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フルブライト語学アシスタントプログラム(FLTA)

2013年度 参加者レポート

2013年度参加者 
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1.安藤 菜那 ---Pomona College, Claremont, CA

中間レポート

わたしのFLTAプログラム参加のきっかけとなった出来事は2012年2月から3月にかけて英国南東部の小学校にて日本文化紹介に関わるプログラムに関わったことがきっかけでした。そのプログラムは短期英語研修、日本文化紹介、またフェアトレード促進などを主な目的とするプログラムでした。その経験で得た日本人を代表として日本文化を伝えるという感動が忘れられず、もっとそのような経験を得たいと考え、このプログラムに応募させて頂く結果となりました。

2013年8月18日より、カリフォルニア州クレアモントにあるポモナ大学(Pomona College)に派遣が決まり仕事がスタートしました。出国前は「果たして今まで日本語を教えた経験のない私が日本語をいきなり教えることなど可能なのだろうか」という不安と 期待 が混ざり合う心境でした。出国前は地元の図書館で日本語教育に関する書籍を読み、日本語教師として働く心構えを新たにしました。また、派遣先大学で紹介ができるように地元の城下町や、祭事での太鼓のパフォーマンス、岐阜県にある和紙工場に見学に行くなどしてそこでの動画や写真を撮りため出国の日を待ちました。

派遣先であるポモナ大学について説明させていただきます。ポモナ大学は1887年に創立された大学で、クレアモント・カレッジ(Claremont College)構成大学の一つです。クレアモント・カレッジ(Claremont College)とはポモナ大学、スクリプス大学、クレアモント・マッケナ大学、ハーベイ・マッド大学、ピッツァー大学で構成されており5大学間での単位交換を行っています。全ての大学がリベラルアーツカレッジであり、ポモナ大学は2013年版USニュース&ワールド・レポートによる発表でアメリカ国内のリベラルアーツカレッジの 4位にランクインしています。大変優秀で志の高い学生が通う 大学です。日本語を学んでいる生徒も来学期から日本に留学を考えていたり、以前日本に留学をしていたりなどの経験のある生徒が多くいます。

派遣先大学での業務について紹介させていただきます。私はLanguage Residentと呼ばれる語学を教える教師としてOldenborg Centerという施設に住み、働いていました。Language Resident には日本語の他にドイツ語、スペイン語、フランス語、ロシア語、中国語の教師がいます。私は大学を卒業して初めてのフルタイムでの仕事でしたが、他の同僚の教師は以前ツアーガイドや翻訳家、英語の教師、また母語の語学の教師としてお仕事をしていた方々など職歴は様々でした。日々同僚の方々からは多くの刺激を受け、多くを学びました。Oldenborg Centerという寮では言語を学ぶ学生たちが住む 寮と 教室、また食堂が併設されています。

私は 一週間に中級会話クラス2コマ(1コマ60分)、上級会話クラス2コマ(1コマ60分)、初級日本語の演習クラスを4コマ(1コマにつき50分)担当しました。初級日本語の演習のクラスは“げんき”という教科書をもとに作成し、中級会話クラスと上級会話クラスは教科書やシラバスなどはなく一から授業を作ります。あらゆる手段を使って試行錯誤の上授業を考えました。会話クラス作成に関して、この作業は私にとっては決して簡単なことではなく、インターネットや書籍からアイディアを集めたり 、大学の日本語の先生のオフィスアワーの時間に訪ねてアイディアを頂いたりと、とにかく毎回の授業に間に合わせるのに必死といった状態でしたが、日本語の教授の経験がない状態で日本語を教える大変さを感じるとともに自分を成長させる良い機会になったのではないかと思います。日本語会話クラスを作成するにあたって私が気づいたことは日本語会話「生徒は日本語のどのような特徴について学びたいのだろう」ということに目を向けることが非常に重要になってくるということでした。このことに気づいてから私は積極的に生徒たちが求める日本語会話クラスの考案にシフトしました。主な授業内容としては擬音語、擬態語を学ばせた後でショートストーリーを作らせたり、サラリーマン川柳をいくつか読ませた後で テーマを“大学生活”と設定して皮肉を交えて作らせたり、吉本新喜劇の動画を見せ、関西弁について学ばせた後でスキットを作らせ 演じさせたりと生徒の興味を刺激する授業に転換しました。 一生懸命作った授業は生徒も一生懸命な姿勢で取り組んでくれました。先生の頑張りと生徒の授業に対する取り組みは鏡の関係にあるのだなと改めて実感しました。

私は今回のプログラムで、新しい環境で新たに出会った人々の輪に飛び込んでいくことの難しさ、自分の足で立っていくという大変さを痛感しました。 自分に足りなかったものをよく心に留めてこの先の人生を歩んでいきたいと思います。

最後になりましたが、今までお世話になったIIEの皆様、日米教育委員会の皆様、ポモナ大学関係者の皆様方、生徒の皆さん、今までご支援いただきまして本当にありがとうございました。

2.新井 恵子 ---Spelman College, Atlanta, GA

中間レポート

“How are you doing, sweetheart?” 私の派遣先であるSpelman Collegeは、Southern Hospitality(南部気質)あふれる挨拶で一日が始まります。Spelman Collegeは、ジョージア州アトランタの黒人系私立女子大学で、隣接する男子大学のMorehouse College, 共学のClark Atlanta Universityの三校でAtlanta University Consortium(AUC)という大学コミュニティを形成しています。

 AUC内では、他大学の授業履修をはじめ、図書館やシャトルバスの利用、イベントの実施等が共同で行われています。そのため、Spelman大学構内も普段から男子学生が多く、女子大とはいえ共学のような雰囲気です。

Spelman には過去2回日本人FLTAが派遣されており、私で3人目になります。前任のFLTAも述べていますが、AUCの学生・教職員は主にAfrican Americanです。留学生もアフリカ出身が多く、ヨーロッパ系(白人系)やアジア系の学生・教職員は少ないため、当初は自分が「外国人」になる感覚に少し違和感がありました。一方で冒頭のように気さくに話しかけてくれる人も多く、仲良くなればいろいろと親切にしてもらえます。秋学期を経てクラスメートや親しい同僚もできたため、春学期は公私共によりアクティブに行動したいと考えています。

【日本語の授業について】 秋学期は、月水金の3日間、初級1,初級2,中級,中上級の計4レベルを各50分ずつ、上級クラスは週1回60分、指導教員(上海出身)と一緒にティームティーチングを行いました。以前の報告にもあるように、日本語クラスはAUC内でSpelman Collegeのみで開講されているため、他大学から履修に来る学生が多くいます。2011年の震災直後は履修者が減ったものの、昨今の日本のアニメやファッション等のブームの影響もあり、初級1だけで約25人、4クラス合せると65人ほどの学生が日本語を学んでいます。一方、必修外国語全体から見ると学生の多くはスペイン語に集中しており、その他言語(フランス語、ラテン語、日本語、中国語、ポルトガル語)は常に学生の獲得に奔走しています。着任後最初にした仕事は授業のチラシを配って回ることでした。日本語と中国語は文字や文法が英語と異なるため、こちらの学生はハードルが高く感じるようです。2020年の東京オリンピックに向け、今後日本語を習う学生がより増えることが期待されます。 授業内容についてですが、私が渡米直前まで前職の仕事を続けていたため、初めのうちは指導教員がメインで教える傍らでサポートを行い、徐々にクラスの前に立つようになりました。テキスト「げんき」を使用し、単語の練習をしてから本文、文法と進むのですが、1日にレベルの異なる4クラスを続けて教えるのは想像以上に労力がいります。秋学期は、外国語としての日本語の文法用語(particleの, うverb, るverb等)に慣れるのにまず時間がかかりました。さらに、各クラスに合ったアクティビティの準備も指導教員から依頼されるのですが、全クラス分を準備する時間がなく、わずかな休み時間にコピーに走ることは多々あります。また、同じクラス内でも、大学から日本語学習を始めた学生もいれば、高校で既習した学生、日本で居住経験があったり親戚が日本人だったりする学生、一学期空けて次のレベルに進む学生もいたりと、進度も様々です。そのため上級者には、メインの教員が挙げた例文に説明や漢字を補足したり、反対に遅れ気味の学生には、文法を説明する際に活用表現を表にまとめたり等、できるだけ多くの学生が学びやすいよう工夫をしました。授業外では、週に3時間オフィスアワーを設けて、授業の補習や課題のサポートをしたり、週1時間のLanguage Tableに日本人留学生を呼んでグループチュータリングを行ったり、日本の文化や生活事情についてディスカッションをしたりしました。学生と話が盛り上がるとつい時間を忘れてしまいがちで、オーバーワークにならないよう指導教員から声がかかることもよくありました。

【課外活動支援:Nippon Club】FLTAにはCultural Ambassadorとしての役割もあり、私は月に2~3回行われる日本クラブのミーティングに参加しています。彼らの活動は学生が日本関連のプレゼンテーションを行ったり、日本食パーティを開催したりすることがメインで、私は話題提供や質問への回答等をしています。また11月半ばには、学内で実施されたInternational Education Weekに日本クラブが2日間出展した際、共同責任者として運営にあたりました。例年、クラブの学生や日本人留学生とFLTAが協力して日本語と日本文化の紹介をしており、今回はメインイベントとして初日にお寿司のデモンストレーションと書道・おりがみ体験、二日目に着物と茶道体験を行いました。訪れたゲストには日本語で挨拶をしてもらい、その後体験活動をするという流れで、100名を超える学生やスタッフに日本語・日本文化に触れる機会を提供することができました。

【学生としての活動】秋学期には、History of English Languageと、Survey of African American Musicの2コースを受講しました。仕事とのバランスを考え、英語史のクラスは単位を取得するcreditの学生として、音楽のクラスはaudit(聴講生)として履修しました。英語史の授業は、将来教師を目指す英語専攻の学生向けのためか、4回に1度のペースでテストがあっため、毎回準備に追われたものの、授業を通して音声記号や古英語等、かつて学生時代に習ったことを学び直し、さらに理解を深める良い機会となりました。特にアメリカの方言(なまり)を体系的に学んだ際は、クラス全員で各地の発音やアクセントを真似てみたり、自分の話し方がどの地域に近いか議論したりという、日本ではなかなかできない経験ができました。10月下旬のThanksgiving休暇でサウスカロライナ州へ行った際や、冬休み中に北東部を旅行した際、南部なまりや各地の特徴を事前に習っていたことが役立ちました。アフリカンアメリカン音楽研究のクラスは、ジャズやヒップホップ、ゴスペル等、様々なジャンルの音楽の概要を学び、クラスでディスカッションを行う形式でした。毎回読む課題の量は多かったものの、担当教授がアーティストとして長年活動しており、時おり実際に伝統楽器やサックスを演奏してくれたりする和やかな授業でした。日本で個人的にゴスペルコンサートに参加したこともあったため、毎回の音楽鑑賞は楽しみの一つでした。クリスマスにワシントンDCの教会でジャズイベントのボランティアをした際、以前とは違う角度から鑑賞できるようになり、今まで以上に音楽を楽しめるようになれたと思います。

1月半ばから春学期が始まりました。プログラム後半の春学期は、この4カ月の経験や11月末にフロリダで参加した全米の外国語教育者向け学会で得た知識、ワシントンDCでのMid-termカンファレンスで学んだ指導法等を生かし、より活発でインタラクティブな教育活動に取り組もうと思っています。そしてこの素晴らしいプログラムへ感謝するため、また自分の成長のためにも、日々を大切にし、今学期を終える頃にはなにか1つでも形に残る成果を残したいと考えています。


最終レポート

帰国後早2ヶ月が過ぎました。すぐ就職活動に取り組み、今回の経験を活かした職に就くことができてやっと一息ついたところです。フルブライトFLTAプログラムでは、レポートには書ききれない、たくさんの貴重な経験と友人との出会いがあり、私の人生の大きな転換点となったことは間違いありません。まずはこの素晴らしい機会を頂いた日米教育委員会の皆さま、プログラムを支えている国務省の皆さまや受入大学の皆さま、ご支援頂いた多くの関係の皆さまに感謝申し上げます。 まず、日本語クラスについてご報告します。春学期は日本語コースを3つ、新しい日本と中国のビジネスと文化理解のコースを1つ、指導教官とティームティーチングで行いました。秋学期での経験を踏まえて授業の準備は比較的楽になるかと考えていました。しかし、同じ授業内容でもメンバーが異なると進度も異なります。さらに今学期は文化中心の新しいコースも始まったので、秋と変わらず準備に追われる日が続きました。日本語コースは102(初級2)、201(中級1)、202(中級2)の3つで、主に秋学期に受講した学生が次のコースを受講していましたが、101でひらがなや挨拶などを楽しく学んでいた学生も、文法を学ぶ段階に入って授業についていけなくなったり、他の授業で課題が増えたことも影響してか欠席者が増えたりと、また違った点で授業運営に苦労しました。指導教官も、学期後に控えたサマースクールの準備が忙しく、打ち合わせも多くあったため、結果的に私一人で授業を行う時間が増えました。私も前学期学んだことを活かそうと思っていたので、この機会にと色々な教授法を試しました。例えば運動やゲーム性、絵や映像を多く取り入れると言葉の記憶力が高まるため、方向を表す単語でダンスをしたり、単語テスト前にチーム制でかるた大会を行ったり、日本語を楽しみながら学習できる様々な手法を取り入れるよう努力しました。新しい文化理解のコースは、日本や中国を紹介する短いビデオや文献を用いながら、アジア圏のビジネス文化の特徴やアメリカとの違いについて議論するコースで、中国出身の指導教員と日本出身の私が学生の質問に応えながらディスカッションを行うという、まさにCultural ambassadorをした授業でした。ビデオは指導教官がYouTubeから抽出した欧米視点から日本と中国を見たドキュメンタリーが多く、学生たちも興味深く鑑賞していました。またこのクラスは挨拶などの基礎的な会話練習も行ったため、101を教えた経験を活かし、自己紹介ゲームや年齢順に並ぶゲーム等を行い、活動を通して日本語を学ぶ場を作ることができました。

春学期は授業外活動もより積極的に展開するようになりました。日本語に関しては、文化理解コース履修者でサマースクール参加を予定している学生へ週1時間チュータリングを行い、学期中に101レベルを習得させるよう指導教員から指示があり、日本人留学生と協力して指導にあたりました。文化理解コースは基本的に英語で行っており、挨拶等もローマ字で学習していたため、まずひらがなとカタカナを学習させる必要がありました。ただし、授業外に時間を設けていたため、忙しい学生は決まった時間に来られないことが多くありました。そこで毎回授業後に10~30分行うショートレッスンに変更したところ、少しずつ学習効果が表れてきました。帰国後、東京でサマースクールに参加した学生と会った際、大きく成長した姿を見られた時はとてもうれしかったです(写真はサマースクール中の1コマです)。

課外文化活動として、春学期は3月に大学主催の桜祭りがあり、指導教官と協力して生け花等の文化イベントを実施しました。私は日本語のショートレッスンと、文化理解コースの学生に「さくらさくら」の発表指導をしました。このコースは女子学生も多かったので、授業で数回練習を行い、当日浴衣を着せて、よい発表ができました。 秋から取り組んできたNippon Clubの活動は春学期により活発に行いました。実はリーダーの学生が秋に大学を辞めてしまったため、私とクラブの役員を務めていた学生が活動の推進役になって、映画上映会を3回、パネル発表を2回行ったほか、桜祭りの週末に構内の桜の下でお花見ピクニックを、また別にアトランタ市内の日本人留学生を集めてカラオケパーティを主催しました。春は学内イベントが多く、授業も忙しいので苦労もありましたが、学生が日本文化に触れる場を少しでも多く設けたいという思いで乗り切ることができました。

学生として受けた授業について紹介します。2つのコースとも、秋ではできなかったfieldworkがある点で、大学の外のアメリカ社会を見る機会を与えてくれました。 1つ目はOrientation to Educationという、教育専攻や教員志望の学生が必修のコースで、アメリカの教育の歴史や制度、教員になる際の心構え等を学びました。このコースは各章毎のテストや発表に加え、毎週課されたField Experienceでクラスメートと地域の学校を見学しに行く機会があり、忙しくも充実したクラスでした。creditで登録したため、スケジュール調整が大変でしたが、指導教員と相談しつつ、他の学生と同様のタスクをこなすことができました。授業担当はSpelman出身の若手教員で、自身の経験談を紹介したり、学生が考えることを重視したりと、模範となる授業を展開していました。授業では、各州・群・市ごとで異なる教育制度の仕組みや、公立学校の教育予算はその地域住民が納める税金が多く占めていることにより、地域の格差が教育の質に影響していることにも触れ、アメリカ社会の現実が垣間見えました。30人程いる大きなクラスでしたが、教育者となって少しでも社会的格差を減らすことに貢献しようという使命感を持つ学生も多く、(自分たちである)黒人女性が教師になることの意味を考えたり、Field Experienceのために教育者としての倫理テスト等を行ったりと、理論と実践を兼ねたコースでした。 2つ目のコースは、American Sign Languageです。アメリカ手話の基礎とDeaf Cultureの理解をする人気コースで、秋学期ではSchedule conflictがあり、春にやっと受けることができました。毎回新しい手話の宿題をこなし、授業内で教員がする手話の読解や対話を行うのですが、履修前はアメリカの手話を学んでも使用する機会がないのでは?と迷いもありました。しかし、ひとつの新しい言語の教授法を観察できるという点や、クラスでは基本的に手話で話すというルールの下、クラスメートと対等に授業が受けられる点も魅力的でした。授業の課題で聴覚障害者に扮して市内の公立図書館や郵便局等へ行き、対応の違いを見たのですが、日本で健常者として生活していると気付かない発見や驚きが多くありました。その他、世界初の聴覚障害者向けの高等教育機関であるGallaudet Universityについて学んだり、震災をテーマにして日本のDeaf Cultureをレポートでまとめたりと、一定の達成感を得られたコースでした。偶然学内で聴覚障害のある方と会った際、手話で自己紹介ができた時は嬉しかったです。 秋の2つの座学コース、また春の実践的コース2つを通し、様々な角度からアメリカ社会とその文化背景、また必要になる教育について総合的に学習し、個人的に成長することができたと感じています。今回得られた情報を今後も定期的にアップデートしていきたいと思っています。

最後に、将来FLTAになる方に向けて。日本で日本人としてmajorityでいると考え付かないことも、派遣先大学や旅行先で多くありました。私は始め自分一人で全て解決しようと思っていましたが、毎年同期のFLTAやアジア出身の仲間、またフルブライト関連の仲間がたくさんいます。私もプログラムを通じ友人ができたお陰でお互い助け合うことができ、ネットワークの大切さを実感しました。ぜひ遠慮なく色々な方へ声をかけ、助け合いの輪を広げてより実りある派遣期間を過ごして頂きたいと思います。私自身今後もFLTAアラムナとして、微力ながら貢献していきたいと考えております。ありがとうございました。

3.遠藤 彩代 ---University of Wisconsin-Stevens Point, Stevens Point, WI

中間レポート



 私はウィスコンシン州立大学スティーブンスポイント校に派遣されています。8月に日本を発ち、カリフォルニア州スタンフォード大学開催のFLTAオリエンテーションで素晴らしい国際交流の4日間を過ごしました。そしてサンフランシスコ空港からシカゴを経由し、セントラル・ウィスコンシン空港へ――。眼下に広がる広大な緑の大地に感動した瞬間や、小さな空港で現地の方がくれたあたたかな歓迎の抱擁が思い出されます。

ここスティーブンスポイントは州の中央に位置する人口7万人の小都市です。大学の教育内容は質実剛健、施設も無駄なく充実しており、生活に必要なものは大方近辺にあります。ポーランド系移民が多く、人々の主な信仰はカトリックという長閑なキャンパスシティで、治安は大変良好です。9月は友人と近隣の豊かな自然を訪れたり、マディソンまでドライブに行ったりと、短い夏を満喫しました。10月は色とりどりの紅葉の中、学内でジャズやクラシックのコンサート、ミュージカル、ハロウィンイベントが賑わう芸術の秋でした。11月末のThanksgiving Holiday前に雪が降ると、一気に氷点下10℃の気温に。ウィスコンシン川は氷に覆われ、1月初旬の大寒波到来は世界的ニュースになりました。下旬の今日は氷点下28℃です。初めて経験する厳しい冬ですが、寒さに負けず元気に活動しています。

FLTAとして担当している日本語クラスは、1st Year, 2nd Year(週5回), Intermediate(週3回) の3コースがあります。前任の方が報告されているとおり、ウィスコンシン州立大学オシュコシュ校から授業が中継されます。毎日、毎時間、先生方も学生もとても熱心です。パワーポイントとともにテンポよく授業が展開され、マイクと映像によって両大学の学生どうしで会話を練習する時間が多くあります。口答試験やプレゼンテーションもこの形式で行われます。サテライト講義の利点がよく理解され、実用的なコミュニケーション力の育成が明確に目指されています。私は授業中の学生たちのサポートや前後の準備、まれに発生する通信トラブル時の対応、課外でのチュートリアルクラスなど、常にオシュコシュの先生方と連絡をとりつつアシスタントをしています。学生たちは、日本語はもちろん、日本のさまざまな文化――衣食住、マナー、伝統芸能、音楽、アニメ、マンガ、映画、アート、建築等――に関心が高く、「日本に行ってきました」、「毎週太鼓を練習しています」と嬉々として話す様子にはうれしくなります。言語学習を通して日本文化を満喫している学生たちは、私にとっては今のアメリカを活き活きと教えてくれる存在です。また、スティーブンスポイント校は獨協大学との提携があり、交換留学で両校の学生が行き来しているのも特徴です。

こちらの学生たちは教室移動に慣れているだけあり、授業開始時間に遅刻してくる人はほとんどいません。授業前に教室前の廊下に座って復習している学生が多いことにまず驚きました。どの講義も時間きっかりに始まります。また、学生たちは本当によく発言します。自らの意見を公に言うことに対しては、私たち日本人とすこし違う価値観を持っていて、「この議論に積極的に参加しよう」、「みんなや先生にこんな視点があることも知ってほしい」という意識は総じて高いと言えます。必然的に授業には活気が生まれます。私が先学期受講したコースのひとつ、Environmental Ethics(環境倫理学)のクラスはその一例でした。毎回多くのリーディング課題が出るうえ、抜き打ちのクイズがあるため、睡眠時間を削って勉強した夜は何度もありました。しかし、学生の論理的思考能力を引き出す先生の技術は見事でした。授業内容は今日的なトピックに富み、非常に興味深く、気づけば身を乗り出して議論に参加していました。また、語学教師としてWAFLT(Wisconsin Association For Language Teachers) 2013 Fall Conferenceに参加したことも貴重な経験です。教育現場のリーダーシップをとる女性の多さ、教育IT導入のスピードの速さには目を見張りました。タブレット端末を生徒に与える学校や、BYOD(Bring Your Own Device)Schoolという生徒各自にラップトップの持参が求められる学校での取り組みなど、学習スタイルの変化に対して、教師も学生も総ぐるみで突入している状況を目の当たりにしました。今学期に受講するコースからもアメリカ、ウィスコンシンの教育の特色や現状をさらに学べることを期待しています。

最後に、文化交流の取り組みの一例を報告します。11月に日本語クラスの学生、獨協生をはじめとした日本人留学生、その他の留学生や友人たちを招待してONIGIRI & SUSHI PARTYを企画開催しました。日本食に興味を持った30人以上が参加し、おにぎりや巻き寿司作りを楽しみました。こうした会の実施を助けてくれるのは、スティーブンスポイントの親密な人々の繋がりにほかなりません。学内のInternational Clubのイベントや食事会、教会で出会った人々との輪をこれからも大事にし、新年も新たな集いの場を作りたいと思います。先学期はこれらの人々とインターネット上でコミュニティを作り、週1ペースで日本の文化や社会について1テーマをとりあげて議論を深めることにも挑戦しました。知日派の方々の日本に関する見識の深さや、若い生徒の新鮮な意見に、毎週驚かされています。

キャンパスの大学生たち、同僚や上司の先生方、近隣の友人たち、ホストファミリー、旅先で出会った人々、またオリエンテーションとワシントンD.C.カンファレンスで出会った日本および各国FLTAとの新しい交流の始まりは、この上半期の日々を本当に充実させてくれました。日本の学校教諭として英語・国際教育に取り組んだ過去6年間、「学校英語教育の改革」、「グローバル人材の育成」が声高に唱えられてきました。変革期を生きる教育者としてもっと見識を広めて成長したいという想いからFLTAプログラムに応募しました。そしてこの6ヶ月間、アメリカで体験し学んだことの多さはすでに想像以上です。日米の教育、思想、言語や文化をさまざまな角度から見つめ直せる毎日を心から貴重に思っています。

最終レポートでは、今回書ききれなかったことを含めて、冬休み以降の経験を報告したいと思います。渡米前から大変お世話になっているフルブライト・ジャパンとIIEのスタッフの皆様、昨年米国大使館で私たちを壮行して下さった前・駐日大使ルースご夫妻のご厚意への感謝とともに、ひとまず筆を置きたいと思います。


最終レポート

FLTAとしての活動を無事に終え、フルブライトジャパンとIIE、派遣先大学の皆さんから頂いたご支援にあらためて深く感謝申し上げます。この10か月の体験は私に人として教育者として向き合うべき課題に向き合わせ、視野を広げ、思わぬほど行動的にさせてくれました。出願を決めたとき日本の学生たちとの別れを覚悟することはやさしくありませんでしたが、あれから2年経た今、アメリカで活動した日々もまた何にも代えがたい私の財産となりました。

12月、ワシントンD.C.カンファレンスでは、言語、教育、文化に関する講座に参加しつつ、全米から集合したFLTAと貴重な時間を共有しました。日本人FLTAの仲間たちは各々の体験談を共有し励まし合い、冬休みの旅行を通して交流を深めました。また、夏のオリエンテーションで友人となった台湾人FLTAとワシントンD.C.を観光したことも忘れられない思い出です。ウィスコンシンでも感じたことですが、アメリカでアジア諸国出身者と交流するときはお互いの持つ共通点から兄弟姉妹のような感情がおのずと生まれます。政治的に困難な時期であっても日台中韓の教育者たちは東アジアの平和を守っていこうと握手と抱擁を交わすことができました。このように、オリエンテーションとカンファレンスではアジア・五大陸の教師たちと友人・知人となる機会を与えてくれます。彼らの積極的な姿勢、高い語学力、祖国への愛情から受ける刺激もFLTAプログラムの大きな魅力のひとつだと思います。

今回はアメリカ国内での旅行についても報告したいと思います。その国の風土や文化を理解するのに旅は欠かせません。J1ビザは任期前後の1か月間ずつを含めてアメリカに滞在できるので、冬休みや春休み以外に夏のオリエンテーション前や任期終了後にも、旅行するチャンスがありました。大西部は、陽気で日系移民も多いカリフォルニア州、緑と海の美しいオレゴン州、赤土とサボテンのアリゾナ州や、灼熱砂漠のネバダ州へ。ウィスコンシン以東では、シカゴ、ボストン、ニューヨーク、D.C.など、冬寒い気候の下にありながらアメリカの政治経済・学術文化の中心をなす諸都市へ。どの土地にも素晴らしい出会いがあり思い出を書き尽くすことはできません。治安に関する報道の影響で日本からアメリカへの旅行者や留学生が近年減ったと言いますが、正しい情報さえ入手して行けば安全に観光できます。いつもすてきな旅の仲間たちに恵まれた旅行は楽しく安全なものでした。さまざまな州、都市、大自然に足を伸ばしたことで、広大かつ多様性あふれる生身の合衆国を体感し、各地の特色と歴史を学ぶことができました。

アメリカの私のホームであるウィスコンシン州スティーブンスポイントでは、まさに家族のような絆で結ばれた友人たちと支え合って、長く寒い冬を共に乗り越えました。春学期から新たな学生も加わった日本語クラスでは、教授や学生との信頼関係と学生同士の連携が生まれ、授業にもチュートリアルにも活気が出ました。日本食パーティーへのお礼としてアメリカ人学生たち主催のAmerican Food Partyなるイベントが生まれ、日米学生の交流がますます深まった冬でもありました。4月にはInternational Dinnerという伝統ある学内行事があり、日本チームはジブリ映画から3曲のコーラスを披露しました。空き時間を縫っては念入りに練習した甲斐あって、当日は地域じゅうから集まった観客に大きな拍手と歓声をもらいました。私や同僚のモロッコ人FLTAは、大学生たちに比べて年上の講師であり学生でもあるので、初めは奇妙な立ち位置に思えましたが、日に日にスティーブンスポイントの暖かで積極的なコミュニティの一員になっていくのは感動的な体験でした。毎年長い冬に閉ざされる田舎町で、毎日を楽しむことに長けた人たちから人生と生活を愛する知恵をたくさん教わりました。

最後に、大学での学びの進歩を報告します。ウィスコンシン州立大学スティーブンスポイント校は教員養成が起源で、現在は自然資源学部の実力が高く、アメリカの環境教育の総本山とも呼ばれています。私は出願時の志望動機書に「教育におけるセカンドメジャーとして環境教育を学びたい」と書いたのですが、幸運にもIIEのスタッフと大学側がその記述に注目して私の任地が決まったようです。2学期間で受講したのはアメリカ政治学、環境倫理学、環境教育、教育テクノロジーの4コースでした。環境教育の授業の一環であるサービスラーニングで、学内のWisconsin Center for Environmental Education (WCEE)と自然保護区Schmeeckle Reserveでボランティアをさせて頂きました。外国人留学生とアメリカの学生が対象の国際交流と環境教育を融合した新しいイベント、Cross-Cultural Nature Hikeを考案、多くの方々のご協力を得て4月末に実施することができました。参加者をはじめ自然資源学部の教職員もこのイベントを高く評価してくださり次年度から恒例化したいと言ってくださいました。ウィスコンシンでのProject Learning Tree(PLT)の講師免許を取れたので日本のPLT講師免許も取るつもりです。環境教育のテクニックを英語教育でも応用し、授業やカリキュラムの進化を目指した研究を続けて行きます。

2014年7月現在、本プログラムの対象者は私の応募時よりも若干幅広くなっています。今後、特に教職者・社会人で出願を考えている多くの方々には、アメリカで生活し教え学ぶというまたとないチャンスをぜひ掴んでいただきたいと願っています。FLTAプログラムでの新しい経験から培った力と人脈を、日米の教育向上のために今後も活かしていきたいと思います。

4.畠山 康平 ---Pacific U., Forest Grove, OR

中間レポート

周囲に全くついていけず意気阻喪した夏のオリエンテーション。初めの頃は上手く意志の疎通ができず、ストレスでおかしくなってしまいそうでしたが、今では大分楽しみながらアメリカでの生活を送れるようになりました。私はアメリカ北西部オレゴン州フォレストグローブにあるパシフィック大学というところに派遣されています。私と同じように派遣されている他国のTAたちと一緒に、大学近くの一軒家をシェアして生活しています。

 フォレストグローブは小さな町ですが、スーパーやレストランが徒歩圏内にあるため、生活にそれほど困ることはありません。

バスと電車に乗って1時間半ほど行けば、全米で最も環境に優しいと言われ、住みたい都市ランキング第1位にも選ばれたことのある、オレゴン州最大の都市ポートランドまでアクセスすることもできます。基本的に雨が多くどんよりした天候が続くオレゴンですが、その分、夏はカラッと乾燥し、冬でも雪が降ることはほとんどないので、アメリカの中では比較的過ごしやすい場所であると思います。

大学の概要をもう少し説明したいと思います。パシフィック大学の規模は学生数3,500人ほどで、キャンパスを歩くと必ず知り合いとすれ違うような小さな私立リベラルアーツ大学です。大抵のクラスは10~30名程度の少人数で行われています。太平洋が近いため、アメリカ本土だけではなくハワイの島々からもたくさんの学生が来ており、日本語の受講生も彼らが大半を占めています。日本人の家族を持つ学生も多く、苗字やミドルネームが日本の名前になっている人も少なくありません。彼らは生まれた時から日本語や日本の文化に触れているので、日本語を学ぶモチベーションも高く、日本人である私にとても親しげに接してくれます。また、大学には日本からの留学生もたくさん来ており、秋学期には5つの大学から20名ほどの日本人留学生が在籍していました。春学期にはさらに数が増える予定なので、日本語を学ぶ学生たちにとっては非常によい環境にあると思います。

大学で開講される日本語の授業についても触れておきます。秋学期は6つの日本語のクラスが基本的に週に3コマずつあり、私はアシスタントとして授業に参加していました。授業ごとのレベルは実に様々で、一番初級のクラスはひらがなから教える、まさにゼロからの授業でした。15名程度の小さいクラスでしたが、私以外にもメンターとして日本語上級の学生たちがいたので、多い時では4人体制でクラスを小さいグループに分けて教えることもありました。学期末にはほとんどの学生がひらがな、カタカナ、簡単な漢字をマスターし、初歩的な会話が出来るまでになっていたので、学生たちの頑張りにはすごく驚かされました。また、一番上級のクラスはバイリンガルや留学経験のあるような学生が受講する非常にハイレベルなクラスで、授業は基本的に全て日本語で行われました。あるテーマに関するアンケートや世論調査、映画の分析などを通して日本とアメリカの文化の類似点や相違点を探るという内容のもので、私はアシスタントというよりはインフォーマントのような形で、数人の日本人留学生とともにディスカッションに参加していました。双方の仕事観、家族観、結婚観などをめぐって毎回面白いディスカッションが展開されるので、日本人の私からしても新たな発見ができる、とても刺激的なクラスでした。

日本語の授業以外では、週に2回ほどランチをしながら日本語の会話の練習をするJapan Tableというものがあります。日本語や日本文化に関する質問に答えたり、互いのプライベートを聞き合ったりするようなカジュアルな場なので、私だけでなく日本人留学生たちとの交流の場にもなっています。その他にも週に1回Japan Nightというイベントを主催し、日本語を学ぶ学生たちに日本の文化を体験させています。秋学期は学生たちと一緒に日本料理を作ったり、映画を観たり、書道をしたり、かるたを手作りしてゲームをしたりしました。毎週のネタ探しと準備に多大な労力を要し、自分の知識・経験不足を痛感する仕事でもありましたが、日本の文化がどれほどたくさんの学生に愛されているのかを実感できる場でもあり、最もやりがいを感じる仕事であることは間違いありません。

秋学期に私が受講した人類学と教育学の2つのクラスについても書きたいと思います。人類学のクラスでは、ネイティブアメリカンやハワイのポリネシア人など、各地のいわゆる先住民の歴史や文化について学びました。アメリカという国の発展はしばしば英雄詩的に語られますが、一度視点を変えてみると、突然やってきたヨーロッパ人が先住民たちを非文明的であると言って大量に虐殺し、土地や文化を次々と奪っていった破滅の歴史でもあります。先住民と呼ばれる人を先祖に持つ学生が写真や文書を持参し、実際に彼らがどのような環境で生活していたのかを授業で語ってくれたこともありました。ものの見方を変えるということが、時にどれほど恐ろしいことなのかを実感する授業でもありました。また教育のクラスでは、主にアメリカの学校教育における問題点について学びました。アメリカの教育というと世界でも最先端なイメージがありますが、実際にその教育を受けられるのは、資金と能力のある一部の人に過ぎません。アメリカの教育には以前から人種差別や地域による格差、子どもの言語能力、高額な教育費などの問題があり、これまで様々な対策が講じられてきましたが、今でもまだ完全には解決されていないようです。いじめや学力といった「質」的なものを主に問題視している現代の日本と比べると、アメリカの教育は環境や制度面での問題が多く、これも「人種のるつぼ」といわれるアメリカだからこそ抱えてしまう問題なのかもしれないと感じました。

この国での「学び」には知識を得ることだけではなく、自分の解釈や考えを周りと共有することが求められます。もちろん日本語のクラスや私の受講したクラスも例外ではありませんが、突然の質問に何も言葉が出て来ないことや、反射的に「分からない」の一言で片づけてしまい後悔することも何度もありました。アメリカでの生活に慣れてきたとはいえ、今でも上手くコミュニケーションがとれないことの方が多いのが現状です。もうすぐ春学期が始まりますが、このような恵まれた環境にいられることへの感謝の気持ちを、自分自身の成長を通して周りの方々に伝えられるよう、さらに精進していきたいと思います。


最終レポート

 渡米前から9ヶ月なんてあっという間だということは十分承知していたつもりでしたが、それでもやはりこの9ヶ月間は今まで過ごしてきたどんな時間よりも早々と過ぎていきました。日本にいた頃とは違いすぎるほどの環境や人間関係の中での生活だったせいか、帰国したときはそれまでのことがまるでただの夢であったかのように感じ、不思議と日本の様子に懐かしさを感じることもなく、すんなりと普通の生活に戻ることができました。とは言っても、やはり以前に比べて日常的に遭遇する日本的なものに敏感に反応するようになったし、アメリカだけでなく、他の諸外国の話題にも自然と興味を持つようになりました。国際社会に生きる日本人として、少しは成長することができたのではないだろうかということを思いながら、以前とはどこか違って見える日本での生活を楽しんでいます。

 春学期の日本語の授業は秋学期と同じようにレベル別に6つのクラスがあり、私の基本的な仕事も同様に各クラスの補佐と週2回のLanguage Table、週1回のJapan Night、それに加えて春学期からはTutoringとKanji Clubも新たに担当することになりました。さらに春学期にはひとつ、Japan Dayという大きなイベントがありました。これは、日本語の先生方や日本語を学ぶ現地の学生、日本からの留学生など、日本に関わる様々な人たちが皆で協力して作り上げる祭りのようなイベントです。カレーライスや焼きそば、ぜんざいといった料理をすべて自分たちで調理し販売するほか、近隣のちびっ子太鼓クラブと一緒に太鼓のパフォーマンスをしたり、ソーラン節、J-pop、K-popなどのダンスを披露したりしました。大きいイベントである分、準備にかかる時間も決して少なくはなく、イベント前の約1ヶ月半は毎晩のように1~2時間のダンスレッスンがありました。私はソーラン節の指導を担当しましたが、特にダンスの経験がある訳でもなかったので、まず何度も動画を見返して振り付けを覚えるところから始めなければなりませんでした。きちんとした指導ができるか不安でしたが、学生たちは私のつたない指導を一生懸命に聞いてくれました。彼らは驚くほど飲み込みが早く、最終的にタイミングや振り付けの微妙な角度など、かなり細かい箇所まで意識した、完成度の高いパフォーマンスをすることができました。その結果、Japan Dayは大成功に終わり、また、イベントを主催したJapan Clubは、後日、Best Culture Sparkという異文化交流の分野で最も貢献したサークルに贈られる賞を受賞しました。イベントには予想以上に多くの人に来ていただいたので、人手が足りない、料理が足りないなどのトラブルも多々ありましたが、地域住民の日本に対する関心の高さを知る良いきっかけにもなったし、何よりこのイベントを通して学生たちと接する時間が増えたことをとても嬉しく感じました。

 また4月には、日本語専攻のある近隣の大学と合同で、4年生たちによる卒業プロジェクトの発表会が開催されました。そこでは日本の自殺問題や子育て事情、ゴミの分別などの社会的分野から、アイヌ人の文化や日本の葬式事情、ジブリ映画における歴史認識などの文化的分野、そして、東京オリンピック招致のプレゼンテーションの分析や「kawaii」という言葉のグローバル化といった比較的最近の話題に至るまで、目の付け所がとてもユニークで面白い発表がたくさんありました。また、その数日後にポートランドで行われた日本語スピーチコンテストにもパシフィック大学から数名の学生が参加しました。このコンテストはオレゴン州と姉妹県である富山県が毎年主催し、優勝者には富山県への研修旅行をプレゼントするというもので、詩的で趣のある表現を使って自分と日本との関わりを表現していたり、心理学と日本文化を絡めて専門的に日本人の国民性を分析していたりと、そこでのレベルの高い闘いっぷりに非常に驚かされました。オレゴン州は、人口当たりの日本語学習者が全米でハワイ州の次に多いと言われるほど日本語教育の盛んな州であり、このような姉妹都市との積極的な交流や様々なプログラムが、オレゴン州の日本語教育と学生たちのモチベーションを支えているのだということを実感する機会にもなりました。

 春学期に私が受講した授業は、西インド諸島の文化人類学と子どもの言語獲得についての2つです。特に言語獲得の授業は非常に興味深いもので、主に英語に焦点を当て、子どもがどのように言葉を使えるようになっていくのかを学ぶ、という内容のものでした。日本の大学にいたときにも言語獲得については授業の中である程度学習しましたが、今回は実際に大学に併設されている保育所に行って子どもたちとの会話をサンプリングしたり、各発達段階の子どもが映っているネット上のホームビデオを何本も見たり、子育て中のママさん学生からお話を聞いたりなど、より身近な材料を使っていたので、言葉を獲得していくというプロセスを自分でも何となく感覚的に体験しているような気分になる授業でした。このようにしてネイティブスピーカーの言語獲得の過程を辿っていくことは、もちろん大人が母国語以外の言語を習得していくのとは全く勝手の違うものですが、彼らにしか分からない感覚の領域に切り込んでいく良いヒントになるのではないかと思います。言語を学び、教えるという立場にいるからには、もう少し詳しく勉強してみたいと思える内容の授業でした。

 アメリカでの生活に慣れ、少し余裕が出てきてからは、仕事や授業以外でもアメリカの日常をできるだけ体験しようと、大学のオーケストラに所属してコンサートに出演してみたり、ラフティングなどのアウトドアスポーツに挑戦してみたりもしました。めったに雪が降らないはずのオレゴンにも今年は何年かぶりに大量の雪が降り積もり、キャンパス内でスキーをしたり裸で走り回る学生たちを横目に見ながらも、私も学生たちと本気で雪合戦をしたり巨大な雪だるまを作ったりなど、なかなか日本では人目を気にしてできないようなこともしていました。ゾンビのメイクをして子どもたちを出迎えたハロウィンや、友人の実家で過ごした本格的なサンクスギビング、死ぬ思いで凍えながら耐え抜いたニューヨークの年末カウントダウンなど、大きなイベントの類もしっかりおさえつつ、連休にはアメリカ国内各地へ旅行に出かけ、たくさんの人が集まる大都市から雄大な自然に至るまで、多くの観光地を訪れました。写真でも映画でもなく、自分の目で見て体験したことは、これから先、何らかの形で自分の経験を誰かと共有していく上での貴重な思い出かつ資料として、私の中にずっと残っていくものになるだろうと思います。

 ひとりの学生として、そしてひとりの教師としてアメリカでの生活を体験できたこと、互いに励まし合えるTAの仲間や、異国の地で何年もプロとして働いている先生方、大切な友人や学生たちに出会えたこと、そして自分自身を成長させ、次に進むための課題を見つけることができたことなど、まだまだ書ききれないことはたくさんありますが、これだけのことを一気に経験できるというのは、やはりこのFLTAプログラムならではのものだと思います。アメリカで学びたいという私の思いを理解し、これまで支えてくれたすべての人たちに感謝しながら、これからは私が多くの人を支えてあげられるような、立派な人間になれるよう努力していきたいと思います。

5.木村 佳代 ---U. of Central Florida, Orlando, FL

中間レポート

私は2013年度FLTAとして、フロリダ州オーランドにあるセントラルフロリダ大学に派遣されました。サンシャイン・ステイトと呼ばれるフロリダは一年を通して温暖な地域、だと思っていました。いや、実際に夏は毎日33℃になるくらい暑いし、冬でも半袖で過ごせるくらい暖かいのです。しかし、夏は建物のなかが冷房のせいで寒すぎる、また冬は寒冷前線の影響で冬物のコートが必要なくらい寒くなる日もあるなど、気温の変化についていけず私は二度ほど風邪をひきました。ヤシの木が並ぶ風景はカリフォルニアにも似ていますが、ここにはアメリカ南部の文化があり、また南米やカリブ地域出身の人が多く、人びとはとても明るく暖かいです。

 山がなく平坦な土地が永遠と広がっているこの場所で見る空は、東京の高層ビルのはざまから見る空とは異なり、とにかく広く、自分がアメリカにいるのだということを感じさせてくれます。

8月の初めに渡米し、イリノイ州ノートルダム大学でのオリエンテーションに参加したあと派遣先のオーランドへと向かったときは、期待とともに不安でいっぱいでした。空港でスーパーバイザーに出迎えてもらってから、もう一人のスーパーバイザーであるBurnett Honors Collegeの学部長のお宅に向かい、歓迎を受けたときも私は少し緊張していたように思います。彼らはビーチやオーランドの街、そして大学内を案内してくれ、私がアメリカでの生活を始める手助けをしてくれました。大学内の寮に移ってからは、授業が始まるまでの一週間、そして授業開始直後は、ほとんど寝ずに準備をし、毎日がめまぐるしく過ぎていきました。

秋学期は、セントラルフロリダ大学のBurnett Honors Collegeが開講しているJapanese Language and Cultureというワークショップで初級と上級の授業を担当しました。この授業を担当する教員は私のほかにいないため、どのような授業をするかは全部自分次第です。それまで日本語を教えた経験も教師経験もなかった私は、毎回の授業が試行錯誤でした。日本語についての本を読んだり、インターネットで日本語の授業のアイデアをサーチしたり、聴講していた外国語教授法に関する授業で得た知識を取り入れてみたりしながら、なるべく学生に発話してもらうことを重視した授業を行ったつもりです。この授業は単位のない授業だということもあり、また日本語と日本文化についての授業なので、試験や課題をこなすことを厳しく要求するよりも、楽しく学んでもらおうとクラスの雰囲気作りを意識しながら、初級のクラスでは浴衣の着付けや日本食の紹介など時折文化紹介の機会をもうけました。Honors CollegeのFLTAによる日本語のクラスは私で三年目です。上級の学生たちは、私の前任者の方々のクラスを取っていて、今年も日本語の授業が開講されることを楽しみにしていました。授業開始直後は、学生たちのレベルが違うなかでどのような授業をしたらいいのか悩みうまく授業を進められないこともあったのですが、逆に学生たちが授業のアイデアを出してくれるなど、彼らにはとても助けられました。日本語を学ぶ学生の中には、日本のアニメや音楽などに精通している学生が多く、私が知らない最近のアニメを教えてくれたりもしました。他に日本語の授業を取る理由は様々で、日本のサブカルチャーはあまり知らないけれど日本の文化に興味があるという学生、そして日本語という言語に興味がある学生などがいました。英語や西洋の文化に興味を持ち大学で英米文学を専攻してきた自分としては、彼らから日本文化や日本語の魅力を聞くたびに、自分の属する国や文化を他者の視点から眺めるという不思議な感覚で日本文化を再発見する機会を得ることができたと思います。日本語の学生たちは日本の社会や政治の問題にも関心を抱いていて、いじめ、ひきこもり、過労死、自殺、出生率の低下と高齢化、近隣のアジア諸国との関係などについて質問されることもありました。春学期では、これらのトピックとそれに加え震災と原発について、授業で扱ってみたいと思っています。

また、大学では二つの授業を聴講しました。一つ目は、Grammar for ESOL Teachersという授業で、英語学習者に英文法をどう教えるかについて実践的な教授法を学ぶことができました。留学生もたくさん出席していたこの授業では、同じ英語の文法項目でも日本語話者が間違えやすいポイント、スペイン語話者が間違えやすいポイントなど、常に第一言語との関係において英文法を捉えていた点が興味深かったです。言語、そして言語教育への興味をかき立てられる授業でした。毎週リーディングとオンラインでの確認テストの課題がありましたが、自分が教えている日本語の授業にとっても非常に参考になりました。二つ目は、Harlem, Haiti, and Havanaというアメリカ黒人とカリブ海地域の作家の文学作品を学ぶ授業を聴講しました。生きた時代と場所、創作言語、そしてジェンダーがそれぞれ異なる作家たちの作品のなかには、共通して、リズム、ダンス、口承文化などのアフリカにルーツをもつ創造的な表現のありかたが見出せます。フロリダという南米やカリブ文化が混ざり合ったこの場所で学ぶのにふさわしい内容だったと思います。

授業以外の活動としては、Honors College主催の文化紹介イベントを月に二回ほど担当させてもらいました。特に日本食を紹介するイベントは人気で、お好み焼きと餃子のデモンストレーションをしたときはたくさんの学生が集まりました。手巻き寿司体験イベントでは、みんなが自分で巻いたお寿司をおいしそうに食べていて嬉しかったです。アニメナイトでは『となりのトトロ』を上映しましたが、お風呂でお化けを怖がるメイと五月の二人を、父親が大声で笑うことで笑わせるシーンではどっと笑いが起きるなど、みんなの反応を見るのも興味深かったです。

日々の生活にとって重要な食文化についても少しお伝えしたいと思います。私の寮はキッチンつきで自炊が中心です。スーパーでは食品の選択肢の多さにとまどい、肉を買うにも部位の表記が日本とは異なり薄切り肉も手に入らず、新鮮な魚介類や日本独特の野菜などの食材の確保が難しいため、こちらで日本食を作るとその美味しさを再現できないこともあるのが少々残念ではあります。また、豪快な味付けや加工食品に慣れているこちらの人々にとっては、素材本来の味を味わおうとする日本食は、少々薄味に感じられるようです。やはり寿司は人気で日本食のファストフードなんかもあり、日本食への関心は高いですが、オーセンティックな日本食を食べたことのある人はまだまだ少ないと感じました。また、シーフードが苦手な人も多く、たこなどの見慣れない食材を扱っていたときにはルームメイトが驚いて悲鳴をあげていました。私自身は新しい食べ物に挑戦するのが好きなので、ここでの食生活には満足しています。みんながおすすめだと言って連れて行ってくれたメキシカンレストランやピザ屋はお気に入りです。また、グリッツという南部料理、スーパーバイザーのお宅でいただいたターキーなどのサンクスギビングの定番とされる食事、フロリダという場所柄もあって食べる機会の多い南米の料理など、未知の味に出会うことができてとても幸せです。

アメリカでは日本との生活の差にとまどうこともありますが、とても居心地が良いと感じることもあります。特に、人びとの明るさや寛容さにはとても救われます。日本語の授業やイベントで、多くの人はとてもよかった、ありがとうと声をかけてくれますし、何かあれば積極的に助けてくれます。また、職場で遅くまで教案を作っていた時に、あまり働きすぎないで、と声をかけられたのが印象的でした。こちらではみんな夕方5時には仕事を切り上げて帰宅します。週末には自分や家族との時間を大切にしているようで、仕事はもちろんしっかりこなすけれど、メリハリをつけて自分の時間も大切にしているようでした。私のルームメイトたちも、授業の合間にジムに行ったり週末はパーティーに行ったりと、勉強と趣味や遊びのバランスをうまくとっているようです。

2013年8月に派遣されてから半年が経ちましたが、大学のスタッフや学生たちなど多くの人と出会いました。またノートルダム大学でのオリエンテーション、そして12月のワシントンDCでのミッドターム・カンファレンスでは、世界中のFLTAと交流することができました。こんなにたくさんの違う文化背景をもった人々と出会えるのは、FLTAだからこそできる特別な体験だと思います。


最終レポート

FLTAのMid-term Conferenceで新たな刺激をもらい、冬休みにはアメリカ国内を旅行して気分を一新して迎えたUniversity of Central Floridaでの春学期。秋学期と違っていたことは、生活や授業に慣れていたことでした。そのため春学期では、授業準備にも日々の生活にも余裕を持って臨むことができ、よりアメリカでの生活を楽しむことができたと思います。

春学期にも、アメリカ文学と言語習得関連の授業を聴講しました。Literature and Popular Cultureという授業では、1950年代に現れたビート・ジェネレーションと呼ばれる作家たちの活動は、その後のアメリカ文化にどのような影響を与えたのかを考えました。ビート・ムーブメントは、画一的な社会体制や物質文明に対して反抗を示し、自由を求めた若者たちが担った運動で、それは1960年代にはカウンター・カルチャーやヒッピー・ムーブメントへとつながっていき、反戦運動や人権運動へと人々を駆り立てていきました。平等の理念や人権という権利を戦って勝ち取ってきた伝統はアメリカが誇る文化だと思いますし、それは現代においても人々が政治に対して高い関心を示し、必要であれば行動を起こすという態度にも表れていると思います。ユーモアも交えながら学生に語りかける教授がとても印象的な授業でした。学生たちが発言しやすいリラックスした環境作りは自分の授業にとっても参考になりました。

もう一つのSecond Language Vocabulary Researchは、第二外国語学習者の語彙習得に関する研究の仕方を学ぶ大学院生向けの授業でしたが、留学生が多く、また秋学期に授業で一緒だった学生もいて、アットホームな授業になりました。語彙を習得するのに、英英辞典だけで学ぶのと母国語の助けがあるのとではどちらがいいか、また単語だけで暗記するのと、文章を読む過程で単語を覚えるのとどちらが効率的か、というような問題を扱った論文を読みました。自分の教え方を改善する上で、理論や研究の情報を取り入れていくことは重要だと思います。実際論文を読んでいると、これは自分の授業に応用したらどうなるかなど、授業のためのアイデアを膨らますことができました。予習では多くの文章を読まなければなりませんでしたが、授業では論文の感想や自分の教育現場での実体験などについて皆が自由に発言していて、とても楽しかったです。また私は、教科書の内容についてのプレゼンテーションを担当することができました。

春学期に担当した日本語の授業は、初級と上級クラスの二つでした。新しい顔ぶれの初級クラスは、前期に試行錯誤して作った教材を活用しながら、改善を加えたり、やり方を変えてみたりしました。例えば、言語学の学生や言語を勉強するのに興味がある学生がいたので、会話やアクテビティを重視しつつも文法をより詳しく説明する時間も取りましたが、他の学生も興味を持っていたようでした。フロリダはスペイン語話者が多く、また高校の外国語でスペイン語を受講している学生がほとんどなので、異なる言語間での違いや類似に気付くことが多くあったようです。また、彼らにとって日本語は話すより書くほうが難しいと実感したので、前期よりも書く活動を多く取りました。単位の出ない授業だったのであまり学生に負担をかけないようにと思っていましたが、自分たちのやる気を出させてほしいと要望があり、毎回復習用の宿題を出して、テストも2回実施しました。大変だったようですが、文章を書けるようになったのを見るのはとても嬉しかったです。

上級クラスは人数も少なく、日本語のクラスを一年以上取っている学生だけだったので、実験的に教科書を使わない授業を実践してみました。教材として使ったのは日本の映画です。日本のアニメを見ている学生は多いのですが、実写の映画はあまり見たことがないという学生が多かったので、それを教材として活用することにしました。授業準備では、台詞の文字起こしとそこで使われている日本語の分析、また文化的側面についてプリントを作成しました。映像を見つつ、話しことばを学ぶという流れで授業を進めました。言葉にはそれを使う人の立場や状況によって違いがあります。性別や年齢、職業やキャラクター、出身地、または時代によっても変わります。学生はある女性人物が男言葉を極端に使っていることに気付き、男勝りで負けず嫌いという人物設定を理解していました。また、少し古い1996年の『Shall We ダンス』という映画を取り上げたときは、男性がダンスを踊ることが恥ずかしいとされる社会、夫婦関係のありかた、サラリーマンという一般の男性の人生モデルについて学生が興味深く反応していました。最近の恋愛コメディー『モテキ』では、草食系男子といったキーワードも学びつつ、若者の恋愛や働き方が90年代から変化したことも学びました。地震と原発事故についても取り上げたかったのですが、最後は時間切れで叶わなかったのが残念でした。これは今後の自分の課題として、何かの機会に伝えていきたいと思います。

最終日の日本語の授業では、学生たちが「アメリカ式」パーティーを企画してくれました。部屋を星条旗でデコレーションし、バーベキューの定番だというハンバーガーとホットドッグを用意してきてくれ、その日は学生がアメリカ文化について紹介する機会となり、外国に興味を持ちつつも自国を誇りに思っている彼らの姿を見ることができました。彼らとは毎回の授業が終わったあとにも、日本とアメリカの教育システムの違いや、それぞれの文化的ルーツについて語り合ったりもしましたが、「アメリカ人」と一言ではまとめられない多様性が彼らにはあり、新鮮でした。

春学期に行なった日本文化紹介のイベントの中で興味深い体験となったのは、ユダヤ教の学生が集まる寮での寿司作り体験です。なぜなら、ユダヤ教には魚介類ではひれと鱗のあるものしか食べてはいけない、すなわちエビやカニ、貝類、またタコやイカは食べてはいけないという戒律があることをその時初めて知ったからです。限られた食材で満足してもらえるだろうか、本当の寿司を知ってほしいといったもどかしさもありましたが、結果的にお店で売っているような巻き寿司が自分で作れたことに感激してくれたのでやってよかったと思いました。まだまだ自分には知らない異文化があると気付かされた体験でした。

9カ月のプログラムを通して、貴重な体験をし、多くの人に出会いました。特に様々な学生たちとの出会いは忘れることができません。アメリカンフットボールに熱中するルームメイトとは毎日よく話をし、彼女たちからアメリカの学生生活を垣間見ることができました。勤務先のHonors Collegeのオフィスは、ボランティア活動など学生主体で企画運営を行っている積極的な学生たちと一緒で常に刺激的でした。寮で知り合いになって世間話をするようになった学生、イベントに参加してくれた学生、そして日本語の学生など、みな明るく彼らとの会話はとても楽しかったです。またスーパーバイザーを始めプログラムに関わった全ての方々のおかげで私はこの素晴らしい体験をすることができたのだと、帰国した今改めて感じています。

日本に帰国したら高校で英語を教えるつもりだと学生に話したら、そのときは日本の高校生たちと会話してみたいと声を弾ませていました。また、日本への短期留学を決めた学生もいて、短い間でしたが彼らが日本語の勉強をする手助けができたことを嬉しく思います。言語と文化の違いは人々の間に壁を作ることもありますが、お互いを結びつけるきっかけにもなります。これからも彼らが日本語や日本に対する興味を深め続けてくれることを願っています。そして近い将来、英語やアメリカに興味を持っている日本の学生と彼らとの交流を実現させることができたら嬉しいです。

6.森 みなみ ---Casper College, Casper, NY

中間レポート

私は、ワイオミング州キャスパーにあるキャスパー大学(Casper College)という学生数約5000人の二年制コミュニティカレッジに派遣されています。ワイオミングはアメリカ西部に位置し、州の西側はロッキー山脈地帯です。気温はとても低く、去年雪が降らなかった月は6月~8月の三か月だけでした。12月の氷点下25℃かつ強風が吹いた日にはあまりの寒さに凍えてしまいました。面積は50州の中で10位なのでとても大きい州です。

しかし人口は最も少なく約58万人で、日本で最も人口の少ない鳥取県とほとんど同じ値と言えば、どれだけ人口密度が低いかおわかりいただけるかと思います。ロッキー山脈地帯ということでもちろん標高が高く、私のいるキャスパーは標高2000メートルです。このような環境にいること自体とても貴重な体験だと思い、楽しんでいます。

私はTAではなくPrimary Teacherとして他の教授と同じように一人で授業を持たせて頂いています。秋学期はJapanese1010(学生数14人)と2030(8人)の二つのクラスを持ち、一つのクラスを一日50分×週4日つまり一週間に2クラス合わせて8コマ教えていました。1010クラスは日本語初心者から高校で勉強してきた学生までおり、知識レベルが幅広く教えるのに苦労しました。初めの方はレベルの高い学生に少し退屈をさせてしまったこともありましたが、そのような学生のために別に教材を作り取り組ませ、クラス全員に意義ある授業をできるようにしました。2030はすでに大学で二学期分の授業を取った学生のためのクラスで、すでに基礎が入っているため難しい内容を教えることができました。授業ではただ日本語文法を教えるだけでなく、日本文化を教える時間も取り入れました。例えば、あいさつを教える時に「いただきます」、「ごちそうさま」の語源を話し日本の “感謝” の心を教えたり、日本の国民の祝日や行事の日にはその風習について話したりしました。また、授業中にカラオケを取り入れ授業の初めに皆でJ-popを歌い日本の流行の歌に触れてもらいました。学生は恥ずかしがると思いましたがそのようなことも無く、ほとんどの学生が楽しんでくれていたように思います。その延長線で日本語の曜日の歌や数のかぞえ歌など歌を通して日本語を教えることにも挑戦しましたが、歌だと楽しく覚えられるため大成功でした。日本語授業とは別に、日本語クラブという任意参加のイベントも週一回開催しました。毎回アットホームな雰囲気で日本語の会話練習をしたり、おりがみを折ったりしました。ときどき日本の歴史についてのディスカッションにもなり、こちらが勉強になることも多かったです。アニメが好きな学生が多いので来期はアニメや映画鑑賞も取り入れてみようかと考えているところです。

秋学期に自分が取ったクラスは教育とジェンダーです。教育のクラスは学生数6人と少人数で、教育のかかえる問題点を考えそれを解決できるようなクラスルームストラテジーを学ぶというものでした。例えば、やる気のない生徒にはどのように接しどのような課題を与えればモチベーションにつながり自分に自信が持てるようになるのか、ということを考えました。毎回リーディングの課題があり、それとは別にクラスの中でもプリントを読んでそれについてディスカッションをするということも多かったため、ついていていくのに精いっぱいでしたが、他の学生が常に私を気遣ってくれたのでとても取り組みやすかったです。毎回興味深い内容を学ぶことができたので、こちらでの日本語授業や日本で教師になったときに活かせると思います。もう一つのジェンダーのクラスは15人と少し人数が多めの授業でしたが毎回発言の機会があり充実したものとなりました。このクラスは、男女のジェンダーロールが生まれる社会的原因や、男らしさ・女らしさとは何か、またそれは生まれ持ったものなのか、または環境が作るものなのか、などといったことを学ぶクラスでした。講義だけでなくゲームやロールプレイ、ディベートを通してそのようなことを学ぶという多様な形式の授業だったのでとても楽しかったです。ここで初めてアメリカでディベートに参加するという一種の文化体験をしましたが、発言のタイミングがとても難しく戸惑いました。話そうと思っても誰かが話し始めてしまい話題が変わり結局意見が言えなくなってしまうということが多々ありましたが、だんだんコツがわかって3回目のディベートでは比較的多く発言することができたので良かったです。

キャスパーに派遣されてから早5カ月が経ちましたが、まさかこんなにもはやくプログラム前半が終わってしまうとは思ってもいませんでした。ここでは今まで経験したことないくらい一週間が本当にあっという間に過ぎてしまいます。毎日1日分の日本語授業が終わると次の日の授業を考え、自分の取っている授業に行き、課題をし…というスケジュールで過ごしていますが、その忙しさがここでの生活を充実させてくれていると考えています。何もかもが初めてで最初は不安だらけでしたが、いつのまにかその不安もどこかへ行ってしまっていました。というのも、いつも周りには支えてくれる人がいるからです。父親のように私のことを気遣ってくれるスーパーバイザー、いつも面白い話を聞かせてくれるルームメイト、日本語授業のことやアメリカ生活について相談できる同じFLTAの仲間、他愛もない会話で盛り上がれるキャスパーの友達、日本語を好きでいてくれる自分の学生、そして私にこの素晴らしい機会を与えて下さったIIEや日米教育委員会の皆様。彼らがいなかったら挫折していたかもしれません。日本語を教えるのは初めてということもあり、授業で失敗することも少なくはありません。そのせいで落ち込んでしまうことも何度もありましたが、だんだんと失敗の大切さもわかってきた気がします。失敗しなければ何が悪いのかを考えることができません。したがって改善しようとも思わないのです。私は教えるということは改善の積み重ねだと思っています。一つの教え方が良いとは限りません。学生の性格、クラスの雰囲気、レベルによって授業を変えていかなくてはならないのです。春学期は1010(初級)と1020(中級)のクラスを持つことになりますが、それぞれのクラスに合った授業をし、学生が楽しんで日本語を学べるようにしていきたいと思っています。今期は大学や近所の高校でのプレゼンの機会も頂けるようなので、さらに密度の濃い時間になると思います。ですから周りの期待を裏切らないよう一生懸命頑張って過ごしたいと思います。


最終レポート

 アメリカで過ごした9か月間を振り返ると、出会った人たちと一緒にしたことや行った場所、話したことやその人たちの笑顔を思い出し、またあの素晴らしい場所へ戻りたいという思いがこみ上げてきます。初めは不安だらけで忙しさも半端ではなく「大変だ」とばかり思っていました。しかし多くを学び、感じ、経験し、そしてキャスパーの学生や先生、地域の人々と親しくなるにつれてキャスパーを離れたくないという気持ちが強くなっていきました。いま考えると、たくさんのことがギュッと凝縮された長いようで本当にあっという間の9か月間でした。

 中間レポートでも書かせていただきましたが、私はワイオミング州キャスパーにあるキャスパー大学(Casper College)に派遣されていました。キャスパーは信じられないくらい寒い場所で、冬は氷点下25℃まで下がります。私がそこで初めて雪を見たのは9月、最後に見たのは5月、帰国直前です。つまり一年のほとんどが雪が降るほど寒いのです。生まれて初めて5月に雪合戦をしたのは一生の思い出となることでしょう。しかし天気が良い時には大学構内の丘でシカやウサギ、リスなどを見ることができ、日本での日常とはかけ離れたものを日常として感じることができました。雪の日と風が強い日を除けば、キャスパーはのどかでとても過ごしやすい場所です。

 春学期(1月~5月)には、秋学期(8月~12月)も教えた日本語クラス1010(初級)と、初めての1020(中級)を担当しました。日々の研究の成果もあり、秋よりも随分と質を向上できたと思っています。初級のほうは二度目と言うこともあって、初心者がつまずきやすいポイントや彼らに面白いと感じてもらえる教材、授業のかたちなどがわかっておりましたのでとてもやりやすかったです。ただクラスの雰囲気が全く違ったので、それに合わせた教え方をしなければなりませんでした。具体的には、秋の学生がかなり静かだったのに比べ春の学生は発言やコメントの多い子が多かったため、こちらのほうで一度に発言させて良い人数を決めておき、その人数に達したらそこで発言を区切って次の内容に入る、というようにメリハリのある授業を心がけました。中級クラスでは、秋から続けて日本語クラスを取ってくれている学生ということもあり、アットホームな雰囲気で進められました。秋より理解できる日本文の幅も広がったので、文法導入の際に私自身が登場する面白いストーリーをパワーポイントでビジュアルを使いながら日本語で話してあげる、ジブリ映画の日本語アフレコに挑戦させる、といった工夫も加えました。それによって、すべての学生が授業にさらに意欲的に取り組むようになったので私もとても嬉しかったですし、そこで教師がクリエイティブであるべきだということを改めて実感することができました。

 また、春学期は日本の文化紹介も多く取り入れました。秋は文法を教えるので精一杯で、あまり文化の方を多く教えることはできませんでした。しかし秋学期終了後に行った授業アンケートでもっと文化を取り上げてほしいという要望があったため、授業に文化タイムを設けることにしました。この文化タイムは、授業最初の10分間を使って日本の様々な文化をパワポや映像で紹介するという時間です。私が紹介した文化は日本の伝統行事、天皇、各都道府県の観光地、歴史、食べ物、メイドカフェ、アニメなどです。私の学生のほとんどはアニメか日本文化に興味があるために日本語クラスを取っていた子ばかりだったので、この文化タイムはかなり好評でした。自国の文化を教えることで新しい気づきや発見がありましたし、もっと自国について勉強していこうと決心する機会ともなりました。授業外でも日本文化について紹介する機会を頂き、地域の方や教授へ向けて、また他クラスのゲストスピーカーとしてパワーポイントのプレゼンをさせていただきました。そこでアメリカの人々がどれだけ日本に興味を持ってくれているか、どれだけ日本のことを勉強してくれているかということがよくわかり、感動さえ覚えました。

 そして最大の思い出は、現地の温かい人々との時間です。スーパーバイザーは忙しいのにもかかわらずいつも私のことを気にかけてくれ、いつでも相談に乗ってくれました。授業の質を向上できたのも彼らのおかげです。クラスメイトとは一緒にごはんを食べたり出かけたりし、一緒に笑い合うことで仕事と勉強の疲れがどこかへ飛んでいくようでした。私を娘のように可愛がってくれた、大学近くに住む夫婦とは、旅行へ行ったり家で日米料理パーティーをしたりと、今もアメリカに第二の両親を持ったような気持ちでいます。最後の日本語クラスで学生がプレゼントと素敵なメッセージをくれたときには、思わず感極まり泣いてしまうほどでした。やはり自分の学生といた時間が一番長いので、彼らとの時間には思い入れがあります。ここに書ききれないほどたくさんの人と出会い、たくさんの思い出を作ることができました。それはとても嬉しいことで、本当に感謝しています。彼らの支えが無ければ、挫折していたかもしれません。

 様々なことがあったこの9か月は、自身最大のライフイベントと言っても過言ではありません。ここで学んだこと、将来教師になって生徒と共有したいことは数えきれません。アメリカの良い面だけでなく良くない面、例えば貧富の差が身近に当たり前のようにあること等も自分の目で見ることができたのです。これらはアメリカに行ったからだけでなく、アメリカで教師として過ごしたからこそ知り得たものだと思っています。これから私は英語教師になりますが、日本とアメリカの架け橋となる、という使命を果たすことを常に考えながら仕事をしていきたいと思っています。最後に、このような素晴らしい機会を私に与えてくださった日米教育委員会の皆様に、この場をかりてお礼申し上げます。本当にありがとうございました。

7.中垣 未来 ---Syracuse U., Syracuse, NY

中間レポート

私は現在ニューヨーク州にあるシラキュース大学に派遣されています。8月に渡米してから、早いもので5カ月が経ちました。シラキュースはニューヨーク州の中央部に位置しており、ニューヨークのマンハッタンからは想像もできないような田舎町です。ちなみに、AccWeather.comによると、The 10 snowiest College in the USでシラキュース大学が2位に選ばれるほど、シラキュースは雪が多くて寒いところです。

私の出身大学が10分ほどで一通り回れるような大学だったので、初めはキャンパスの広さに圧倒され、何度も道に迷いました。また、シラキュース大学に在籍している日本人は少なく、キャンパスを歩いていても一緒に働いている日本語の先生やTA以外で日本人に遭遇することはほとんどないです。しかし、この学校は国際留学生が多く在籍していて、キャンパスを歩くだけで、それがよくわかります。

日本人FLTAでシラキュース大学に派遣されるのは私が初めてです。そのため、情報収集にはかなり手こずりました。FLTAに選ばれてからの最初の難関は、自分で住居を探さなければならなかったことです。日本を出発するまでには有力な情報を手に入れられず、結局渡米後に自分の目で住居を見てから決めることにしました。また、渡米後のFLTAのオリエンテーションでは日本人一人となり、周りの英語力の高さにもついていけず、私が来てよかったのかと、何度も自分に問いかけることもありました。さらに、FLTAの友人やスーパーバイザーに弱音を吐いてしまうこともありました。そんな中でも、周りの先生やTAに相談に乗っていただいたり、部屋が決まるまで他のFLTAが部屋をシェアしてくれたり、困ったことがあれば一緒に住んでいるルームメイトが丁寧に教えてくれたりと、色んな方が手を貸してくださったおかげで、こちらの生活に徐々に馴染むことができました。

次に、日本語の授業に関して紹介したいと思います。前述した通り、シラキュース大学では日本人のFLTAを受け入れるのが初めてだったことと、さらに日本語のコーディネーターの方と2年生レベルの学生を一緒に教えることになったので、少しずつ様子を見ながら進めていくことになりました。最初は授業観察から始まり、授業の流れを掴むことから始まりました。今まで、日本語を教えたことなかった私にとっては、全てが新しく、学生が使えるレベルの単語や文法に慣れるのにも苦労しましたが、アクティビティや文法の導入などをしていくうちに徐々にコツを掴めてきました。また、私の所属する言語学部ではPPP(Presentation, Practice, Production)の授業の流れが徹底されており、さらに、授業は基本的にTarget Languageである日本語で行うことになっています。最初にその授業を見た時は眼を見開かされるものでした。私が日本で習ってきた英語教育とは全く異なり、学生主体かつ、たくさんのアクティビティからなる授業は、今後日本で教員を目指す私にとってかなり刺激となりました。仕事内容というと、日本語を学習し始めて2年目のクラスを週4回×2クラス、2年生向けの日本語の会話のクラスを週に1回、それぞれティームティーチングしました。それまで日本では、英語を教えたことはありましたが、日本語を教えることはほとんどなく、それ以前に日本語という言語に関して意識的に考えたこともなかったので、英語と日本語との違いや日本語の特徴など、新しい発見が毎日のようにあります。来学期はそれらの授業を引き続き行うことになりますが、先学期より教える割合が増え、責任も増えるので、さらに忙しくなると思います。しかし、少しずつ日本語を話せる量が増えていく学生の成長を見ながら、日本や日本語に興味を持っている学生と関われることはおもしろいので、学生にとってより実になるものを目指して、準備に励みたいと思います。

それから、先学期取った授業に関して触れたいと思います。私はTA向けの英語の授業とTeaching in a diverse societyという大学院生向けの教育の授業を聴講しました。一つ目のの英語のクラスは、基本的に教科書ベースで、アメリカの日常生活で頻繁に使われる表現やアメリカの発音を勉強しました。授業の中では、自分の専攻に関するプレゼンテーションをしたり、アメリカの4大スポーツやサンクスギビングなど、アメリカ文化について学ぶこともできました。週3回の授業に毎回出される課題に加えて、オーラルの宿題など、盛りだくさんでしたが、アメリカでの生活に直結するものが多く、アメリカへの理解につながったと思います。また、2つ目の教育の授業では、毎週課題として出される様々な環境の下で行われる授業観察を基に、グループに分かれてディスカッションをしたり、アメリカの教育カリキュラムの規準に基づいてクラス全体でディスカッションを行ったり、とディスカッションベースで行われました。学期の後半では各教科のグループに分かれて模擬授業も行いました。このコースが大学院レベルということもあり、最初は毎週課されるリーディングの量や授業内容にも、ついて行くのにはかなり苦労しました。初めは全くディスカッションに参加できず、みじめな思いをすることもありましたが、一緒に授業を受けていた友人に助けてもらったり、分からないことは教授に聞いたりしながら、なんとか乗り越えることができました。来学期は自分の一番興味のある分野である、第二言語の教授法のコースを取ることができるので、今から楽しみにしています。

さらに、12月に行われたMid-year conferenceでは、東京でのオリエンテーションぶりに日本人FLTAや現地のオリエンテーションで会った友人に再会することができました。そこで再会した友人たちと、それぞれの経験を共有することができ、また来学期もがんばろうと思えるモチベーションになりました。また、世界中の国々のFLTAが集まるこのconferenceでは、アメリカに渡ってから忘れかけていた日本人のアイデンティティなどにも気づくことができました。そして、その後は日本人FLTAの数人とアメリカを旅行にいったりと、充実した休暇を過ごすことができました。 それから、授業外での活動について少し触れたいと思います。私の大学では、Fulbrightの留学生向けのプログラムも定期的に開催されていて、色んな国の人と一緒にキャンプに行って、それぞれの国の抱える問題やその背景について話したり、意見を共有する機会もあったり、一緒にアメリカ文化の1つであるジャズを見に行ったりもしました。さらに、所属する学部では、言語ごとでその国の伝統的な食べ物を提供するCultural Eventにも参加しました。

今の私の立場としては、先生でも学生でもあるという微妙な立場ではありますが、この立場だからこそ感じられること、気づくことがたくさんあります。日本にいた時には気付かなかった自分にとって当たり前だったようなことも、アメリカでは違っていたり、アジアの国々とは似ている部分も多かったり、と日々発見の多い毎日です。また、大学在籍時に留学したくてもなかなか踏み出せなかった自分が今こうして、アメリカで母語を教えながら、勉強できる機会を与えていただいたことに関しては、今の私を支えて下さっている全ての人たちにただ感謝の言葉しかありません。プログラムが始まる前は長いように感じた9ヶ月も残りわずかとなってきました。自分の英語力も教えるスキルにも、まだ全く満足していないので、残りの期間でできる限り多くのことを吸収して日本に持って帰れるように、精進して参りたいと思います。


最終レポート

アメリカから帰国して2カ月が経ちました。シラキュースでは、半年近く続いた長い冬を乗り越え、ようやく暖かい春が訪れたと思った矢先には、すでに帰国の時期の5月となっていました。改めて振り返ってみると、アメリカにいたのが夢のように感じることもありますが、現地で出会った友人や学生などと連絡を取ると、本当に行っていたことを実感します。また、日本で生活をしている中で、ふとアメリカでの生活が思い出されて恋しくもなります。1月から5月にかけての春学期は、日々やることに追われて必死に走り続けていたように思います。

 まずは、自分の担当していた日本語の授業についてです。春学期は秋学期に担当していた2年生のクラスを引き続き担当させていただきました。それに加え、会話のクラスでは、春学期は私が主導となり、先学期とは異なるTAと担当することになりました。そのTAと話し合い、秋学期の会話のクラスとは違い、通常の授業内容に沿わずに、できるだけ学生による言語活動の活発な授業作りを目指すことにしました。最初は今まであまり重要視していなかった音声指導など新しい分野・内容にも挑戦して、学生の様子や反応をうかがいつつ進めていきました。その結果、確立した授業形態を作り上げることができたと思います。会話のクラスでは大きなプロジェクトとしてディベートと劇を取り入れました。そこでは、グループ活動に加え、個々に役割を与えることで、学生も責任を持って取り組んでいたように感じます。それから、通常授業の方では、先学期から一緒にそのクラスを受け持っていたinstructorの方とも上手く連携を取れるようになり、学生が楽しんで、かつ実になるアクティビティができるように、意見交換を積極的にするようになりました。さらに、春学期は、他の日本語の先生とも授業見学をお互いにし、フィードバックの交換を積極的に行ったりと、いい刺激を受けました。学期末には、オリジナルのアクティビティを考え、かつtarget languageである日本語のみで授業を行えるようになり、授業の質を高めることができたように感じます。

 次に、春学期に受けた授業に関してです。春学期は、先学期に引き続き、TA向けの英語の授業とIntroduction to Methods for Language Teachingという英語教授法に関するコースを受講しました。TA向けの英語の授業は、他の国の留学生たちと、各国の食べ物や学校制度についてプレゼンテーションを通して情報交換をしました。また、アメリカの大学生の背景を知るために、アメリカ人の高校生活について実際に学生にインタビューをして、プレゼンテーションを行ったりもしました。アメリカについてもっと知れただけでなく、近いようであまり知らない中国や韓国についても貴重な話を聞くことができて、アジアでは共通点も多く、距離が近くなったような気がします。また、英語教授法に関する授業は留学する前から取りたかった授業だったので、聴講という形ではありましたが、プレゼンテーションやレポートなどできる限り参加することにしました。この授業は大学院生8人ほどの少人数のクラスでした。ディスカッションの機会が多く、教科書の内容を理解している前提で授業が進められ、かつ課題が多くて厳しいという前々から噂を聞いていたのもあり、週2回の授業前は毎回nervousになっていたのをよく覚えています。この授業では、Language Teaching Methodsの歴史や特徴、そして今一番効果的だとされているCommunicative Language Teachingについて主に学習しました。この授業で合計2回プレゼンテーションを行いました。1度目は散々でしたが、2回目の時にはそれまでに見たプレゼンを見習い、他の学生が聞いているだけで飽きないように、ミニアクティビティを取り入れてみたり、プレゼンテーション力向上につながったと思います。この授業を担当している教授の方は、先生として見習うべき点もたくさんあり、いつかこんな先生になれたらと思いました。

 次に、授業外の活動についてです。春学期には2つの大きいイベントがありました。1つは春祭りで、もう一つは日本語の教科書「なかま」の著者である牧野成一さんの講演会です。春祭りは、主に日本語を勉強している学生を招待して、日本の食べ物や文化にふれてもらうイベントです。シラキュース大学の日本人会と協力して運営し、私たち日本語講師陣は食べ物担当で、約100人分の豚汁とお餅を準備しました。当日、予想外のハプニングが起きましたが、何とか時間内に準備を終え成功させることができました。また、牧野先生の講演会では、牧野先生が講演会とは別に、日本語講師陣と個人的にお話する機会を作ってくださいました。日本語を教えて間もない私の質問にも親切に答えてください、気さくで優しい方でした。先生の日本語を教えることに対する情熱や、いつまでも学び続け挑戦する心を忘れない姿がとても印象的でした。

 このFLTAの経験は楽しいこともたくさんありましたが、一方で悩むこともたくさんありました。私の大学のTAはシラキュース大学に在籍する大学院生がほとんどです。皆とても優秀で、モチベーションも高く、自分の能力や英語力などを勝手に比べて落ち込むこともありました。でも、途中でせっかくこの大学に呼んでもらえたのだから、私にしかできないことをしようと、発想の転換をしました。私の担当する日本語のクラスは日本語のinstructorの方と2人で教えます。学生とより近い立場にあるのだから、みんなが話しやすい、相談しやすいようなTAになろうと決意しました。例えば、授業で学生のことをもっと知ることができるようなトピックを使う、授業外でもできるだけ学生と話す機会を作る、授業外で日本語を話す手段としてSNSを利用する、などを行いました。徐々に、学生との壁がなくなり、授業中でも学生みんなが話しやすく、間違えても恥ずかしくない、笑いの溢れる雰囲気を作り上げることができました。もしかしたら先生としては威厳が足りなかったかもしれません。英語力や日本語教育に関する知識など不足する部分もたくさんあったと思います。それでも、学生がついてきてくれるクラスが出来上がったことは、将来教師を目指す私としては自信になりました。

 このFLTAの経験を通じて、どんな環境でも適応できる力、向上心を持ち続けることの大切さ、そして国際理解の大切さを、身を持って学びました。また、国や文化、専門分野、世代を超えて様々な人との出会いがありました。時には、文化の違いや言葉の壁でぶつかることもありましたが、あきらめないで相手のことを理解しようとする姿勢が大事だと感じました。FLTAとしての経験は、私にとって誇りであり、これから生きていく中で私を支えてくれる大きな糧となると思います。そして、FLTAを通じて出会った人たちとの出会い、これからあるであろうたくさんの人たちとの出会いを大切にしていきたいと思います。私を支えてくださった皆様、本当にありがとうございました。この経験を生かし、今後は日本の英語教育に貢献できるよう精進して参りたいと思います。

8.岡部 愛 ---Lincoln U., Lincoln University, PA

中間レポート

沢山の事がありました。言葉では表し尽くすことのできない貴重な体験を目まぐるしく過ぎていく日々の中でも確かに感じ、日を追うごとに今まで知らなかった新たな世界が少しずつ開けていくのを嬉しく思います。   私はアメリカ、ペンシルベニア州にあるHBCU (Historically Black Colleges and Universities)、歴史的黒人学校のリンカーン大学で唯一の日本語教師として現在初級・中級・上級のクラスを担当しています。渡米してもうすでに数か月経ちますが、初めてここに来て体験したからっとしてとても気持ちの良かった夏のことは今でもよく覚えています。。

緑に彩られたきれいなキャンパスと広大な土地や自然は私にアメリカを感じさせてくれた最初のものでした。ただ、アメリカに来るのは今回が初めてで、学期が始まってからしばらくは日々やるべきことをこなし自分の責務を果たすのに精一杯な日々でしたので、こちらでの生活にどのように慣れていったのかも自分自身あまり覚えていません。こうして振り返ってみればあっという間で、けれど生活の一コマ一コマを見ていくとこんなに濃い瞬間の積み重ねで構成された日々を過ごしたのはおそらく初めてだろうと思います。

何もかもが初めてで、毎日が挑戦でいつも不安で緊張して、故により良い明日を築くことだけを心に決めて過ごした約5カ月。大学では初級、中級のクラスは一コマ50分の授業を週に4回、上級クラスは一コマ80分を週に2回教えています。学生数はスペイン語やフランス語などのメジャーな言語と比べるとやはり限られていますが、その一人ひとりが何らかの形で日本や日本の文化に興味を持ち、日本語の勉強にも熱心に取り組んでくれています。また、授業外にはオフィスアワーを持ち学生からの質問に答えたり、課外活動としては日本語クラブの顧問もしています。秋学期は日本の映画を見たり、フルーツバスケット等のゲームを行ったり、折り紙教室を開催したり、日本料理を作ったりと体験的に日本の文化に触れる活動をして学生たちも楽しそうにしていたのが印象的でした。

良く言われることではありますが、やはり人に何かを教えるということは自身が教える内容以上に学び続けることであるということをひしひしと感じています。今年が私にとって教師1年目ということもあり、授業を行うにしても準備には相当の時間とエネルギーが必要でした。学習者に学習内容をより良く理解してもらうためには何ができるのだろう、そしてそれ以上に日本語や日本をもっと好きになってほしいとの願いを両立すべく、日々試行錯誤しながら自分なりにできる限りの役割を果たしています。また、こちらに来てから自身がいかに日本人であるかということを初めて実感として感じています。教壇に立ってからしばらくは学生からの率直な意見や授業中飛び交う質問の嵐に慣れることができなかったり、学生と教員のとてもフランクな関係に戸惑ったりしました。しかし今思えばこのどれもが自身をより柔軟にオープンマインドにしてくれた良い意味でのカルチャーショックだったと思っています。

また、アメリカに来てから日本にいたときは感じることのなかった人種や信条の多様性に触れ、そのことに興味を持ったのでその一側面として宗教やアフリカンアメリカンについて学ぼうと学生としてIntroduction to ReligionとBlack Studiesのクラスを受講しました。どちらも形式上は講義型の授業でしたが、授業内でトピックとなった事柄については折に触れて盛んな意見交換が自主的に行われていました。自身の思うこと信じることを外に向けて発信していく姿勢や彼らひとりひとりの率直な意見を目のあたりにすると、考えることが沢山ありました。新しいことを知るということは本当に自分の人生を豊かにしてくれます。

そして、この大学に来たから出会うことのできた方々には心から敬愛と感謝の意を示したいと思っています。ティーチングアシスタントとしてこの地に派遣されてから今に至るまで本当に色んなことがありました。もちろん楽しいこともありましたが落ち込むことも沢山ありました。そんな時にいつも助け、励ましてくださったリンカーン大学の歴代の先輩方、そしてホストファミリーの存在は私の中で絶対的なものです。見返りを求めず、「人に何かを与えることが出来る」そんな人間、そして教育者になりたいと思います。

この大学で「日本語の先生」でいられる特別な時間を共有することのできる全ての人と共に、残り数か月の限られた時間を一瞬一瞬シャッターを切るように心に刻み大切に過ごしていきたいと思います。



最終レポート

数年に一度と言われる雪の多い冬となった春学期。春をようやく感じられるようになったのは帰国を迎える直前で、大学構内にひっそりとたたずむ数本の桜の木を見て感慨深く日本の春を思い出していました。 楽しいことばかりではありませんでした。表情を変える空を眺めながらよく日々を振り返りました。放課後のキャンパスに映えるきれいな夕陽を見ては、広大な大地や木々や星空を眺めてはその雄大な自然と小さな自身を重ね異国での生活や自分自身について考えたものです。

一月から四月までの秋学期から比べると少し短めのこの学期はやはり過ぎるのもあっという間でした。この時期になると生活にも慣れ精神的な余裕も少し生まれたかいもあって、忙しいながらも秋学期より時の流れを感じながら過ごしました。先学期は何をするにも必死で思考と行動が伴わないという感じでしたが、今学期は比較的落ち着いて人対人のコミュニケーションを楽しむことができたように思います。

TAとしての仕事は前の学期と変わらず、初級から上級までのクラスを主任教師として週に合計10回授業をし、毎週木曜には日本語クラブの顧問、またオフィスアワーを週に5時間持ちました。初級のクラスの学生たちは日本語の体系的な文構造を習得するのにとても苦労していましたが、それでも数か月前までは未知の言語だった日本語が今では彼らの身近な存在となり、「文字が読めるようになった。」、「看板に何が書いてあるか少し分かった。」と喜ぶ姿を見ると、ああ、よかったなあと彼らの日本語教師でいられたことを嬉しく思いました。また、今学期は日本語クラブのメインイベントとして4月にDCで行われている桜祭りに参加者を募って一緒に行ってきました。道の両側に軒並み並ぶ屋台や日本グッズショップのどれもに長蛇の列ができていたり、日本からも沢山のゲストがアメリカの地においてパフォーマンスをしに来ていたり、たくさんの外国人コスプレーヤーを見たりと、その盛り上がりは目を見張るものがありました。どんなものがかっこよくてどんなものに人気が集まるのかと注目して見ていると世界が見る日本というものが見えてきておもしろかったです。学生たちは皆イベントを楽しみ、来場していた日本人と触れあうこともでき、綺麗な桜を楽しんだり、その木の下で集合写真を撮ったりとその場にいた誰もが日本を通して繋がることのできた時は学校にいては感じることのできない特別な感覚を与えてくれました。

学生としてはIntroduction to EducationとEnglish Compositionのクラスを履修しました。前者の授業はディスカッションベースで現代アメリカが抱えている教育今日の諸問題や現在のオバマ政権が行っている教育政策についてなど、毎回テーマに沿ってクラス中で意見交換をしました。日米の比較ということで日本人である私の意見や見解を求められることもあり、回答に困ることもありましたが、教育や物事に対する新しい視点というものを得ることのできた非常に興味深い、印象深い授業でした。

ジェームズ・ウィリアム・フルブライト氏の願いであった「人物交流による平和の促進」を目指すこのプログラムのコンセプトにひどく共感し、応募してからこの一年を終えるまで幾度となく「自分」や「周り」というものについて向き合う時間がありました。応募当初はアメリカでの教員生活を通して語学力や教員としての経験が積めたらと思っていました(実際に語学力も多かれ少なかれ磨かれ教員としても多くのことを学びました)が、こうして日本で米国での生活に思いを馳せている今自分が見つめているものは全くそういうものではないことに気づきます。出会うことのできた人々や経験が与えてくれたものを見る新たな視点や精神、日本人であること、自分が自分であることなど、そんなことを考えています。

念願だったアメリカ留学へのチャンスを下さったこのFulbrightプログラム、IIE、JUSECの皆様には心より感謝しております。本当にありがとうございました。そして、縁あって出会うことのできた同期のFLTAのみなさん、米国でお会いした素晴らしい方々にまた世界のどこかで出会えることを期待し、最終報告とさせて頂きます。

9.大森 有人 ---U. of Notre Dame, Notre Dame, IN

中間レポート

何一つ貢献できなかった。ノートルダム大学に来てFLTAとして来て約4か月が過ぎました。今振り返るとなにも貢献できなかったという言葉に尽きると思います。すべてにおいて自分の態度はFLTAとしての積極性を著しく欠くものだったと今振り返り思います。秋学期を終えて、私から職務内容等報告したいと思います。

私は現在、ノートルダム大学に日本語のティーチング・アシスタント(TA)として派遣されています。ノートルダム大学はインディアナ州にあります。インディアナ州といってもイリノイ州の東側に隣接しており、シカゴから東に電車で約2時間半のところにあります。大学の規模としては大きく大学院生も含め約1万2千人の学生が在籍しています。アメリカ人がノートルダムと聞いてフットボールを最初に思い浮かべるぐらい全米ではフットボールで有名な大学として知られ、キャンパス内にはスタジアムもあります。

今回私は日本人FLTAとして初めてノートルダム大学に派遣されました。ほかの言語のFLTAは毎年数名いて、今年は同僚として中国、アイルランド、パレスチナ、ブラジルの国の4人がFLTAとしています。中でもアラビア語のFLTAのパレスチナ人とルームシェアで同じアパートに住んだり、中国人のFLTAとはオフィスをシェアしたりとなにかと関わる機会が多かったです。

まず職務内容について書きたいと思います。授業内活動では、授業見学を中心に毎週8コマ日本語の授業を見学しました。見学では学ぶべき点が多かったです。中でも代講などで授業をする機会をいただいたのですが、そこで発問の仕方(先生の発話を減らしていかに学生から多くの発話を引き出すこと)、授業の組み立て方などがとても考えた上で毎回授業が展開されていることなど、ただ見学するだけでは気付けなかった点が多くありました。余談かもしれませんが、昨年まで私は高校で英語を教えていました。高校と大学は違いますが、見学する中でこうしてしっかり準備をして授業に臨めることや生徒に向き合える時間があることはとてもうらやましくも思いました。

授業内活動では、見学の他に、8時間のオフィスアワーや宿題の添削やテストの採点なども担当しました。しかし、採点や添削の中で、採点ミスなどを多くしてしまい、徐々に信頼関係が崩れていきました。実質、迷惑をかけるだけで、なに一つ貢献することができませんでした。クラス内活動では、学生にブログを書かせているので、そのコメントの記入や添削などもしました。ブログではこちらからのイベントなどの告知なども発信することを担当しました。この中で学生の日本語のレベルに合わせた記事の投稿ができなかったことや、定期的にコメントすることを依頼されていましたが、コメントをするのを忘れるなどもし、同じように迷惑をかけました。 事実として書きますが、自分はオフィスでの仕事が大半でした。昨年度までの教員生活とは違い生徒や学生との会話は当然減りました。授業見学が終われば、1日誰とも話さずに、パソコンを通して仕事をする日もありました。そのことに時には気落ちすることもありました。

授業外活動では、毎週ある会話テーブル、映画イベント、読書クラブなどの定期的な意イベントと単発のイベントを担当しました。具体的な職務内容としては、これらの前に先に触れたブログやフェイスブックでのイベントの告知やポスター作りなどをしました。ここで学科が求めている私の役割と私との認識の違いで悩むこともありました。学科としては今あるイベントを盛り上げていってほしいということでしたが、ここでもなに一つ貢献できませんでした。単発のイベントでは、寿司作りのイベントがありました。同じようにポスター作りから、当日の準備までも担当しましたが、準備の不備などもあり、当日のイベントに影響が出るなど同じように迷惑をかけました。

次に授業についてですが、授業は「留学生TAのための授業方略(Classroom Strategies for International Teaching Assistants)」と「クラス内における演劇(The Drama in the Classroom)」の 2コマを履修する機会をいただきました。前者のTAのための授業は私を含めた三名のFLTAと大学院生の1名しか取っておらず、実質FLTA向けの授業でした。FLTAがティーチング・アシスタントとしてどのような役割を果たすべきなのか、良い授業の組み立て方、先生の役割などを学びました。討論が中心の授業でケーススタディなど実際TAが直面する問題について議論することも多かったです。中でも3回あったマイクロ・ティーチング(模擬授業)の課題からは学ぶべき点が多かったです。与えられたテーマから約10分間の授業を考えて模擬授業を考え発表しました。模擬授業はこの授業の履修者からの感想もそうですが、ビデオ撮影もあり、それを見て自分の反省点等を書いたり述べたりすることもしました。私はこの授業での模擬授業や討論を通して、改めて自分の至らない部分を知ることができました。

もう一つの演劇の授業は私が取りたい授業のひとつとしてFLTAの応募書類にも書いた授業でした。自分は演劇の経験はないのですが、昨年度まで常勤講師での担当部活が演劇部でした。その中で、演劇の面白さを知り、学んでみたいと思うようになり、書類に書いたことを今でも鮮明に覚えています。それを踏まえて、今回の演劇をどう教育に取り入れるかという授業はまたとない機会でした。授業では、どのように演劇を使用したり取り入れたりして、生徒や児童などを主体的に参加させるかというのを実際にシェークスピアなどの題材を使用し、実践していくという授業でした。毎週、それに関連した記事などを読み、まとめるというのもありました。デューイなどの教育者の本の一部も読む機会もあり、とても刺激になりました。この授業では、大学が主催するコミュニティでの演劇活動への参加も義務付けられており、子供たちとゲームや演劇のアクティビティーなどを実践しました。このコミュニティでは学期末にはモノローグ(一人の俳優が演じる短い場面)を演じる大会も開催し、この授業をとっている学生も大学生の部として参加しました。当然私も参加しましたが、実際に台詞を読んで、演じるのははじめてだったので、とても良い経験になりました。またこの授業では、最終課題として現地の学校に行き、生徒の前で授業をするという課題もありました。残念ながら、最終発表は、フルブライトのカンファレンスと重なってしまい私はしませんでしたが、学んだことを実際に確認する機会があるのはすごいなと感心をしました。

前半が終わり、後半がどうなるのかまだわかりません。しかし多くの場面で重ねた失敗はコミュニケーション不足によるものでした。会話テーブルやイベントを盛り上げる際にも、その場を引っ張るコミュニケーション能力が求められます。同様に、仕事をする際にも、仕事を円滑に進めるためにもコミュニケーション能力が必要になってきます。私は社会経験がありますが、社会人失格だと今では思っています。後半がまだどうなるかわかりませんが、これらの反省点をすこしでも改善できるよう前向きにがんばりたいと思います。


最終レポート

 帰国から1週間が経ちました。そういえば、この報告書を書き始めた日は偶然にも私が日米教育委員会から派遣の連絡をいただいた日と重なります。あれから1年がたったのだと思うと時の流れの速さを感じます。同様に私のノートルダムでの9カ月もあっという間でした。今回前半書ききれなかった部分も含め、最終報告をしたいと思います。

 中間報告書でも書いたとおり多くの課題を抱えたまま、前半を折り返しました。その多くは自分のコミュニケーションの問題から来るものでした。あれから少しでも進歩があったかどうかは今自信をもって答えられません。

 まず仕事内容について書きたいと思います。中間報告でも述べたとおり、私の主な仕事はティーチング・アシスタント(TA)で、後半の仕事内容もほとんど変わりありませんでした。毎日1時間の授業見学、毎日1~2時間のオフィスアワー、学生が出した提出物の添削の手伝い、そして会話テーブルや映画のイベントがある場合の出席が主な仕事でした。

 授業はただ見学するだけでしたが、多くの発見や授業の展開の仕方など含めた多くの学ぶ点がたくさんありました。後で書きますが今学期履修したスペイン語の授業の学生の視点と比べてみても、日本語の授業は洗練されたものでした。

 特に日本語学科の纐纈先生の言葉から多くのことを学びました。「教える側はプロ意識をもって授業に臨まなければならない」や「教室では学生の発話を最大限に引き出すこと。教員は極力発話をしないように意識しなければならない」など授業に対する教員の姿勢についての助言は今後自分が英語教育に関わる上でとても勉強になりました。 先にも述べたとおり、毎週10時間あるオフィスアワーが自分の仕事の中心でした。このオフィスアワーは、行事などがある場合の準備、宿題・課題の添削、そして学生が書いたブログの確認などの時間も含んだ時間でしたが、学生の個別指導の時間でもありました。この時間に来る学生は基本的に授業に遅れている学生だけでしたが、学生との個別指導は有意義なものでした。授業見学ではわからない学生がつまずく点の再認識やどうつまずいたところを定着させるかなど、個別指導においても学ぶべき点がたくさんありました。

 授業外活動では、中間報告書でも述べたとおり、積極性が著しく足らなかったと思います。日本語学科が望んでいた課外活動での期待には正直応えられなかったです。会話テーブルや映画のイベント等を魅力的なものとし、学生の出席率を高めるかは自分の思い通りにはいかなかったですし、課外活動に対しての心構えが足りなかった点もたくさんありました。しかし少しは頑張れたと思う面もありました。今学期は主な行事が3つありました。お正月の行事、節分の行事、そして春祭りの3つありました。そのうち日本のお正月と節分についてのプレゼンテーションを担当する機会をいただきました。両者とも日本語の伝統行事をうまく説明するかが難しかったです。節分のイベントは日本語学生の向けだったので、わかりやすい日本語でどのように説明するかの難しさを実感しました。お正月イベントは日本語をとってない学生に向けての英語の説明でしたので、日本を知らない人にどのようにお正月を知ってもらうかは大変でした。うまく説明が伝わったかはわかりませんが、日本の文化を少しでも理解してもらえたのではないかと思います。

 次に今学期履修した2科目の授業について書きたいと思います。今学期は教育社会学の授業とスペイン語の授業を履修しました。先の教育学の授業は、アメリカの教育システムと教育格差についての授業でした。当然かもしれませんが、日本で育ってきた自分はアメリカの教育システムやアメリカという国が抱える様々な教育問題についてほとんど知りませんでした。生徒が育ってきた家庭環境と学業成績の関係、ジェンダーや人種による学校での成績等の結果の違いなどアメリカが抱えている教育の問題はとても興味深い内容でした。その中で日本の教育の良さを再認識しました。またこの授業では4つのテーマにそったグループに分かれて、プレゼンテーションとディスカッションをするということもしました。週ごとにそれぞれのグループがプレゼンと討論をしました。私のグループのプレゼンのテーマは、学校選択制の是非についてでした。学校選択制のメリットとデメリットについて知識を深めることができました。

 2つ目に履修したスペイン語の授業はある意味で反面教師として多くのことを学びました。スペイン語の授業はフルブライトの願書にも書いた履修したい授業のひとつでした。同じ言語教育を通じて少しでもなにか学べる点があればと思いましたし、生徒という視点を通して発見があるのではないかと思ったのが理由です。実際はスペイン語の授業はとてもがっかりするものでした。授業のほとんどは先生が文法や単語を説明するだけで、先生のための授業という印象を持ちました。復習や予習などの授業の組み立てもいい加減で、それぞれの授業がばらばらだという印象も持ちました。しかし自分が日本の高校で教えていた時も同じような教員中心の授業をしていたなという部分では、自分がどう教えるかを含めて自分と重ねて授業を見ることができたことは良かったです。この授業を通じて、日本語の授業がいかに体系的でよく考えられているか、いかに学生の対象言語の発話を引き出すか、教えた文法をいかに繰り返し学生に使用させ定着させるかなど、言語の授業における基本の重要性を認識しました。

 以上のように、学期中は自分のオフィスとアパートを往復する日々で忙しかったです。しかし冬休みや3月にあった1週間の春休みなどはアメリカ国内外に行くなど旅行する時間もありとても9カ月は充実していました。

 最後に、ノートルダム大学、日米教育委員会、IIEなど多くの人の支えがあり、今回のプログラムを無事終了することができました。ノートルダム大学で過ごした日々はとても有意義なものでしたし、これから言語教育にかかわるにあたり次につながる9か月でした。今回語学アシスタントとしての機会をいただき本当にありがとうございました。

10.大園 芽生 ---Carleton College, Northfield, MN

中間レポート

マイナス20℃、窓に輝く霜の結晶、真っ白な雪に包まれたキャンパス・・今、南国育ちの私にとって全く未知の世界が目の前に広がっています。私はミネソタ州のノースフィールドという小さな町にあるカールトンカレッジで日本語のLA(Language Associate)として働きながら学生として授業も履修しています。ミネソタ州はアメリカの北部にあるので毎年冬はとても寒くなるそうですが、特にこの冬は記録的な大寒波に襲われています。

体感温度がマイナス40℃近くあった日には少し外に出ただけで露出していた目と鼻のあたりが真っ赤になってしまいました。その日のように寒いと大変なこともありますが、雪さえめずらしい私にとっては初めてのことばかりで毎日が新鮮です。友だちと雪まみれになりながら雪滑りをしたのはとても楽しかったですし、夜にきらきらと光る雪を見たときは本当に感動しました。まだまだ春は遠いようなのでぜひこのミネソタの冬を満喫したいと思います。

私が今派遣されているカールトンカレッジは学生数が約2000人の小さい大学ですが、アメリカのリベラルアーツカレッジのランキングでは毎年必ずトップ10に入っています。学生たちはとても優秀なのですが、私はそれ以上に学生たちのまじめさや人のよさに感動しました。日本語の学生もみんなとても熱心で、教える側としてもやりがいがあります。カールトンに来て彼らと出会い、一緒に日本語を学ぶことができて本当に幸せだと思っています。

私のLAとしての仕事は大きく分けて2つあります。1つは日本語の授業の補佐です。普段は授業に参加して先生のサポートをしたり、ランゲージ・ラボで発音をチェックしたりします。授業後には初級と中級の生徒で2~3人のグループをつくり会話の練習をします。またワークブックや小テストの採点をしたりオフィスアワーに来た学生を教えたりします。先生がいらっしゃらないときに代講をさせていただくこともあり、秋学期は6回ほどさせていただきました。日本語を教えるということと英語を教えるということは全く異なるもののように感じますが、外国語を教えるという点で共通しているところもあり、非常によい経験になりました。

もう1つは日本語のアクティビティをすることです。私の仕事はどちらかというとこちらの方がメインで、週に1回、映画の時間とお茶の時間、ランチテーブルをしています。映画の時間は学生たちに日本の映画を見せているのですが、リクエストを聞くと必ずと言っていいほどジブリと答えます。ジブリの映画はアメリカでもかなり人気があるようで、学生たちも大好きです。お茶の時間は日本のお菓子を食べたり日本の遊びをしたりする時間です。学生たちは日本の食べ物が大好きなのでよく一緒に何か作っています。今までに白玉だんごや大福、おもちなどを一緒に作りました。日本の遊びは折り紙やかるたなどをしましたが、かるたをしたときはみんな真剣になり白熱していました。ランチテーブルは日本語を話しながらお昼ごはんを一緒に食べるというものですが、毎回椅子が足りなくなるくらいの盛況ぶりです。毎年初級の学生は自信がなくてなかなか来れないようですが、今年の学生たちは積極的に参加してくれていてとてもうれしいです。

週末には約2週間に1度、学生たちと一緒に日本の料理を作っています。秋学期にはたこ焼きやおにぎり、うどんを一緒に作りました。また冬学期に入ってからお正月のイベントをしました。みんなで書初めをして、その後お雑煮とちらし寿司を食べました。ほとんどの学生が書道をやるのは初めてということで教えるのは難しかったのですが、少し練習しただけでみんな上手に書けるようになりました。イベントが終わった後、自分が書いた字を大事そうに持って帰っている学生たちを見てこのイベントをやってよかったと思いました。その後学生から書道を教えてほしいというリクエストがあったので、ぜひまたやろうと思っています。 これらの日本語のアクティビティは義務ではなく、自主参加となっています。カールトンの学生は毎日本当に忙しいので、そんな中積極的に参加してくれる学生たちのために何かできないかと考え、日本語のアクティビティのカードを作りました。アクティビティに参加する度に1枚シールがもらえるというもので、秋学期全部シールを集めた学生には賞状とプレゼントをあげました。始めるときは学生たちが気に入ってくれるか心配でしたが、みんな喜んでくれてシールを集めるのを楽しんでいるようです。

学生として履修する授業については、秋学期はアメリカンスタディーズの授業を取りました。授業の内容はアメリカの様々な場所、空間において人々のアイデンティティがいかに形成されているかについて考えるというものでした。アメリカとメキシコの国境から始まり、住む場所として都市と郊外、学ぶ場所としてアメリカの高校について考え、最後にはこのノースフィールドでどこか場所を1つ選び、観察するというレポートがありました。私は私の好きなGoodbye Blue Mondayという喫茶店を選びましたが、いつも行っている場所なのに観察してみると様々な発見がありとてもおもしろかったです。この授業はディスカッションによって授業が進められましたが、英語力のない私にとって他の学生たちの前で発言するのはもちろん、みんなが何を話しているか聞き取ることさえできないこともあり、非常に苦労しました。週に3回授業がありましたが、日本の大学に通っていたときには考えられないくらい大量の読み物が毎回宿題として出され、レポートもたくさん書きました。毎日本当に大変でこの授業を取らなければよかったと思ったこともありましたが、素晴らしい教授とクラスメートのおかげで何とか乗り越えることができ、最後はこの授業を取って本当によかったと思いました。

この中間レポートを書きながらもう折り返し地点に来てしまったのだと気づき、時が経つ早さを実感しています。カールトンに来てから1週間が過ぎるのが本当に早くて、あっという間にここまで来てしまいました。これまでの日々を振り返ってみて、日本語の学生たちや先生方、友だちに恵まれ本当に素晴らしい経験をさせていただいていると実感し、改めて感謝の気持ちでいっぱいになりました。名前を聞いて場所さえわからなかったミネソタ州の小さなノースフィールドにあるカールトンでそんな学生たちや先生方に出会えたことは本当に奇跡のようなことだと思っています。しかし私はまだ何もお返しができていない気がします。私は英語が下手で、教師としての経験も、日本語教育の知識もありません。しかしそんな私にも何かできることがあると思っています。最後にこのような貴重な機会を与えてくださったIIEと日米教育委員会の皆様には本当に感謝しております。残りの日々も常に感謝の気持ちを忘れずに、悔いのないようベストを尽くしたいと思います。


最終レポート

 帰国して早1か月が経ちました。FLTAとしてアメリカで過ごした日々は夢だったのではないかという気さえしています。あっという間に過ぎ去ってしまったこの10か月は、私にとってそれほど素晴らしい時間だったのです。

前回、中間レポートを書いたのは冬でしたが、春学期が始まる4月になってもミネソタはまだ雪が積もっていました。その後少しずつ暖かくなり、長かった冬がやっと終わりを告げました。雪解けによって半年ぶりに青い芝生が見えたときの感動と、春の訪れの美しさは今でも忘れられません。学生たちも皆、春を待ち焦がれていたようで、日光浴をしたり芝生の上で勉強をしたりする様子がキャンパス中で見られました。 冬学期と春学期も様々なイベントがありました。カールトンは小さな町にあるため周辺に遊べるような場所はあまりありませんが、毎週末大学内でいろいろなイベントが開催されます。冬学期にはWinter Ballというダンスパーティーのイベントがあり、初めて社交ダンスに挑戦しました。日本語の学生たちに教えてもらって何曲か踊ってみましたが、残念ながらリズム感のない私はあまりうまく踊ることができませんでした。でも今まで社交ダンスをする機会がなかったので、雰囲気を味わえただけでもとても楽しかったです。春学期にはインターナショナルフェスティバルがあり、様々な国の料理やパフォーマンスを楽しむことができました。

日本語のLA(Language Associate)としての仕事は、秋学期と同じで授業の補佐と日本語のアクティビティが主な仕事でした。授業の補佐に関して、仕事の内容自体は秋学期と変わりませんでしたが、冬学期から初級の学生たちも課題で作文が出されるようになったので、よく作文に関する質問を受けるようになりました。オフィスアワーはもちろんですが、空き時間はできるだけ学部のラウンジにいるようにして学生たちが気軽に質問できるようにしました。そのうち学生たちもそこで一緒に勉強したり話したりするようになり、学生たちとの距離が縮まるきっかけになりました。春学期は卒論執筆や発表があったため、日本語専攻の学生たちにも質問を受けることがありました。今年は日本語専攻の学生が3人いましたが、全員日本への留学経験があり非常に日本語が上手でした。そのため質問内容も難しく、私も頭を悩ませることがよくありました。 日本語のアクティビティに関しても、秋学期と内容は変わりませんでした。しかし節分のイベントをしたり、学生たちが喜んでくれた書道のイベントを再び行ったりしました。春学期には日本語学科のイベントで焼き鳥パーティーも行い、バーベキューの道具で焼き鳥や焼きおにぎりを作って食べました。先生方と日本語の授業を取っている学生、日本人の留学生が参加したため人数が多く準備は大変でしたが、学生たちが準備や後片付けを手伝ってくれたおかげでとても楽しいイベントができました。 また冬学期と春学期は日本語学科のFacebookのグループページの運営も行いました。去年作られたばかりのものでまだ投稿する内容の詳細が決まっていなかったため、LAとして運営に携わらせていただきました。先生方や日本語専攻の学生、卒業生のインタビューやアクティビティの活動報告等を日本語と英語訳で投稿しました。

学生として、冬学期はCross Cultural StudiesコースのI’m A Stranger Here Myselfという授業を受講しました。この授業はカルチャーショックや異文化適応など異文化間の接触について勉強するというもので、それぞれ理論やモデルについて文献で学び、クラスメートとディスカッションを行い、その上で自己を振り返りました。留学生や短期留学から戻ってきた学生、外国に住んだ経験のある学生、あるいはoutsider(よそ者)としての経験を持つ学生を対象としていたため、クラスメートは非常に多様なバックグラウンドを持った学生が集まっており、彼らの考えや意見を聞くのはとても興味深かったです。この授業では毎回の予習や2週間に一度提出するレポートに加え、様々なプロジェクトがあったのも特徴的でした。特におもしろかったのは自分自身が今までに経験してきた異文化間の移動について絵や写真、動画などを使って自由に表現するという学期末最後のプロジェクトです。授業の最終日には展示会も行われ、たくさんの学生や教授、さらに学長にも作品を見てもらうことができました。

 今回、このプログラムを通してたくさんの素晴らしい出会いがありました。オリエンテーションや冬休みのカンファレンスで世界中のFLTAと出会い、カールトンで学生、先生方、友人と出会うことができました。アメリカは本当に多様なバッククラウンドを持った人が集まっていて、彼らと出会い、話す中で人種・民族・ジェンダー・セクシュアリティなど、今まで自分とは何となく遠いもののように感じられてきたものが一気に身近なものになりました。彼らとの出会いを通して、自分の視野が広がったように思います。 カールトンで過ごした10か月は毎日が充実していて、とても濃いものでした。たくさんの思い出ができたカールトンを離れるのは本当につらかったです。しかし多くの学生が今後日本に留学したい、旅行に行きたいと言ってくれました。再会できる日が来ることを信じてその日を楽しみにしています。そして、カールトンでの経験を糧に、これからの自分の生き方を真摯に考え、行動していこうと思います。

最後になりましたが、このような素晴らしい経験の場を与えてくださったIIEと日米教育委員会の皆様には感謝の気持ちでいっぱいです。私は学生時代からずっとアメリカの大学で世界中から集まっている学生と共に勉強してみたいという夢がありました。今回このような素晴らしいプログラムに参加することができて、その夢を実現することができました。本当にありがとうございました。

11.鳥居 創 ---U. of St. Thomas, St. Paul, MN

中間レポート

1.派遣先「セント・トマス大学」について 私が派遣されたセント・トマス大学は、ミネソタ州に位置する全校生徒約1万人の男女共学のカトリックの大学です。「カトリック教精神に基づくリベラルで責任感のある学生を養成する」ことを教旨とし、ビジネスから教育まで様々な学部が設けられています。

大学の施設はミネソタ州の州都であるセントポール市と、その双都市と呼称されるミネアポリス市にあり、学生たちは、ミネソタ特有の四季のはっきりとした年間を通して、熱心に勉強に励んでいます。

2.私の仕事について 私は、各国のFLTAの同僚と共に、日本語のアシスタントティーチャーとしてセント・トマス大学に赴任しました。私の主な仕事は、アシスタントティーチャーとして、難易度別に分かれた日本語の授業に参加し、チューターとして日本語の授業をとっている生徒を個別にサポートすることです。日本語の授業は、初級クラス、中級クラス、準中級クラス、及び日本に留学経験のある生徒のために設けられた上級クラスに分かれています。授業の内容は、コミュニケーションや文法の勉強が中心で、私は基本的に生徒の相手役になったり、会話をサポートしたりしています。秋学期には一度、日本語文化を紹介する授業を担当させていただき、その時には、折り紙で鶴をおったり、日本の文化を紹介したりしました。生徒たちは、日本にとても関心があり、授業が終わっても、質問をたくさんしてくれました。自分の力不足のせいで、英語で上手く答えられず、歯がゆさを感じることもたくさんありましたし、日本人の自分にとっては当り前だと思い込んでいたことについて質問された時には、はっと気づかされ考えさせられることもしばしばありました。 一方、チュータリングの時間は、週に8時間ほどあり、生徒に日本語の会話の練習や教科書の問題の解説をしたり、日本文化について教えたりしました。この時間は、基本的に一対一で生徒と勉強をする時間が設けられているため、より深く教えることができ、とても貴重な体験ができました。秋学期は、生徒と「電車男」のドラマを見ながら、漢字の勉強をしました。少し独特なドラマではありましたが、その生徒は、日本のアニメーションや秋葉原に興味を持っていたので、楽しく授業を進めることができました。

3.課外活動について これらの主な仕事以外にも、日本クラブに参加して、日本の映画やアニメーションをみたり、日本特有のお祭りや習字を生徒と一緒に体験させてもらったりしています。クラブの人数は20人程で、他の文化系のクラブと比べても参加人数は多く、遠く離れた国に対してこれだけ生徒が関心を持ってくれていることをとてもうれしく感じます。 また、日本語の授業のアシスタントティーチャーをする一方、秋学期には、自身の勉学のために、English as Second LanguageとMiddle East Historyという2つの講義をとらせていただきました。English as Second Languageというクラスは、第二言語である英語の習得方法について学んだり、アメリカの文化、特にミネソタ州の原住民の歴史について学んだりしました。英語教育に関心のある中学や高校の先生も生徒として授業に参加しており、英語の効率的な取得方法についてディスカッションなどをしました。将来英語教師を目指す私にとってはとても興味深い授業でした。一方、Middle East Historyでは、中東の歴史を学ぶと共に、中東とアメリカの外交的関係や、その歴史的背景について学びました。生徒の多くが、サウジアラビアやエジプトなどの中東出身の留学生で、今も残る偏見や、アメリカと中東の文化や慣習の違いなど、様々なことを学習できました。

4.終わりに 以上、派遣されたセント・トマス大学では、充実した日々を送ることができ大変感謝しております。アメリカは昨年の12月より記録的な寒波に襲われ、ミネソタではマイナス50度という最低気温記録を更新する事態に見舞われました。しかし大学や町の人々の気持ちはとても温かく、寒さに負けることなく楽しく毎日を過ごしています。さらに、昨年の12月には、ワシントンDCで行われたFLTAプログラムの各国の同僚達が一堂に集まるカンファレンスに参加しました。彼らと母国語教育の重要性や英語教育の問題など様々なことについて意見交換をすることができ向上心を刺激させられました。数日後に始まる春学期では、カンファレンスで学んだことや、秋学期の反省を生かして、一層有意義な授業が行えるように努めたいと思います。


最終レポート

校舎に降り積もった雪は融けることもなく、後期が始まりました。大学生活に慣れたこともあり、前期より1時間多くチューターの時間を設け、3か月というわずかな時間に出来る限り交流を増やし、自分の責務を果たせるよう努力しました。各々の日本語の授業では、前期の反省を生かし、難解な箇所は個別に指導できるように、会話練習やアクティヴィティーは生徒が積極的に参加できるように授業を工夫しました。後期も前期と同様に日本文化を紹介する時間を指導教官の先生からいただくことが出来たので、日本の宗教と現在の日本の状況について教えました。宗教は複雑なテーマですが、日本文化の淵源である神道や、一方で特定の宗教に固執しないという現代の日本の宗教観を伝えることは、日本を知る上で重要な要素の一つであると思い、このような主題を選びました。授業の後半では「しりとり」を通して、日本語特有の音素構造について学習しました。英語は綴りのパターンによって発音が変化するので、「しりとり」のルールを理解するのは生徒にとって難しいのではないかと思いましたが、生徒たちはゲーム感覚でルールを把握し始終楽しくしりとりをすることが出来ました。

自分自身の学習については、後期は「英文学」と「世界史」の授業を取りました。英文学を聴講した理由は、大学院で英文学を専攻していたので、アメリカでのイギリス文学に対するアプローチ方法に興味があったからです。例えば、英詩を学ぶ際は、詩人の複雑な背景知識を重点的に学ぶよりも、詩を単語レベルまで掘り下げて鑑賞することにより、生徒一人一人がその詩に対する固有の解釈を持てるように授業は展開していきます。もちろん日本人が英文学を学ぶ場合は、母国語ではないという障害はつきものなので一概に比較することは難しいですが、生徒が自由に文学を学ぶ姿はとても魅力的なものでした。一方、「世界史」を受講した理由は、日本が描く世界地図で日本が中心に位置する様に、「世界史」のクラスに参加すればアメリカが持つ他国に対する歴史的認識を学ぶことができると思ったからです。日本では、年時やキーワードを答える様にテストが作られますが、このクラスのテストは、ある歴史的事実と現代のある状況に因果関係を見出すことができるかどうか等といった主観的な問題を生徒に解答させることで、より身近に歴史的事実を学ぶよう授業が構成されていました。どちらの授業も、日本の教育とは異なった視点に立って考えられており、私にとってとても貴重な経験となりました。

FLTAプログラムを通じて 家具販売を主に行っている「イケヤ」は、アメリカでは現在「アイケア」と呼ばれ親しまれています。これはおそらく、英語の綴り字と発音の関係に起因するものであり、 “Itinerary”のように、頭文字にアルファベットの “I”が来た場合、英語母語話者はその単語を自然に「アイ」と発音するからです。しかし面白いことに、他国から来たFLTAの方に伺ったところ、ヨーロッパや南アメリカに出店している「イケヤ」は「イケヤ」とそのまま発音されるそうです。このプログラムが始まった去年の夏、オリエンテーションでスタンフォードに到着した時、私は英語が全くわからないという現実に直面しました。大学で日本語を教え始めると、そのせいで、積極的に生徒と接することが出来ず、受動的な姿勢を払拭できずにいました。 一方で、生徒たちに嫌われたくないという思いも強く、理想的な日本人を装うとしましたが、現実との落差は明白で徒労に帰す結果となってしまいました。今思えば、どちらも自分を良く見せようとして、いつの間にか常に自分が相手に譲歩する状態を作ってしまったせいだと思います。アメリカの方が期待する日本人になろうとすればするほど、アメリカと日本の架け橋としての自分の責務を全うすることができなくなってしまったのです。一方に譲歩していては、相互的に均等な関係を築くことは出来ません。「イケヤ」の呼称の例はとても些細なことですが、ある文化が同等な関係の基で、別の文化と交流する際、一方はその本質を崩すことなく、その慣習に適応できる形へと自然と変態を遂げます。良くも悪くも、有りのままの姿でいることが2つの異なる文化を繋げるのであり、極端な譲歩的態度が架け橋に繋がることはないのだと思います。 このFLTAプログラムを通じて、他国のFLTAの方々と出会い、生徒たちと授業をこなしていく中で、母国語を教える意義や教師としての在り方を身を持って学ぶことができました。これらの経験を活かし、英語教師という将来の夢を成し遂げられるよう、より一層努力していく次第です。そしていつか英語教師になった時には、国際社会に貢献できるような日本と世界の懸け橋になりたいと生徒が感じてくれるような授業を行っていきたいです。FLTAプログラム関係者の皆様、愚昧な私を最後まで支えてくださった方々に深く感謝の意を申し上げると共に、この報告を終わらせたいと思います。本当にありがとうございました。