援には、東北出身者として震災経験者として筆舌に尽くしがたいものを感じました。震災から2年、心の奥深くに仕舞い込んだ記憶と、眼をつむってしまいたい現実のあいだで、なかなか言葉にすることができなかった震災への思いを、このドキュメンタリーフィルム上映を通して少しでも周りの人々へ伝えられ共有して頂けたという小さな自信が、将来にわたって大きなエールを送ってくれるものと信じております。

生涯大切にしたい日本とアメリカの2つのふるさとに、このFLTAプログラムを通じめぐり合わせてもらいました。本当にありがとうございました。家族、友人を含め、ご支援賜りましたみなさまに再度、深くお礼申し上げます。

 

河原 里香 ---U of Scranton

中間レポート

私はペンシルバニア州にあるスクラントン大学でFLTAとして日本語を教えています。スクラントンは “Electric City” として栄えた歴史があり、ニューヨークやフィラデルフィアからバスで3時間のところにある町です。近年 ”The Office” というコメディの舞台となったことで、アメリカ国内での知名度も少し上がったようです。スクラントン大学は、この町中にあるカトリック系の私立大学で、落ち着いた雰囲気の美しいキャンパスで約4,000人の学生が学んでいます。

 FLTAプログラムは、アメリカと世界各国との相互理解を目的とした政府間プログラムです。そのため、渡米して最初に参加したスタンフォード大学でのオリエンテーションでは、世界中から派遣されたFLTAと出会い、交流する機会に恵まれました。多様な国籍、文化、歴史やバックグラウンドをもった約400名のFLTAが、Cultural Ambassadorとして全米で各言語を教えながら、学問を深めています。

秋学期は、Primary Teacher として初級日本語の1クラスを教えました。日本語の教授がいないため、シラバスの作成からレッスンプラン、宿題、テスト、成績まで、すべて一任されています。渡米するまで、先生として何かを教えた経験はなく、アメリカに行ったこともありませんでした。新しい環境に飛び込むことが大好きな私にとって、ここで得たチャンスは本当に面白く素晴らしい人生の糧となっていますし、毎日が新しい学びと発見の連続です。アメリカの学生にとって、日本語という言語を習得することは決して容易なことではありませんが、それでも学びたいと思うのは、日本特有の魅力 ― 豊かな文化、アニメ、伝統、技術、歴史、日本人の奥深さ―を体感したいからだと思います。そう考えるとどんどんとアイデアが浮かび、秋学期は学生が日本語という言語を通じて「日本」への理解をぐんと深め自ら学ぶ段階へ到達できたように思います。一方で、「学生が学びたい日本」だけでなく、「日本人として伝えなければならない日本」を伝えることも自分の使命だと感じています。とりわけ東日本大震災や津波については、メディアから得られる具体的な情報や自分が実際に被災地で見聞きしたことを、日本語の授業に限らず様々な機会を見つけて話しました。

自国の言語を教えるだけでなく、アメリカの大学で大学生として講義をとり学ぶこともFLTAの責務の一つです。秋学期は、教育とアメリカ社会学の2科目をCreditとして、英米文学の1科目を Audit として学びました。講義形式や課題の量、テスト等は教授によって様々で、日本の大学で経験したスタイルとは大きく異なり相当量のエネルギーを必要としましたが、振り返ればどの講義も比較的余裕をもって楽しみながら吸収できたように感じます。自分の学びはFLTAとしてのアウトプットにつながります。秋学期は、好きなことを力いっぱいできるチャンスに日々感謝しながら、絶え間なくインプットとアウトプットを繰り返す濃密な4か月間を過ごすことができました。

アメリカで教え、学び、暮らし、旅をしていると、これまで気づかなかった自分を理解することができるように感じます。「なんでもみてやろう」というのが、私の軸であり、FLTAとしての大きな目的です。アメリカで出会った素晴らしい友人や教授、日本にいる家族や友人、日米教育委員会の方々をはじめ、多くの方々に支えていただいたおかげで、学びと発見に満ちた毎日を積み重ねられているということを心にとめて、春学期も新しいことへ挑戦し、学生とともに成長していきたいと思います。

最終レポート

日本に帰ってきてしばらく、日本にある様々なものに、美しさや和の心をよみとるようになった自分に気がつきました。アメリカで暮らした9か月間は、これまで意識していなかった「日本人」としてのアイデンティティとアメリカに対する尽きることのない好奇心こそ、私がFLTAとしての目標を達成するための二大柱になっていたように感じます。

FLTAとしてもっとも時間をかけたことは、日本語の授業です。初級日本語のクラスでは、秋学期に20名、春学期に15名の学生を教えました。春学期には、学生のほとんどが秋学期から続けて履修していたので、秋学期に築いたポジティブな学習環境や人間関係がクラスに一層の一体感を生みだして、より高いレベルの課題や目標を設定して授業を組み立てることができました。主役はいつでも学生だということを心にとめて、学生がまだ知らない日本の魅力や奥深さに触れられるよう、日本文化を土台にレッスンプランを組みました。また、レベルや興味関心は十人十色の学生一人ひとりが楽しんで意欲的に日本語を学び、目標に到達できるよう、授業外でのコミュニケーションやフィードバックに力を入れて、自分らしく細やかに学生へ向き合うよう努めました。日本語の授業をきっかけに日本文化や言語に対する憧れや関心を共有した学生たちは、携帯やfacebookでのやり取りに日本語を使用したり、日本語クラスの学生が中心となって「アジアクラブ」を設立したりするなど、授業の枠を超えて学生自らスクラントンで日本文化を発信してくれています。

そんな春学期一番の思い出は、5月初めに開催した"JAPAN NIGHT" という文化イベントで、学生が「ももたろう」を演じたことです。当初は私が日本に関するプレゼンテーションをする予定でしたが、渡米して以来FLTAとして日本に関するプレゼンテーションをする機会は何度もあったので、FLTAプログラムの集大成として日本語クラスの学生にこの機会を託そうと考えました。イベント当日、手作りの衣装を身につけ、ももたろうの歌を歌い、日本らしい細やかな仕草を自然と交えながらステージで演技をし、観客を感動させている学生をステージの裾から見ていると、これまで経験したことのない気持ちになり、いろいろな想いがこみ上げてきました。舞台や準備係でステージに上がることがなかった学生たちが、自分のクラスメートがステージで堂々と演技をしているのを見てとてもうれしかったと話してくれたり、イベント後だれに言われるでもなく舞台や道具の後片付けを協力して行う学生たちを見ながら、学生一人ひとりの成長、そしてクラスが日本らしい一つのチームになった瞬間を確かに見届けることができました。アメリカで「ももたろう」を誕生させた学生たちのことを心から誇りに思っています。 学業について、春学期は大学院でMBAと教育に関する2コースをとりました。両コースともアメリカに特化した企業マネージメントや教育がテーマでしたが、どちらの教授も私が日本での経験や文化について紹介したり、一日本人としての視点から疑問を投じ議論したりすることを促し大いに歓迎してくれました。私にとって、アメリカについて学ぶことは、日本を見つめなおし、日本に興味をもち、日本を発信することへつながっていました。大学院の授業なので課題やプレゼンテーションは相当量ありましたが、懸命に学び考えやり遂げたものすべてが私の身になり実力になっていると感じています。

この9か月間は、目標を体現し、行きたかったところへ行き、やりたかったことをやれるという、夢のような時間でした。世界中から集まった約400人ものFLTAが全米各地で活躍し、唯一無二の経験を重ねるというこのプログラムに、日本人として参加できたことを心から有難く思っています。日米教育委員会をはじめこの経験を支えてくださったすべての方々や、日本で応援してくれていた家族や友人への感謝の気持ちを忘れず、この経験を最大限に生かして、これからも日本人としての誇りをもって自分の道を歩んでいきたいと思います。

川龍 麗美 ---Lincoln U

都合により掲載削除

 

縄稚 勇一 ---Casper Coll

中間レポート

私は2012年9月より、ワイオミング州のキャスパー大学に派遣されました。ワイオミングについてご存じない方もいると思いますので、ワイオミングに関する話が登場する洋画「狼たちの午後」のワンシーンを紹介します。銀行強盗を行ったソニーとサルが、国外逃亡について企てている場面です。 ソニー「どこに行きたい?どの国でもいいんだぜ。」サル「…ワイオミングなんてどうだ?」ソニー「ワイオミング…ワイオミングは海外じゃないぞ。ワイオミングはアメリカ国内だ…」

アメリカ全50州で最も人口の少ない州、ワイオミングにある小さな大学で私は日本語を教えています。アメリカの荒野に日本語を学びたい人なんているのだろうかと思われるかもしれませんが、一部の学生の間では日本の漫画・アニメが大人気で、彼らにとって日本語は最も「クール」な言語です。秋学期は合計約30人の大学生に日本語の授業を行いましたが、彼らのほとんどが漫画・アニメの熱心なファンでした。私の学生たちのサブカルチャーに関する知識は一般的な日本人をはるかに凌駕しています。私も基本的な作品は押さえているつもりでしたが、学生たちが見せてくる漫画・アニメは、見たことも聞いたこともないものが大半でした。いまや全米各地でコミックコンベンションと呼ばれる漫画・アニメファンが集まるイベントが開催されています。私は隣のコロラド州で行われたコンベンションに生徒達と参加したのですが、会場の熱気に圧倒されてしまいました。コンベンションで目にした作品は9割方日本のものであり、この分野における日本の強さを改めて実感しました。

秋学期は、初級クラスを2つ担当しました。学生たちは皆、日本語学習に熱意を持っていたため、とても楽しく授業することができました。キャスパー大学は小さな大学ですが、ICT機器が発達しているため、屋内ではどこでもWifiが使用できます。全ての授業にムードルというオンラインプラットフォームが用意されているため、ムードル内で小テストが行えたり、学生とコミュニケーションがとれたりと大変便利でした。通常授業内では日本語の運用能力向上にフォーカスしていましたので、日本の文化を伝える場として、日本語クラブをほぼ毎週末開催しました。日本語クラブでは日本のアニメや映画を見たり、大学の柔術クラブで練習したり、日本文化の劇を作ったりしました。特に劇では、コロラド州日本語コンテストのスキット部門で準優勝を獲得することができました。

FLTAは教師であると同時に学生でもあるので、授業を受講しなければいけません。秋学期は「ライティング」「心理学概論」「教育に関する映画」の3つを受講しました。「ライティング」の授業では、レポート課題が出される度に大学内のライティングセンターで個別指導を受けることができました。この個別指導に足繁く通った結果、英文の構成をより深く理解できるようになったと思います。「心理学概論」では、一方向的な授業ではなく、先生と生徒が意見を言い合う双方向的な授業がなされていたため、とても活気がありました。そして「教育に関する映画」の授業は私が一番楽しみにしていた授業です。まず、授業では映画を丸々一本見ることからスタートするのですが、教室に入るとピザやスナック菓子、そしてコーラなどが用意されていたのです。これには非常に驚きました。映画鑑賞後は、先生からその映画に関連するディスカッションテーマが与えられ、クラスで討論を行いました。「異なる人種や母語を持つ集団をいかにまとめるのか」といった、日本ではあまり問題とならないテーマにも色々と考えさせられました。

このFulbright FLTAプログラムでは、他国のFLTAの方たちと交流できることが大きな魅力の一つです。秋学期開始前には、インディアナ州のノートルダム大学でオリエンテーションが、秋学期終了後にはワシントンD.C.のハイアットリージェンシーホテルでカンファレンスが行われました。オリエンテーションは地域ごとに行われ、アメリカ文化や、外国語教育について学びました。写真はその時の打ち上げのものです。カンファレンスでは52か国のFLTA計396人が集結し、国務省の役員や、大学教授の方々によるレクチャーやワークショップに参加しました。FLTA全体でイベントに参加している際は、イベント会場がさながら世界の縮図のようで、その場にいるだけでワクワクする気持ちになりました。

また、カンファレンスではFLTAの方たちに対してプレゼンをする機会をいただき、日ごろ自分が授業で実践している内容について発表させていただきました。発表後は、多くの質問や感想をいただき、大変嬉しかったです。アメリカでは、発表者に対する質問が日本に比べて積極的に行われます。これは、大学の授業内でも同じです。質問は、話が分かりにくいときにも行われますが、大部分はその話をもっと知りたいという興味・好奇心の表れだと思います。「アメリカでは質問しないということは、その話に興味がないということだ」と助言を受けたこともあるほどです。ただ、生産的な質問をすることは容易ではなく、私自身は二の足を踏んでしまうことが少なくありません。いい質問ができるよう、また、いい質問をいただけるよう、今後も研鑽を続けていきたいと思います。

渡米して五か月が過ぎました。もう折り返し地点を過ぎてしまったのかと思うと、焦りも感じてしまいます。まだまだ、やり残していることはたくさんあるからです。帰国の際に後悔が残らないよう、一日一日を大切に過ごしていきたいと思います。

最終レポート

冬休みが明け、春学期が始まりました。しかしながら、春学期とは便宜的な名称に過ぎず、キャスパー大学にはなかなか春が訪れません。三月になっても四月になっても日本の真冬以上の寒さが身にしみました。五月に雪が積もった時は、「極寒の地キャスパーに偽りなし」と何故か誇らしげな気持ちになったものです。

 春学期は初級と中級の日本語クラスを一つずつ担当しました。中級クラスの受講生は皆、秋学期でも私のクラスを受講してくれた学生達です。彼らに何か胸を張って「これが出来る」と思ってもらいたい、一年間の成果を目に見える形で残したい、と思いCan-doリストを作成しました。十項目からなるリストは「全てのひらがな・カタカナが書ける」、「自己紹介ができる」といった秋学期の既習項目から「家族全員の紹介ができる」、「日本語の歌が二曲以上歌える」、「漢字が百文字以上書ける」といったチャレンジングな項目まで含まれます。特に「漢字が百文字以上書ける」は最大の難関で、生徒に課題となる漢字一覧表を配布した時は皆一様に悲壮感あふれた表情をしていました。確かに、わずか26文字のシンプルなアルファベットしか使わないアメリカ人にとっては、基本的な漢字であっても難解極まりない暗号のように見えるのでしょう。しかし、漢字は日本語を学ぶ上で非常に大切であることを説明し、授業の初めに毎回漢字の小テストを実施することで、少しずつ漢字を覚えてくれました。「日本語の授業は一番難しい。大変すぎる。」と文句も言われましたが、最終的には全員がCan-doリストの目標を達成してくれました。

 キャスパー大学では私が唯一の日本語教員でしたので、シラバス作成から授業、そして成績評価まで全てを自分一人で行いました。私は本格的に日本語を教えた経験がこれまで無く、授業準備には多くの時間が必要でした。深夜オフィスに居残り、空が明るくなってから帰宅することも度々ありました。ただ、全てを自分の裁量でできたため、自分好みの授業案を考えるのはとても楽しかったです。例えば、授業のアクセントとしてカラオケの練習を取り入れました。毎授業、時間としては数分ですが、一度も欠かさず歌の練習を行いました。この練習で分かったことは、多くのアメリカ人が人前で一人で歌うことに強烈な拒否反応を示すということです。普段全く物怖じしない彼らが緊張している姿には驚きましたが、最終的には全員がカラオケで二曲以上歌えるレベルにまで到達できました。また、日本語クラスでは課外活動にも積極的に取り組みました。春学期の終盤には隣のコロラド州で行われた日本の知識を競うクイズ大会「ジャパンカップ」に学生達が出場しました。結果は残念ながら初戦敗退でしたが、他大学の日本語専攻の学生たちに刺激を受けたようで、「もっと勉強して、来年も挑戦したい」と言ってくれました。彼らにはこれからもずっと、日本のファンであり続けてほしいと願います。

 次に、私が学生として受講したクラスについてお伝えします。春学期に受講したクラスは「コンポジション」と「第二次世界大戦」の二つです。「コンポジション」のクラスでは毎回レポート課題が出され、更に授業中も即興のライティング活動が頻繁に課されたため、常に英文を書き続けなければいけないクラスでした。非常にハードな内容でしたが、先生の赤ペン添削が少なくなっていくにつれて、成長を実感することができました。私はよく質問のために先生のオフィスを訪ねましたが、笑顔で根気強く接してくださった先生には心から感謝しています。そして、「第二次世界大戦」のクラスはFLTA必修のアメリカ研究に関する授業として受講しました。クラスの先生からは「日本人である君の意見を楽しみにしているよ」とプレッシャーをかけられていたため、必死で予習して授業に臨みました。正直、日本人一人でこの授業を受けるのは少し怖かったのですが、授業内容自体はあまり深入りしない中立的なものだったと思います。ただ、指定されたテキストには歴史学者の間で論争のある内容が断定的に記載されていることもあったため、中間プレゼンテーションではその点について意見を述べました。また二月下旬には、第二次世界大戦中に日系人強制収容所に収容されたグレースアメミヤさんがキャスパー大学で演説をされ、当時の体験を語ってくださいました。アメミヤさんはアメリカ人大学生でありながら祖先が日本人であるという理由で収容所に連行された経験をお持ちの方です。演説では、日本と同じ枢軸国だったドイツやイタリアにルーツを持つ聴衆に対して「あなたの祖父母は収容されましたか。何もなかったですよね。」と問いかけ、若い世代に当時の体験を伝えると同時に平和への想いを語られました。第二次世界大戦の解釈はアメリカ人の間でも大きく異なります。ただアメミヤさんの演説後、総立ちのスタンディングオベーションで感謝の意を伝えている学生達が見ている未来は、皆同じ平和な世界なのではないかと思いました。

 以上のように学期中はとても忙しい日々でしたが、仕事と勉強だけの九か月間ではなく、冬休みや春休みの休暇中にはアメリカ各地を巡ることができました。ラスベガスでカジノに挑戦したり、セントルイスでボランティア活動を行ったり、ニューヨークで大晦日のカウントダウンに参加したりと、いずれも忘れられない思い出です。プログラム終了後はコロラドやシアトルでメジャーリーグ観戦を堪能できました。神戸でいつも応援していたイチロー選手をアメリカで見ることができた時の感動は何物にも代えがたいものでした。

 この九か月間、FLTAとして濃密な時間を過ごすことができました。楽しいことも辛いこともありましたが、全ての経験が貴重な財産です。私は大学時代にアメリカへ留学したことがありますが、今回の体験では、全く異なった視点からアメリカの教育について学ぶことができました。今後はこの経験を日本の教育現場で生かしていきたいと思います。

前回と今回のレポートでお伝えできた内容はごくごく一部に過ぎません。もし、その全容に興味がありましたら、是非FLTAに挑戦してみてください。一生忘れることのできない特別な体験があなたを待っています。最後になりましたが、今回の貴重な機会を与えてくださった日米教育委員会とIIEのスタッフのみなさまに、心よりお礼を申し上げます。本当にありがとうございました。

 

関口 萌 ---U of St Thomas

中間レポート

8月19日に渡米してから5ヶ月が過ぎました。 私が派遣されているセントトーマス大学は男女共学のカトリック大学で10,000人を超える学生が在籍しており、ミネソタ州内の私立大学では最大規模の学校です。双子都市と呼ばれる州都セントポールとミネアポリスの2箇所にキャンパスを有しており、私はセントポールキャンパス内にある大学寮で、同じFLTAとして派遣されているイタリア、スペイン、フランスからの仲間とともに生活しています。

 セントトーマス大学には、全部で7人のFLTAが派遣されていて、私のルームメイトの他に、アイルランド、メキシコ、チュニジアからの仲間がいます。私たちはアシスタントという立場で、それぞれの言語の授業のサポートと、チュータリングが主な仕事です。 はじめに、秋学期の日本語の授業に関してですが、日本人の先生の指導のもと、2つの初級コースが開講されていました。「げんき」という教科書の第1課から第6課を学ぶクラスと、第7課から第12課を学ぶクラスで、それぞれ、19名と12名の学生が在籍していました。 私はその授業に毎回参加させてもらいながら、文化紹介の授業と、Listening and Speakingの授業を1回ずつ担当させてもらいました。大学自体は白人の学生が多いのですが、日本語の授業には、ベトナム、サウジアラビア、中国、韓国からの留学生もいて様々なバックグラウンドの学生が在籍しています。

チュータリングでは、主には学生がやりたいことのサポートをしています。漢字の書き順、作文の書き方指導をしたり、授業で習った表現を使って会話練習をしています。時間やお金の数え方、自己紹介や、週末にしたことなどの会話練習。インタビューテストに向けた練習もしています。その他にも学生から様々な質問を受けたり、またこちらからも質問をしたりして、どうして日本語を学び始めたのか、将来どうしたいかなど、色々なことを話します。時には複数の学生が一緒に集まり勉強会や会話テーブルのような感じになることもあります。個別に学生と接することで、1人1人の個性がよくわかるし、日本語学習についてもどこが理解できていないのか、どんな間違いをしやすいのかがわかるので、授業でアシスタントに入るときにも役立つし、授業の時とはまた違った視点から色々学ばせてもらっています。

学生の中には、昨年の夏に短期留学をして、日本や日本語学習への興味を持ったという人もいます。日本人に親切にしてもらったこと、街がきれいだったこと、文化的なことに惹かれ、「この国にまた行きたい」と思っている学生たち。また、まだ行ったことはないけれど、これから1学期間、もしくは1年間、日本に留学したいと具体的に考えている学生もたくさんいます。セントトーマス大学の日本語授業は初級レベルなので、学生と日本語のみでコミュニケーションをとるのはなかなか難しいのですが、1人1人の学生と向き合いながらいろいろなことを話せるチュータリングは私にとって大切な時間です。学生たちの日本留学の夢が実現できるように、精一杯サポートしていきたいと思っています。 また春学期にも同じ授業が開講されます。そして新たに中級コースも加わります。ほとんどの学生はひとつ上のクラスに上がるので、秋学期に学んだことと上手く繋げていけたらと思っています。私にできるのは小さなことだけれど、ここで関わっている学生たちの中にモチベーションを高めるような種まきをしていくことができたらいいなと思っています。

次に、FLTAプログラムでは学期に2つ授業をとることが求められていますが、秋学期には、Human Relationships and Multicultural Educationと、 Methodology and Advocacy for English Language Learnersという教育学の授業を聴講させてもらいました。前者は学部生と大学院生のためのコースで、ミネソタ州で教員になる人は必ず履修しなければならないコースだそうです。人種のこと、教育現場が直面している問題、アメリカ社会を構成するエスニックグループについてなどたくさんのことを学びました。ディスカッションベースでテストのない授業でした。後者はESLの先生を目指す人達のための大学院の授業でした。週1回木曜日の夜に授業があり、学生数は9名。昼間は仕事をしている人がほとんどでした。中国からの留学生や韓国で英語を教えていた人、昼間は高校でアシスタント教師をしている人など様々な経験を持っている人が集まっていて面白いクラスでした。

それから、私が住んでいる地域のことについて少しお話したいと思います。大学のセントポールキャンパスは閑静な高級住宅街の中にあり、ミシシッピ河のすぐ裏に位置しています。MSP空港からタクシーで20分、バスと電車だと40分くらいのところにあります。アメリカ最大のショッピングモールであるMall of Americaからも50分程のところにあります。もうひとつのキャンパスはミネアポリスのダウンタウンの中心にあり、2つのキャンパス間は大学のシャトルバスで移動することができます。教育学の授業と大学院の授業はミネアポリスキャンパスで行われるので、日本語のTAをしている時と自分の勉強の時と気分を変えることができたし、日用品の買い物やショッピングにも困らないので、とても恵まれた環境だと思います。

気候については10月の初旬に秋を迎え、その頃から氷点下になる日もありました。本格的に寒くなってきたのは12月に入ってからですが、1月を迎えた今は氷点下15度くらいの日が続いています。毎日雪が降るわけではありませんが、積もった雪が解けずに残っています。ミシシッピ河も今は凍っているようで、時々河の上を散歩している人を見かけます。2月はもっと寒くなるということなので、しっかりと防寒対策をして冬を乗り切りたいと思っています。

最後にもうひとつ、こちらへきてからFulbright Minnesota Chapterのイベントに参加させてもらっています。ミネソタ大学に本部があるのですが、過去に留学していたアメリカ人、現在アメリカに来ている世界各国からの留学生など、多くの人と知り合うことができました。ミシシッピリバークルーズやりんご狩り、Thanksgivingのイベントなどもあり、よい交流を持たせていただいています。

2月4日から春学期が始まります。学期がスタートすると忙しくなりますが、アメリカで学べるという貴重な時間を大切に、後半も多くの人と出会い、たくさんのことを見て、聞いて、体験し、成長していけたらと思っています。

最終レポート

日米教育委員会をはじめ、多くの方々のサポートによりアメリカでの9ヶ月を無事に終了することができ、本当に感謝しております。5月28日に帰国してから慌しく時が過ぎ、生活時間帯も食生活もすっかり日本のペースに戻りました。逆カルチャーショックもなく日本でも順調に生活しています。今は、7月末にセントトーマス大学の学生が日本に旅行に来ることになっているので、どこを案内しようか、何を紹介しようかと楽しみに待っているところです。

今回のレポートではMid-year Conferenceのこと、春学期の授業のこと、大学外での活動、旅行について書きたいと思います。

[Mid-year Conference]
FLTAプログラムには全世界から約400名が参加しています。その仲間たちが一同に会したワシントンDCでのMid-year conferenceは盛大に、和やかな雰囲気の中行われました。夏、ペンシルバニア大学でオリエンテーションが一緒だったメンバーとも再会し、派遣先での授業のこと、生活の様子など様々なことを共有することができました。conferenceではworkshopや選択講座、FLTAの仲間による派遣先大学での語学授業についての発表、poster presentationなどがありました。移動日を含めて5日間のプログラムでしたが、workshopや選択講座の合間には自由時間もたくさんあり、国立スミソニアンミュージアムやホワイトハウスなどを見て回ることができました。また日本人FLTA全員で夕食に行く機会を作り、そこでは色々な情報交換をすることができました。それぞれ、派遣されている地域、学校により経験が全く異なっていたので、とても興味深かったです。そして、みんな頑張っているんだなぁと良い刺激になりました。conferenceはexcitingでとても有意義な時間でした。

[春学期の授業]
寒さが厳しいミネソタでは、長い冬休みがあり、その後2月4日から5月24日までが春学期でした。春学期には、Additional Language Acquisition for English Language Learnersという大学院の授業とAmerican Culture and Differencesというアメリカ学入門の授業を聴講しました。前者は秋学期と同様に、ESLの先生になりたい人が受講するクラスでした。課題のひとつとして、私はセントポール市にあるEnglish Language Learners(ELL)のための高校で、毎週授業に参加させてもらっていました。生徒たちは全員外国から移民してきており、普通の高校生の年齢より上の人も結構多くいました。彼らはアメリカに移民してから、なかなか学校に行く機会がなく、工場などで数年間働いていたそうです。しかし、学校に通うようになってから、英語力も伸び、大学進学希望を持つようになったと言っていました。アメリカの中でもミネソタ州セントポールとミネアポリスの双子都市では多くの難民を受け入れているようで、そのための教育支援制度も整っているようです。他にもレポートや教案を作っての模擬授業などがあり、とても課題の多いクラスでしたが、ミネソタ州の教育事情についてより深く知ることができた貴重な経験でした。後者のアメリカ学の授業では、様々な視点からアメリカについて考えることができました。4月末にはMille Lacks Lake へのフィールドトリップもあり、Ojibweというネイティブアメリカンの生活を紹介した博物館へ行きました。Ojibweを含むネイティブアメリカンのことは秋学期の授業でも学んでいましたが、実際にその人たちが生活している地域に行って、色々な展示を見ることで理解を深めることができました。

[大学外での活動]
1月にはNYの国連本部で行われた教育者のための会議に参加する機会も与えられました。Advancing Social Justice: The Role of Educatorsというテーマのもと環境問題、食糧問題、人身売買などの現状について多くを学ぶことができました。50人程のFLTAが参加していたので、昼休みにはIIEによる昼食会もあり、1ヶ月ぶりの再会を楽しみました。また3月にはUniversity of MinnesotaとAugsburg Collegeを会場に行われたNobel Peace Prize Forumにも参加しました。バングラデシュのグラミン銀行創設者であり経済学者のムハマド・ユヌス氏をゲストスピーカーに迎えて『貧困のない世界を作ること』という講演がありました。グラミン銀行創設に至るまでの話、利益よりも貧困撲滅などの社会活動を目標として行われるソーシャルビジネスの可能性について、力強いメッセージを聞くことができました。私自身、スタディツアーで2週間ほどバングラデシュを訪れたことがあり、貧困について考えさせられ、グラミン銀行のシステムにも興味があったので、直接ユヌス氏の講演を聴くことができて本当に嬉しく思いました。ミネソタでまたとない素晴らしい機会にめぐり合うことができました。

[旅行について]
FLTAとして取り組むべき3つのこと。
1.TAとして語学教育に関わる。
2.学生として授業を聴講し学ぶ。
3.たくさん旅行する。

セントトーマス大学が休みのあいだ、多くの場所へ旅行することができました。秋休みはウィスコンシン州へ、冬休みにはワシントンDCでのコンフェレンスのあとにニュージャージーやボストン、カリフォルニア、ミシガン州立大学、シカゴなどへ行き、高校時代お世話になっていたアメリカ人の先生、学生時代の同級生、日本で一緒に働いていたアメリカ人の先生たちとクリスマスや新年を一緒に過ごしてきました。春休みにはカナダにも旅行しました。アメリカ滞在中にできる限り多くの友人に会いたいと思い、それを実現することができました。彼らと知り合ってもう何年も経ちますが、ずっと交流を持てていることに感謝しつつ、以前から比べればだいぶ上達した英語力と共に、久しぶりに会ってたくさん話をすることができて本当に嬉しかったです。旅行をして、改めてアメリカは広大な国だと思いました。ボストンとカリフォルニアの移動には5-6時間かかるし、3時間の時差もある。土地が変われば気候も全く違う。言葉も微妙に変わる。本当に日本とは比較にならないほど多種多様で大きな国だと思いました。

[最後に]
常にレーダーを張り情報をキャッチすること。やってみたいと思うことには積極的に取り組んでみること。どんなことにも前向きに寛大な心で臨んでいくことが大切だと改めて感じた1年でした。今、FLTAとしての1年を終えて、日本に帰国しましたが、まだプログラムは半分終わったところだと考えています。アメリカで学んだこと、感じたことをこれから活かしていくために、どう動いていったらいいか。ひとつは日本の友達や生徒たちにアメリカで学んだこと、留学から得られるものの素晴らしさ、チャレンジすることの大切さを伝えていくこと。もうひとつは、出会いを大切に、アメリカの学生や友達とのつながりを持ち続けていきたいと思っています。いつか彼らが日本を訪問する機会があれば、日本ならではの美味しいもの、いいところをたくさん紹介してあげたい。小さなアンバサダーとして、これからも良い交流を持っていきたいと思います。国を越えるとき、ひとりの人との出会いがその国に対する興味関心を持つきっかけとなり、国際交流の第一歩になるのだと思います。「あの人がいるから日本や日本語をもっと学んでみたい」そんな人になれるよう、これからまた日本についても理解を深めていけたらと思っています。

 

城月 舞 ---Carlton Coll

中間レポート

 こんにちは!私は昨年の9月からミネソタのノースフィールドにあるカールトン大学で日本語LAとしてお仕事をしながら、学生として授業も履修しています。この学校は秋・冬・春学期のトライメスター制で、今ではあっという間に時が過ぎ冬学期の中間地点にさしかかりました。プログラムへの合格が決まってから今日まで、大きな問題もなく充実した毎日を過ごせているのはIIEや日米教育委員会の皆さまのサポート、そしていつも支えてくれるまわりの人々のおかげだと思っています。

 カールトンは国際色豊かなリベラルアーツの小さな大学で、アメリカ国内のリベラルアーツ大学のランキングでは必ずトップ10に入るような優秀な学校です。(一位になったこともあるそうです。)学生たちは驚くほど勉強熱心で、本当に忙しいです。みんな学ぶことがとても好きで、びっくりするぐらい賢いので最初はここでちゃんとやっていけるのか不安になりましたが、今では毎日たくさんのことを学べる刺激ある環境に感謝しています。治安も良く、自然がいっぱいでとても美しい場所です。

 私のLAとしての主な仕事内容は1.クラスでの補佐、会話練習、2.日本語ランチテーブル、3.日本の映画の時間、4.お茶の時間、5.オフィスアワーです。クラスの補佐は担当の教授によって内容が若干違いますが、クラス内での学生の日本語をチェックしたり、ワークブックの丸付けや作文の添削、代講をさせていただくこともあります。学生たちはとても素直で、一生懸命日本語を話している姿はほほえましいです。授業外での会話練習では、今まで習った表現や新しい文法ポイントをできるだけ使うように心がけています。そして学生がその週に習った表現を使えたときはこちらまで嬉しくなります。カールトンは言語のプログラムに大変力を入れており、クラスも毎日あるので学生の上達がとても早いように思います。秋学期の終わりの作文発表では「一学期間でこんなにたくさんのことを話せるなんて!」と驚かされました。

 ランチテーブルは週に一回みんなで日本語を話しながらお昼ご飯を食べる時間ですが、毎回かなりたくさんの人が来てくれます。ですが初級レベルの学生は日本語にまだ自信がないといってあまり来ないことが多いので、できるだけ声をかけて多くの学生が来やすい雰囲気を作るのが今学期の目標です。日本のお茶の時間は日本のお菓子を食べたりお茶を飲んだりする活動の時間で、私はできるだけ毎週学生と一緒になにか手作りのおやつを作るようにしています。今までどら焼きや、クレープ、だんご(みたらし、あんこ、きなこ)などを作りました。手を粉だらけにしながら楽しそうにだんごを丸める学生たちがとてもかわいかったです。日本から持ってきたかるたをお茶の時間にしたときは、学生のひとりが「先生これ気に入りました!僕に売ってくれませんか。」と、とても気に入ってくれたのでプレゼントしました。次は2月の節分の活動として寿司作りに挑戦する予定です。

 次に、先学期に履修した授業と今学期の授業についてのお話をさせていただきます。バーモント州の大学に交換留学していたときに言語学を勉強したことがきっかけとなり、言語習得やバイリンガリズムに興味があったのでカールトンでも言語学を履修することにしました。LAは学生たちのあとに履修をするシステムなのでどのクラスでも履修できるというわけではありません。秋学期はLanguage and Brainというクラスで失語症や失読症などの言語障害、第二言語習得においての脳のメカニズム、バイリンガリズム、さまざまなwriting systemなどを主に勉強しました。日本語はひらがな、カタカナ、漢字の三種類を用いる最も複雑なwriting systemだということで、そのことについてたくさん質問を受けました。Flynn教授は言語学デパートメントのヘッドをされており、日本語に大変興味を持っている方で、「まいがこのクラスにいてくれて本当にラッキーだ。」と優しい言葉をかけてくださいました。クラス自体は簡単ではなく、山のようなリーディング、テストやプレゼンテーションも何度かありました。かなり細かく専門的な内容に入ったときは思考が停止しそうになりましたが、教授と授業後に話したりクラスメートたちと勉強会などをすることで乗り越えることができました。この写真は仲良くなったクラスメート全員で撮ったものです。

 今学期は同じ教授のもとでTopics in Phonologyというクラスで音韻論を勉強しています。上級生向けのクラスなので少し不安でしたが、教授が「トーン言語や日本語のアクセントパターン、連濁([すし]に巻きがつくと巻き[ずし]のように濁点がつく現象)についても勉強するからきっとまいにとっても興味深いはずだよ。」と声をかけてくださったので履修することにしました。実際にとても面白い内容ばかりで、こないだはクラスの前で「砂糖屋」と「里親」の発音の微妙な違いをデモンストレーションしてほしいと頼まれました。和やかな雰囲気のクラスなので、みんな「あっ、なんだか微妙に違う!」と笑っていました。今学期はFlynn教授に日本語チューターを頼まれ、週一回日本語練習をお手伝いしています。

 毎日時間が経つのが本当に早いですが、それは日々充実しているいい証拠なのだと思います。冬休みにはFLTA mid-year conferenceがあり、世界中のFLTAと時間を共有するという、またとない貴重な経験をさせていただきました。最後になりましたが、こうして充実した毎日を過ごせるのは、たくさんの方々のあたたかい支えのおかげだと日々痛感しています。このプログラムを通じて世界中に友人ができたことはもちろんのこと、IIEや日米教育委員会の方々、日本語FLTAのみなさん、そしてカールトンでの友人たちに出会うことができました。優しい人々に恵まれ、私は幸せ者だと思います。後悔を残さないよう、これからも一日一日を大切に過ごしたいと思います。

最終レポート

 カールトン大学での約10ヶ月があっという間に過ぎ去り、帰国が目前に迫っています。ビザの期限ぎりぎりまで滞在することに決めたので、現在は昔からの友人やカールトンでの友人の家に滞在させてもらいながらのんびりと過ごしています。ふと思い返すと出国前のオリエンテーションさえつい昨日のことのように思え、FLTAとしての生活がまるで夢だったかのように思ってしまうほどです。

  ですが、このプログラムを通して出会うことができた大切な人々と思いっきり笑ったり泣いたりした思い出は私の心の中にしっかりと刻まれています。この最終レポートでは今までのことを振り返りながら報告させていただきたいと思います。

 春学期に入りましたがミネソタは相変わらず寒く、冬学期パート2やらSpring term no springなどみんながからかうくらいに雪が続いていました。LAの仕事内容として少し変わったことといえば、この学期から初級クラスは週に一度Language Labを使うようになったことです。学生がレコーディングしたセンテンスや会話の発音をチェックし、不自然な点があればその場ですぐ訂正します。普段のクラスでは見れない細かい点までチェックができ、学生たちも早いタイミングでフィードバックが得られるので、発音の上達につながったように思います。授業外の会話練習では、間違いを気にせず頭に浮かんだことをとりあえず口に出してみる学生もいれば、頭の中できちんと文法を組み立ててからでないと言えないというような学生もいてさまざまなので、できるだけ話しやすいトピックを選んだり辛抱強く聞くことがとても大切だと学びました。中国語の教授で日本語も勉強なさっているマーク先生が、私がいつも理解しやすい文法を使って話したり途中で細かく訂正せずにこにこ話を聞いてくれたことが外国語を話す緊張のプレッシャーをぐんと和らげてくれたよとおっしゃってくれたときはとても嬉しくなりました。

日本語アクティビティーのひとつである日本のお茶の時間では学生たちと日本料理を作りたいと思ったので、お好み焼きやたこ焼き、カレーやコロッケなどに挑戦し、とても好評でした。リクエストによってクレープやスコーンも作りました。先生たちは「お茶の時間じゃなくてクッキングの時間に名前を変えようか」と笑っていました。節分の寿司イベントや弓道や焼き鳥のイベントもあり、忙しいながらもさまざまな学生と貴重な時間を過ごすことができました。このようなイベントやアクティビティーができたのもスーパーバイザーや日本語教授たち、学生たちのサポートがあったからこそです。

FLTAとしてのカールトンでの生活を振り返ると、ここでは書ききれないほど本当にたくさんの貴重な経験をさせていただきました。骨髄移植キャンペーンのボランティアや日本語学習ソフトウェアの改善のお手伝いなども、自分にできることはできるだけ何でもしました。素晴らしい友人たちに恵まれ、困った時や辛い時はいつも助けてくれました。LAとして教えながら普段は学生として毎日過ごしていく中で、その特殊な立場に自然と慣れていき、このプログラムを通してカールトンに来れて本当によかったと心から思いました。「日本かアメリカで絶対また会おうね」と友人たちと話していて、このような人と人との小さなつながりが最終的に国と国とをつなぐんだと心の中で強く思いました。最後に、IIE、フルブライト、日米教育委員会のスタッフの皆様、カールトンの先生方には感謝の気持ちでいっぱいです。そして、この一年を安心して過ごせたのは家族や友人の支えがあったからこそです。ありがとうございました。

 

山本 亜由美 ---U of Central Florida

中間レポート

私は2012年8月にフロリダ州オーランドにあるUniversity of Central FloridaにFLTAとして派遣されました。ここフロリダは”Florida has only two seasons: hot and hotter”と言われるぐらい一年を通して暖かい気候で、住んでいる人々もとても温かい場所です。  これまで日本の中学校と高校で6年半英語教員として勤め、現在は自己啓発のための休業制度を使い、FLTAに参加しています。昨年、これまでの教員生活を振り返った時に「もう一度大学で外国語教授法を学んでみたい」「海外生活や世界中の先生方との交流を通じ、英語力を高めるとともに、様々な外国文化を生徒に伝えられるようになりたい」と思い、このプログラムへの応募を決めました。

渡米後は、新しい場所ですべてのことが一からのスタートでした。歩いてたった5分の建物に行くのも、洗濯機の使い方も、パソコンをインターネットにつなぐのも、まずは人に聞かないと何も始まりませんでした。渡米後一ヶ月を過ぎる頃までは、周りの人に頼って生活をしている毎日にもどかしさを感じたこともありました。しかし、フロリダの心温かな人々との生活をする中で、「私がここで受けた多くの人の優しさや温かさを、今度またどこかで私が他の誰かに返してあげられたらいいのかな」と考えられるようになりました。

 教えている日本語の授業については、秋学期は「初級日本語と日本文化」「中級日本語と日本文化」という2つの授業をBurnett Honor’s Collegeで担当しました。最初の授業は、初めて教員として教壇に立った時と同じぐらい緊張しました。どのような授業をしたらいいのかを毎晩考え、準備に準備を重ねても不安で仕方ありませんでした。しかし、生徒の口から「おはようございます」「こんにちは」「こんばんは」という日本語が聞けた時は、嬉しさが胸にこみ上げてきました。こちらに来て、初めて聞いた日本語は、私の生徒が発してくれたこれらの挨拶だったのです。「人の成長を支えられる喜び」、「心が通じ合うことの嬉しさ」-私が教員になって最初に感じた大切なものをこの地に来て、改めて思い出しました。また、こちらの生徒は授業でたくさん質問をし、積極的に発言します。「たぬきそばはなぜ“たぬき”なのか?」「愛と恋の違いは?」など普段私が考えたことがなかたような質問をたくさん受けました。その度に、インターネットや本を使って答えを調べ、私自身、日本語や日本文化を再発見する日々の連続でした。

 これらの日本語授業に加えて、日本文化を紹介するイベントも月に1~2回程度開催しました。日本の食文化を紹介したり、将棋やけん玉などの伝統的な遊びを楽しんだりしました。これらの活動の他にも、他の授業で講義をする機会を頂きました。Asian Politicsの授業では、「日本の政治」について、Contemporary Multicultural Studiesという授業では、「日本の教育」について、Theory and Practice of Teaching ESOL Students in Schoolsという授業では、米国に来てから私の感じた文化の違いについて話をしました。また、10月の終わりにはWomen’s Leadership Forumで自分の経験をスピーチする機会も頂きました。原稿を書きあげ、当日の発表ぎりぎりまで何度も何度も練習をしました。第二外国語でスピーチをするということに不安もたくさんありましたが、会場のみなさんが私の想いに耳を傾けて真剣に聴いてくれ、「言葉の違いは人の想いがあれば乗り越えられる」と感じました。

 普段は、教員として授業をするだけでなく、学生としても大学院の授業を聴講しています。秋学期は大学院で「Grammar for TESOL teachers」という授業と「Comparative education」という授業に参加しました。「Grammar for TESOL teachers」では、英文法をどうやってコミュニカティブに教えるかについてたくさん学びました。文法をただ暗記するだけでなく、表現できるようにするための方法を考え、毎回模擬授業を行いました。模擬授業では、様々なアクティビティを知ることができました。また、クラスメートの多くも英語を第二言語として教えている教員だったので、ディスカッションでは言語を教える上での悩みも共有することができました。大学院の授業は1つの授業が3時間でしたが、いつもあっという間に終わってしまいとても有意義な時間が過ごせました。

 「Comparative and international education」では、主に開発途上国と米国を教育面から比較し、途上国へのより良い教育支援の在り方について考えました。ディスカッションでは、日本の教育について聞かれることもたくさんあったのですが、最初はなかなか自分の考えをうまく伝えられませんでした。しかし、途中から少しずつみんなの議論にも加われるようになり、自分の意見を言うことで考えがより深まっていくように感じました。また、学期の最後にはグループプレゼンテーションがあり、私はクラスメートの一人と「アフガニスタンとキューバの識字教育」について発表しました。一つの論文を共に書き上げ、発表前は互いの家で遅くまでプレゼンの準備をしました。足を引っ張らないようにと、毎日アフガニスタンの教育についての論文を読むなどしました。プレゼンが終わり、クラスメートと共に一つのことを成し遂げられた時は大きな喜びを得ました。たった9人の小さなクラスだったので、クラスメート同士もとても仲が良く、最後の授業の後は皆で食事に出かけました。写真はプレゼンを終え、クラスメートみんなで一緒に撮ったものです。

最後になりましたが、新しいことに挑戦するのは勇気がいるものです。けれども、このプラグラムに参加することに挑戦してよかったと思います。私のことを誰も知らない場所ですべてをスタートさせるのは想像以上に大変なことでした。しかし、私には日本のFLTAの仲間、世界から集まったFLTAの仲間がいます。カンファレンスでは互いの経験を共有し、世界中の先生方と友達になることができました。そして、これらすべての経験が自分の世界を広げ、自分の人生を豊かにしてくれていると思います。また、このプログラムへの参加にあたり、いつも陰でサポートして下さっているIIEや日米教育委員会の方々、家族の一員のように迎え入れてくれたUCFの方々、笑顔で送り出して下さった日本の職場の先生方、空港に見送りに来てくれたたくさんの卒業生、どんな時も温かく見守ってくれている友人や家族、そして自分を支えて下さっている全ての方に感謝の気持ちでいっぱいです。日本を発つ時、生徒からは数えきれないほどの寄せ書きとたくさんの「頑張ってください」というメッセージをもらいました。今自分がその声にどれだけ応えられているかわかりませんが、目の前の生徒と向き合い、自分にできることが何なのかを考え、日々チャレンジしています。そして、そのような毎日がとても充実しています。1月からは新しい学期が再び始まりました。新しい生徒との新たな出会いに喜びを感じながら、今日もまた大学に向かいます。

最終レポート

「人に支えられ、人と人との繋がりの素晴らしさを改めて実感する10か月でした。」
気がつけば、帰国からもう2か月あまりが経ちます。University of Central Floridaに派遣され、フロリダで過ごした10か月間は本当に充実した素晴らしい時間でした。特に、国籍の違い、宗教の違い、言語の違いを乗り越え、多くの人々と知り合い、交流し、絆を深められたことは、今後の私の人生におけるかけがえのない宝物です。

 私は学生時代にネブラスカ州に1年間留学していたことがあります。ネブラスカのように、のどかで落ち着いた田舎の中西部の雰囲気とは違い、フロリダには中南米からの移民も多く、ラテンの文化が入り混じった陽気で明るい雰囲気があり、これまで私が知っていたアメリカとはまた違った側面をたくさん知ることができました。また、スペイン語を話す人も多く、初等教育におけるTESOLもすすんでいるように感じました。TESOLには大変興味があったので、大学院で「Issues in Second Language Acquisition」という言語習得の授業も聴講しました。この授業では、言語習得の理論と実際に英語を外国語として教える上で抱えている悩みや問題点を結び付けて考えました。米国では、ただ理論を暗記するだけでなく、その理論を自分ならどのように応用させ、実践につなげるのかを考え、発表しなくてはいけません。秋学期の最初は意見がまとまらず、言葉の壁もありなかなか発言できなかったのですが、春学期では自分の意見が言えるようになってきました。また、聴講生でしたが、日本の英語教育についても1時間プレゼンテーションをさせてもらい、日本の英語教育が抱える問題点を自分なりにまとめて、クラスメートと意見を交換しました。

また、今回のFLTAのプログラムでは、教員としても日本文化と日本語を教えるという経験をさせてもらいました。1月上旬から始まった春学期では、秋学期に担当した初級と中級クラスに加えて、「上級日本語と日本文化」の3つの授業を担当しました。新しく始まった上級クラスは、週に1回3時間の授業で、最初は何を題材に選んだらいいのかすごく悩みました。生徒の日本文化への興味が高かったことと、会話練習をしたい生徒が多かったので、文化を取り入れた日本語学習ができるように工夫しました。千と千尋の映画を見て、日本人の宗教観について話し合ったり、「侘び・寂び」について学んだあとに、日本と西洋の「美しさ」の捉え方を比較したりしました。他にも、「江戸時代1」の授業では、「江戸しぐさ」という江戸に生きた人々の心遣いと振る舞いについて触れ、「江戸時代2」の授業では、日本の浮世絵とその後西洋で広まったジャポニズムに触れ、砂絵を使って浮世絵を描いてみました。日本に生まれ育ってきても、実際教えるとなるとどう説明したらいいのかわからず、様々な論文や本を読みました。授業準備に時間はかかりましたが、日本語や日本文化について新たな発見のある毎日は、とても充実した楽しいものでした。そして、「教えること=学び続けること」だということを改めて実感しました。

学外においても、フルブライターとして過去に多くの先輩方が積み重ねてこられた実績と努力のおかげで、数えきれないほどの貴重な経験をさせてもらいました。1月には国連で「Advancing Social Justice」について、教育者が果たすべき役割について考える会議に参加させてもらいました。世界中から集まった先生方と知り合い、いろいろな話を聞く中で、教員としてただ外国語を教えるだけでなく、世界の人々の生活がより豊かになるように教育者としてどうあるべきかを考えさせられました。また、春休みにはミネアポリスで開かれたノーベル平和賞フォーラムにも参加しました。ノーベル平和賞を過去に受賞したムハマドユヌス博士の講演では、「私が最初にしようとしたことは、隣にいる人に自分のできる範囲で助けてあげようと思ったことです。」というお話があり、今でもその言葉が深く心に焼き付いています。

私生活では、FLTAとしてアルジェリアから派遣されているアラビア語の先生と大学で研究者として活躍しているイラン人の女性と大変親しくしていました。そして、彼女たちからはイスラムの文化についてもたくさん教えてもらいました。彼女たちには宗教上食べられない物や、断食など私とは違う習慣がいくつかありましたが、同年代の女性として同じような悩みを抱え、悲しいことも嬉しいことも共有し、互いに信頼し合い、本当に深い絆で結ばれていたように思います。お互いをリスペクトすることができれば宗教の違いも言葉の違いも乗り越えられると、彼女たちから学びました。このように、今回の米国での生活では、国を越えて本当に多くの方々と知り合うことができ、その出逢いの一つ一つが私の人生を本当に豊かにしてくれたと思います。

最後になりましたが、日本を旅立つ時は過去に教えたたくさんの卒業生に見送られ、アメリカを離れる時は、現地の友人や米国で授業を受けてくれた生徒に見送ってもらいました。10か月の生活の最初から最後まで、本当に人の温かさ・優しさに支えられた日々だったと思います。また、帰国後も学校現場への復帰を温かく迎え入れてくれた職場の関係者や、いつも陰で支えてくれたIIEや日米教育委員会の方々、そして家族には感謝の気持ちでいっぱいです。私がアメリカで学んだことを少しでも日本で還元できるように今後努めていきたいと思います。本当にありがとうございました。