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フルブライト語学アシスタントプログラム(FLTA)

2021年度 参加者レポート

2021年度参加者 
1  2  3  4 

1. 小林慶子 Carleton College, Northfield, MN

中間レポート

ミネソタ州ノースフィールドのカールトン大学に派遣されている小林と申します。もともと2020年度のFLTAとして派遣される予定でしたが、コロナ禍で一年延期されての派遣となりました。カールトン大学も去年は日本語のFLTAが来ることが出来なかったようで、双方にとって二年ぶりの状況であったようです。私も念願かなって今回が初の渡米となりました。 フィッツジェラルドの短編『冬の夢』にあるように、ミネソタの冬は長くそして厳しいです。それでも雪がやんだあとの空は澄み切り、見上げたくなるような青色をしています。

応募〜派遣まで

凍った川の表面に雪がつもっています。
 過去にカールトン大学にFLTAとして派遣されたことのある友人からたまたまこのプログラムを紹介されました。私は大学・大学院で英語以外の外国語を専攻し、あまり英語に触れることなく英語の教員となりましたが、現場では学生たちがいかに生きた英語から離れ、英語圏の文化から遠い学習をしているかを目の当たりにし、私が生活の言語として英語を使った経験が必要だと強く思うようになったのが応募の大きなきっかけです。また、英語母語話者の日本語学習について知ることも興味深く、英語圏以外の留学地において日本語学習者の補助や文化のイベントを開催した経験も活かせればと考え応募に至りました。

 採択いただいたあと、コロナウイルスの影響を受け、私の派遣も例に漏れず1年間の延期となりました。この1年間、仕事も辞めてしまっていたため、新たにフリーランスとして働きながら、経済的にも、また来年本当にまた行けるかどうかという不安のなかで過ごしました。その不安のなかでも行けることを信じ、日本語教育能力検定試験の資格を取得したり動画等で日本語教育について勉強していました。渡米が可能となったときには本当にうれしかったです。デルタ株の再蔓延やワクチンの接種の遅延等もありましたが、日米教育委員会の皆様のサポートのもと、VISAや健康診断の手続きも1ヶ月等で済ますことができ、無事に8月末日に渡米することができました。

LAとしての仕事

書き初めをしました。みんな自分の好きな漢字を書いてお気に入りの作品を持って帰りました。
 カールトン大学には、私の他にも各言語を教えるために7か国からLA(Language Associate)が派遣されています。私たちのメインの仕事は、先生方の補助や文化的なイベントを担うことです。日本語LAの主な仕事は、①宿題、小テスト等の採点、②文化的なイベントの開催(毎週のお茶の時間、映画の時間、ランチテーブル)、③会話練習及びオフィスアワー、④週2時間の代講でした。

①カールトン大学の語学の授業は週5日とインテンシブに展開されているため、毎日のように小テストや宿題がありました。今年は日本語履修者がカールトン史上最多を記録したということで、私は主に初級学習者の採点を担当することが多かったです。学生たちは初めて習うひらがなやかたかな、そして無数の漢字に当初辟易しているように見えましたが徐々に慣れていく様子が伺えました。

②日本語と中国語の学科は毎週3回、LAが主催するイベントがあります。秋学期の最初、またオミクロン株蔓延後はオンラインでの実施が多く参加者を集めるのに苦労しましたが、徐々に対面へと移行して行きました。
火曜日の「お茶の時間」は日本のお菓子を作ったり、習字等文化を楽しむ時間が主となっていました。秋学期はスイートポテト、どら焼き、おにぎり等を作りました。冬学期の初回は、みんなで書き初めを行い自分の好きな漢字を書きました。木曜日の「ランチテーブル」は日本語で会話しながら食堂でランチを食べる会です。多い時には一つの長机に入りきらないくらいの参加者がいることもありました。金曜日の「映画の時間」は日本語の映画を見る時間です。やはりアニメ映画の開催のときには学生の集まりはいい傾向にあります。

③オフィスアワーは日曜日を含む週に3時間あり、質問のある学生や日本語の会話練習がしたい学生が来ることが多いです。会話練習は初級、中級と隔週で行われテーマに沿って既習事項を活用した会話の練習を行います。

④主に秋学期から冬学期の最初にかけて、週2時間代講を行わせていただきました。考えたことがないようなとっさの質問にうまく答えられないこともよくありましたが、学生たちや先生方の指導に支えられて楽しく教えさせていただけたと思います。授業がうまく回せず学生に申し訳ない気持ちになることも多くありましたが、母語を教えるという経験は私にたくさんの言語的な学びを与えてくれました。日本ではあまり母語(=日本語)との違いに焦点を当てて外国語教育を学んだことがなかったため、今後また日本に帰ってからも日本語教育に何らかの形で携わる等、引き続き勉強していけたらと思います。

履修している授業
  カールトン大学は3学期制で、1学期あたり10週間と非常に短いです。私たちは1学期に1つ授業を履修することになっており、そのうち一つがアメリカン・スタディーズであることが要件となっています。私は秋学期にアメリカ文学の授業を履修し、冬学期の現在は古代ギリシャ語を履修しています。どのクラスも多くのエッセイや宿題を学生に課しており、夜遅くまで学生たちは休日も問わず長い時間熱心に勉強しています。8週目〜9週目ともなると学生たちも非常に疲弊した様子が見られ、学生と話をすると、みんなが自分よりもできるように感じて劣等感を覚えていたりとレベルの高い大学なりの大変さが伝わってきます。

 秋学期の授業は、アメリカの短編小説についての授業を履修しました。私は日本にいたときからよくアメリカ文学に親しんではいたのですが、楽しみのためだけではなく分析しながら読むのは大変でしたが、文学をどのように語学の授業に応用するかという点について非常に勉強になりました。しかしそれでも自分の仕事と並行しながら、週3回の授業で毎回2〜3つの短編についてディスカッションし、2週間に一度のペーパーを書くのは本当に大変でした。最後のプロジェクトは3〜4人のグループでひとつ短編小説を書き、それぞれについてディスカッションをしました。気候のいい秋の日はオークの木の下で円になって授業をしたのもいい思い出でした。

 冬学期は古代ギリシャ語を履修することにしました。語学の教員として、アルファベットからまったく異なる言語を勉強すること、週5日の授業に出ること、毎日の宿題を提出し小テストに備えることの大変さ、また英語で日本語を学んでいる留学生たちの気持ちを理解するのにはもってこいの経験でした。ギリシャ語は名詞と動詞の活用が多く、これまで学んだ言語の中でも比較的難しい方だと感じました。

生活について
 過去のFLTA方も書いているとおり、ここノースフィールドは田舎の小さい町です。リスや野うさぎがそこら中にいて、自然の多いのどかなキャンパスが私はとても好きになりました。ただ都市に出るには一日数本のバスに1時間乗っていかなければいかず、冬学期中はコロナの影響でこのバスすらなくなってしまい、文字通りノースフィールドは陸の孤島となってしまいました。学校から10分くらい歩いていけば小さなブティックやスーパーマーケット等もあるので日常の用は済みますが、カフェも夕方6時で閉まるところが多く勉強の息抜きに遊びにいくような場所はあまりありません。
 また、今年は比較的暖冬ということで(それでもマイナス20〜30度くらいには下がりましたが)、思ったより過ごしやすい冬を送っています。もちろん屋外に行けば睫毛も凍る寒さではありますが、屋内は日本よりも暖房が効いていてあたたかいです。冬休みは一ヶ月くらいありますので、NYとハワイに旅行に行き、とてもよい息抜きができました。
 そして先述の通り、私を含め7人のLAが今年はカールトンに来ています。もちろん学科ごとに状況は異なりますが、それぞれの苦楽を分かち合うことのできる心強い友人たちです。また学科の先生方もいろいろな悩み相談に乗ってくれ、毎日精神的に支えられていることを実感します。



最終レポート

 プログラム終了後、3ヶ月近くが経ちました。私は現在、私立高校で非常勤講師をしながら、将来何をしたいかゆっくり考えながら過ごしています。アメリカでの10ヶ月間は、自分の力不足もあり、いつも楽しいことばかりではなかったですが、学ぶことの多い貴重な一年でした。

LA(Language Associate)としての仕事
 冬学期に引き続き、春学期も毎日の授業の会話補助や宿題の添削、会話練習、作文の添削をメインにアシスタント業務を行いました。学期末は作文を基にしたプレゼンテーションがあり、学生と一人30分ずつくらいディスカッションをしながら作文のアップデートを行いました。既習文法、語彙だけを使いながら彼らの言いたいことを汲み取りパラフレーズする作業は骨の折れることでしたが、学生の最終プレゼンテーションはレベルが高く、質疑応答にもよく答えていて見応えのあるものでした。
 また、春学期はコロナの蔓延も落ち着き、イベントもほぼ滞りなく行うことができました。お茶の時間はいちご大福、五平餅、チョコバナナなどを作ったほか、アメリカでベーカリーをやっていた方をゲストにお呼びしてメロンパンの作り方をレクチャーしていただきました。日本語のイベントの参加者は他の言語に比べて毎回コンスタントに人数が多く、熱心で日本文化が好きな学生がたくさん来てくれました。
 5月、ミネソタに春がようやくやってきた頃にはカールトン・カレッジのJapanese Circleと合同でお花見のイベントを行いました。天気にも恵まれ、たくさんの参加者とおにぎりや日本のお菓子を食べながら穏やかな時間を過ごしました。春学期末にはスーパーバイザーの先生と流しそうめん、スイカ割りを企画し、たくさんの学生に楽しんでもらうことができました。


履修したクラス
 春学期は”Issues in Urban Education”という授業を履修しました。最初は他の授業を取っていたのですが、どうしても最後にアメリカの教育に関する授業を履修したく、直接担当の先生にお願いをして履修を許可してもらいました。アメリカの教育について前知識がほぼゼロでしたが、それでも学ぶうちに日本の教育との共通点があることや「人種」という私たち日本人に欠けている概念がアメリカにとても根深いことが少しずつ分かってきました。授業は週に1冊以上の本を読むハイペースでしたが、読む内容はどれも面白く、教育と政治との密接な関わりや、誰もが教育の当事者として現実に働きかけるにはどうしたらよいかを考えさせられました。カールトンの先生は本当に学生をよく見て気遣う声を掛けてくれる方ばかりで、授業の運営方法だけでなく、学生との接し方も学びました。

日常生活について
①他のLAとの関係は、日を経るごとに深まり、本当に毎日をやっていくにはなくてはならない存在でした。特に台湾のLAは同じDepartmentで日々の大変さや忙しさを共有していたので、毎日夜遅くまで家の近くのWeitzセンターで勉強したり、息抜きに週末にお菓子を作ったりしていました。本当に彼女の存在は大きく、お互いにいろいろなことを相談していたと思います。もちろん共同生活なのでキッチンやバスルームの使い方について色々とストレスの溜まることはありましたが、基本的に彼らに支えられた一年でした。

②春学期は秋冬に比べて少しだけ余裕が生まれたため、地域の弓道サークルに週に一度参加させていただきました。高校の時に弓道をやっていたので10年以上ぶりとなりましたが、日本の練習とは違って楽しむための稽古で、とてもいい息抜きとなりました。

最後に
 コロナにも罹患したことをはじめ、直接的にも間接的にもまだまだパンデミックの影響の色濃い一年だったと思います。それでも振り返ってみれば本当にあっという間でした。朝7時前に起き、夜11時すぎに帰る生活は大変でしたが、今は少しだけ懐かしいです。この忙しい1日1日をなんとか乗り切れたのも、周りの学生やスーパーバイザーの先生のおかげでした。そして何より貴重な機会を下さったフルブライト、日米教育委員会の方に心より感謝致します。

2. 尾崎康太 University of North Georgia, Dahlonega, GA

中間レポート

派遣先について
 UNG (University of North Georgia)は、ジョージア州のアトランタから北に車で1時間半のところにあります。5つのキャンパスがあり、学生数は19,000人です。白人人口70%、ヒスパニック15%、黒人5%、アジア5%、その他5%の割合となっています。特徴的なのは、Military Cadet(陸軍士官候補生)の学生がいることです。UNGは上級軍事大学としても知られており、授業に迷彩の服を着た学生がいたり、キャンパス内で訓練をしていたり、他大学では見ることのない光景を見ることができます。
 UNGにはLanguage Labという部屋があり、そこで第二言語を学ぶことができます。スペイン語、イタリア語、ポルトガル語、フランス語、ロシア語、韓国語、中国語など様々な言語のTAが集い、学生に指導をしています。文化イベントも盛んに行われており、TAや学生と異文化交流でき、充実しています。言語指導だけでなく、文化交流もできる場所で、一番この場所が好きです。
夏のキャンパスの様子
冬のキャンパスの様子、年に一度の雪が降った時の写真
応募について
 大学の先輩がFLTAとして派遣されていて、元々このプログラムについては興味がありました。 愛知県の高校で6年間英語の教員をしており、担任、教科担当として1、2、3年と生徒と過ごす中で、教員としての英語力、指導力をさらに磨きたい、生徒と世界をつなげたいと思い応募をしました。

応募から決定までの道のり
 TOEFLのスコア、推薦状、志望動機などの準備を教員の仕事をしながらやりました。何事も早く行動することをお勧めします。(市役所や大学、上司、教授に資料をお願いすることになるので)志望動機は、今後の教員人生を送る中で、このFLTAの経験をどう活かしていくかについて書いていきました。帰国後の自分について考えるのに、多くの時間を費やしたのを覚えています。
 9月下旬、面接がありました。志望動機、現地で何をしたいか、将来について何を聞かれてもいいように準備をしました。3月中旬に、派遣先候補が送られ、希望順位をつけて選びました。その頃から、予防接種や健康診断の手続きを始めました。5月初旬に、派遣先決定の通知が来て、派遣先とメールで手続きが始まりました。

生活について
 アパラチア山脈の麓に位置しており、日中と朝晩の寒暖差があり、服装の調整が必要です。雨も降ることが多く、折り畳み傘は必要です。キャンパス内の職員寮に住んでおり、教室までは徒歩5分で着きます。しかし、公共交通機関(バス、電車)がないのが一番厄介です。Walmartまで徒歩20分、賑やかなレストラン街まで徒歩10分でただ生活するには便利ですが、少し遠出したい、旅行したいとなると車を持っている人にお願いをしないとどこにも行けません。学生や教授にお願いをして色々と連れて行ってもらうことになります。食事に関してですが、長期休みを除いて、朝昼晩食堂ブッフェ食べ放題です。野菜、果物、デザート、ピザ、ドリンク、コーヒー、シリアルはいつ行ってもありますし、日替わりメニューも多種多様です。学生からは不評でしたが、個人的には大満足でした。時々、日本食が恋しくなる時は、Walmartで買った25セントのラーメンを食べています。
アパラチア山脈麓の滝の写真
ロシア、韓国のF L T A、日本語の学生たちとの週末の写真
仕事内容について
 二人の日本人の教授の元、ティーチングやチューターのご指導いただいております。今まで日本語を教えたことがなかったため、初めはわからないことが多く大変でしたが、授業に参加しながら、段々とわかるようになってきました。

アシスタントとして
 初級、中級、上級の授業があります。メインで上級のクラスのアシスタントとして授業についています。週に1、2回初級、中級の授業にアシスタントとして参加しています。授業準備、ペアワークの相手、机間指導を中心にサポートをしています。また、2週に1回のペースで私がメインになり、授業しました。

チューターとして
 上級の学生12人と毎週30分、一対一で宿題の確認、予習、復習を行います。また、日本語チューター(10人)の管理やトラブルシューティングも担当しております。

アンバサダーとして

International WeekのOrigamiイベントでの学生の作品
 文化的なイベントは箸リレー、折り紙のイベントをやりました。日本語受講者だけでなく、他の学生も参加してくれました。特に、力を入れたのは日本の高校生とUNGのコラボレーション授業です。日本の高校の授業にzoomを通してUNGの学生を参加してもらいました。時差問題や事前打ち合わせ、日本での機械トラブルなどありましたが、高校生、UNGの学生からの評判はよく、合計9回もコラボレーションすることができました。初めてネイティブの学生と英語を話し緊張する高校生と初めて日本人の高校生と話し緊張するUNGの学生が、最後には笑顔で話している姿を見て、この企画をして本当によかったと思いました。

今後に向けて
 日本語スピーチコンテスト、主として担当する授業、日本文化イベント、チャリティーイベントなど様々なイベントがあります。UNGだけでなく地域の人々との交流もしていきたいと考えています。また、プログラム終了後、すぐ職場復帰ですので、職場と密に連絡を取りながら生活していきたいと思います。



最終レポート

 ノースジョージア大学(UNG)に派遣されていた尾崎です。FLTAプログラムは本当に充実した10か月でした。そう思えるのも、多方面からのサポートのお陰だと思います。休職中サポートしてくださった職場の管理職の先生方や学年、英語科の先生方、担当してくださったフルブライトスタッフの方、派遣先で担当してくださったLara、日本語クラスを担当してくださった西尾先生、津々見先生、そして日本語クラスの学生たち、本当にありがとうございました。
 また、出国直前の部活動指導中に左脚アキレス腱を断裂したため、職場や派遣先、フルブライトスタッフにご心配をおかけしました。行けるか心配していましたが、無事に手術を終えて出国できました。
 プログラム終了後、県立高校へ復職し、勤務が始まりました。アキレス腱のリハビリから始まったプログラムから帰国し、日本で4か月が経過したところです。プログラム参加から約1年、今思うことを述べます。


時間の使い方
 現在の勤務校では週70時間を教科指導、生徒指導、部活指導などに費やしております。一方、派遣先では週30時間をTAや授業の勉強の時間に充てていました。20時間はTAのTutorや授業準備、授業実施、イベントなど。10時間は、聴講していた授業の準備、テスト勉強をしていました。(聴講した授業:東アジア人類学、スペイン語、犯罪学、スピーチ)
 秋学期は、出国が遅れて、オリエンテーションに参加できず、友達ができませんでした。またケガで移動困難であったため、時間を持て余していました。後半に連れて、脚がよくなり、外出できるようになり、友達もできました。春学期には、余裕ができて、サークル活動に参加し、学生とイベントの運営をたくさんしました。
前半は1人で過ごすことが多かったですが、後半は平日、週末問わず空いている時間は、できるだけ多くの学生や教授たちと過ごしました。世界各国からの留学生や他言語のTA、教授とは今でも連絡を取り合う仲になりました。もう1度大学生になり、仲間や教授と関わることができたのは貴重な体験でした。秋学期に這ってでもイベントにもっと参加しておくべきだったと後悔しています。
 長期休みは、秋休み(9日間)、冬休み(2週間)、春休み(9日間)、帰国前(1週間)でした。秋は、韓国とロシアのFLTA、日本語の学生の兄弟とフロリダに行き、旧ホストファミリーに会いにアラバマへ行きました。冬の前半は1人でカリフォルニアへ。安いホステルに泊まり、そこで友人を作って行動をしました。後半は、友人の家族とフロリダのユニバーサルスタジオへ行きました。春は、教えている学生の兄弟の友達とアラスカへ行きました。帰国前は、仲良くなった学生たちとラスベガスへ行きました。どの旅も新しい出会いや学びがあり刺激的でした。


Culture Event
 派遣先では多くのイベントを実施しました(箸リレー、カエル競争、ワサビ選手権、習字、早口言葉、日本のマナー、けん玉大会、おにぎり、日本四季、カラオケ大会)。最初は私が主でやることが多かったですが、次年度も継続してほしかったため、学生が主体となってできるようにサポートをしました。イベントについて学生と討論になり、ぶつかり合ったこともありましたが、たくさんの参加者が来て楽しんでもらえたと思います。楽しいだけでなく、文化的なことや歴史などに触れることで、学びのあるイベントになるよう心掛けました。帰国後の現在、新しい学期が始まり、イベントが開催されております。オンラインで参加出来たらなと思っています。

人とのかかわり方
 先生として話す時、友人として話す時、どのようにかかわるべきか悩みました。FLTAの難しいところは先生であり学生でもあること。自分の中で、先生モードの時と学生モードの時は分けて生活していました。授業内と授業外では違う対応をするようにと学生に伝えました。授業中、学生に呼び捨てで話しかけられたときは訂正しました。授業外に学生から、今は先生ですか?と聞かれたこともありました。最初は混乱した学生もいましたが、だんだんと慣れました。日本語のマナーや敬語について教える良い機会でした。個人的な意見ですが、TAという立場で派遣されているので、授業では、公私混同しないようにラインを引いておくことが重要だと思います。

今後の展望
 イベントの1つとして、UNGの大学生と日本の高校生でオンラインコラボ授業をしました。今後もコラボ授業を継続してネイティブと触れ合う貴重な機会を増やしていきたいと思います。またUNGの学生が近隣の大学に留学しているので、そこともコラボして、生徒が異文化と触れ合う機会を設けたいと考えています。上記に挙げたようなコラボやイベントを積極的に行い、UNGの学生や日本の高校生がお互いの文化に触れ合えるような機会を作っていきたいと考えています。私のFLTAとしての役割は終わりましたが、日本とアメリカの異文化交流を支える一人として活躍出来たらと思います。

Future FLTAへ
 10か月という時間は限られていますので、やりたいこと、できることはやったほうがいいです。英語力より行動力です。勇気を持って、授業の隣の人や、知らない人に話しかけたり、イベントへ積極的に参加したりすると自然と周りに人が寄ってきます。日本の話をするととても興味を持ってくれます。日本人であることを最大限に活かして、いろいろなジャンルの人と関わって下さい。

3. 樽井茉莉 Spelman College, Atlanta, GA

中間レポート

 ジョージア州アトランタにあるスペルマン大学に派遣されている、樽井茉莉です。2021年の8月から2022年の5月までTeaching Assistantとして勤務する予定です。2022年春学期の頭にオミクロンの感染者が急増し、一時期はオンラインになりましたが、基本的にインパーソンで教授と共にクラスを教えました。

スペルマン大学
 スペルマン大学はジョージア州アトランタに位置する歴史的黒人大学(Historically Black Colleges and Universities, HBCU)で、女子大学です。学生のほとんどがアフリカ系アメリカ人で、全米のみならず他国からの学生も数多く在籍しています。キャンパス内はとても綺麗で、安全です。AUC(Atlanta University Center)という大学コミュニティーに属しており、他にMorehouse Collegeや、Clark Universityが大学と隣接しており、他校のキャンパスを通り抜けて、共用の図書館が利用できます。また、スペルマンの大学内にも、他のAUCに所属する大学から授業を取りにきた学生も多く見られます。

 アトランタの気候は、日本と似ていますが、湿度が低く比較的過ごしやすいです。今年は1月上旬に二度雪が降りましたが、他の州と比べて暖かい気候が特徴です。また、大学からアトランタの中心部まで車で30分と近く、大学の近くにはコカコーラミュージアム、CNNセンター、オリンピックパーク、水族館があり、観光するところがたくさんあります。移動は基本的にLyftやUberでの移動となりました。

初級クラス(1年生向けのクラス)

初級クラス (1年生)
 1年生のクラスは夏学期にひらがな、カタカナを教え、春学期では、日本語の表現(物の名前や、よく使われる言葉など)を教えました。言語教育のみならず、アニメを通した文化交流、またカルタなどのゲームを交えてクラスを進めていきました。私自身、TAとしてクラスに参加しましたが、週に1回クラスをメインの先生として教えさせて頂きました。学生と年が近いこともあり、アニメで使われる簡単な表現を教えたり、アニメをトピックに使うことで学生のモチベーションを上げるようにしました。

中級クラス(2年生向けのクラス)

中級クラス (2年生)
 2年生のクラスでも、TAとしてクラスに参加しました。2年生のクラスは週に2回火曜と木曜に教えました。このクラスでは、学生が2年生ということもあり、文法(形容詞の変化のパターン、文章の作り方など)を教えていきました。またクラスでは、特に漢字の書き順、そして発音に力を入れました。クラスの中でも、書道や折り紙をすることで、常に日本文化を持ってもらうように努力をしました。


上級クラス(3年生向けのクラス)
 3年生のクラスは週に2回、火曜と木曜にTAとして参加しました。学生が3年生ということもあり、日常会話や、少し難しい表現、そして助詞の使い方に焦点を当てながらクラスを進めていきました。3年生にもなると、書くことだけではなく、教科書からの単語を使って文章を作り、発表する事もできます。

インディペンデントスタディー(4年生のクラス)
 インディペンデントスタディーのクラスでは、週に2回、計2時間を教授とco-teachingの形で教えます。ここでは、発音練習、文章の読解、漢字の練習などをメインに教えました。4年生とはいえど、漢字をまだ書き慣れていない学生が多かったので、漢字コンペティションなどをして学生に漢字を覚えてもらうようにしました。

カンバセーションテーブル
 カンバセーションテーブルは、週に1回、クラス外の時間で教科書を使わない日本語の勉強会を開催しています。主に日常会話やアニメを通しての日本語練習、そしてそこから学べる日本文化などにフォーカスしました。アニメをただ見るだけではなく、日本語字幕で見てもらい、大切な表現などをピックアップし、それをどう日常会話で使えるかなどを教えました。また、日本に来た時に使える日本語、自己紹介や、道の尋ね方を教えました。できるだけ学生が日本語の表現を体で覚えられるように、私よりも学生に話してもらうように行いました。文化交流という事も兼ねて、学期が終わった際に忘年会を学生と一緒にやりました。
Conversation Table 1
Conversation Table 2



最終レポート

 2021年度スペルマン大学にFLTAとして派遣された樽井です。秋学期は、クラスのアシスタントとチューター、またカンバセーションテーブルをメインに活動していましたが、春学期はそれに加え、上級クラスの副担任、そして初級のクラスのメインティーチャーとして週に一度クラスに携わりました。夏学期とはうってかわり、学生数も増え、様々なイベントを引率し、とても充実した学期を送ることができました。またスペルマン大学での日本語教育への貢献が認められ、学期末にCertificate of Achievementを受賞することができました。

春学期の始まり
 春学期が始まる際に、コロナがジョージア州で威力を増し、最初の約1ヶ月間、クラスがオンラインで行われました。当時キャンパス内で他国のFLTAと私のみがキャンパスで生活することになり、とてもキャンパスが静かでびっくりしたのを覚えています。クラスの運営では教授と綿密に連絡を取り、学生がキャンパスに帰ってくるまで、どうしたら学生の参加率を維持しつつ、学びをより深めることができるか考えました。その際に、今アメリカで大流行している日本のアニメを使い、学生の興味を引きつけながらクラスを運営することに努めました。その甲斐があり、学生がキャンパスに戻ってきてからもスムーズにクラスを運営することができました。

ソーシャルメディアでの日本語授業のプロモーション
 スペルマン大学での日本語クラスはとても人気があります。一人の教授に対し、約75人の学生が常に履修しています。クラスの定員数以上に達すると、クラスを履修できない学生や、アニメに興味はあるが日本語という言語は難しいのではないかという先入観で履修を諦める学生もいます。出来るだけ多くの学生に日本文化や日本語、日本発の物に触れて欲しかったので、ソーシャルメディアを開設しました。そこで、日常的に使える簡単なフレーズや、日本での生活、日本にまつわる様々なことを発信していきました。すると、日本語を取っていない多くの学生が日本語のクラスに関心を示すようになり、日本語クラス主催のイベントに顔を出す学生が増えました。また、ソーシャルメディアをイベント発信の際に使い、日本語や日本文化が多くの学生の目に触れる環境を作ることに専念しました。

桜祭り
 スペルマン大学では、毎年3月中旬に桜祭りが行われます。従来であれば、アトランタにある日本領事館と連絡を取り、太鼓や茶道などのパフォーマンスをし、とても盛り上がるのですが、今年はコロナで外部からのパフォーマーを呼ぶことができませんでした。なので、私と教授でどう桜祭りをどのような内容にするか、どう運営するか話し合いました。コロナ禍ではありますが、できるだけ学生が直接体験できる文化体験をすることを目指し、書道、折り紙、着物の着付けや、地元の民踊などをし、例年より多い約200人の学生を集めることができました。また、民踊では数名の学生にあらかじめダンスを覚えてもらい、当日大勢の学生を前に披露することができて、とても記憶に残りました。

お餅作り体験教室
 最後のカンバセーションテーブルに、お餅作り体験教室を開きました。材料を揃え、二種類のフレーバー(抹茶ときな粉)のお餅を楽しんでもらいました。伝統的な餅つき道具を使って体験してもらうのがベストですが、今回は手に入りやすい餅粉と水と砂糖でお餅作りをしてもらいました。残念ながら期末テストの時期と重なり、多くの学生は来られませんでしたが、来てくれた学生がお餅作りを楽しんでくれる姿や、おいしいと言って食べてくれる姿を見て、最後にお餅作りを企画できて良かったと感じました。

送別会
 2021年度の学期末に忘年会をやったように、私のFLTAプログラムが終わる機会に送別会を開きました。アトランタには、多くの和食レストランがありますが、牛角がダントツで人気でしたので、今回も牛角を利用させていただきました。この一年間多くの学生に出会い、たくさんのことを学び、自分自身を成長させることができたと実感した一年でした。大学を卒業したばかりで、大学で教えられるのかという不安もありましたが、学生がいたからこそ、先生という役目をしっかり果たすことができました。そして、常についてきてくれていた学生には感謝しきれません。この一年を通して、学生ととても仲良くなることができ、日本に帰った今でも連絡をとっています。

一年を通しての学び
 スペルマン大学にFLTAとして1年間派遣されて多くの学びがありました。私は以前大学で、国際的な社会問題(人種差別や、性差別など)を勉強してきました。そして、それらについて知識があると過信していました。しかし、スペルマン大学でクラスを取りながら、学生と関わっていく中で色々な問題を目の当たりにすることになりました。アトランタ警察によるスペルマン大学生への暴行事件や、学生が抱える貧困問題、また差別による学校爆破予告。本を通して勉強しているだけでは、見落としてしまうような現状。決して、安全とは言い切れない環境でも、生きていかなければならない、そして変化に疎い社会を目の当たりにし、自分に出来ることを常に考えさせられました。

4. 吉村観世子 University of Montana, Missoula, MT

中間レポート

派遣先大学、TAの仕事について
 私の派遣先は、モンタナ州ミズーラにあるモンタナ大学(University of Montana)です。
 日本語の授業(初級)を担当し、対面授業(コロナになった学生はZoomで参加)で、合計60人の学生を2クラスに分けて授業をしています。年齢層も幅広く、18歳から40歳までの学生がいます。初級クラスの学生は平日5日間毎日授業を受けます。そのうち月、水、金(週3日)9時からの授業と13時からの授業を1人で授業をします。つまり1週間で50分を6コマ担当します。火、木はアメリカ人の先生が授業をします。そのため初級の学生にとっては、1週間のうち3日私と顔を合わせる方が多いことになります。私は前職は教師ではありませんでしたので、最初にアメリカ人の先生の授業を2日間見て、3日目から1人で授業を担当することには最初は戸惑いましたが、全面的に任せてもらっていますので、授業の中で日本語以外にも日本の文化や習慣の話をして楽しみながら授業ができるようになりました。
 多くの学生は、熱心に授業に取り組んでいます。最初は質問を受けても、学生が何を疑問に思っているのかが分からず困ったこともありましたが、今は学生の協力もあり、学生の質問はわかるようになりました。モンタナ大学で特徴的なのは、宿題の多さだと思います。教科書の「げんき」のワークブックが毎日の宿題です。最初は、1日120枚から180枚ほどの宿題の丸付けを、授業のない日も含めて月曜日から金曜日まで任されていましたので、膨大な時間がかかりました。最初の数週間は、毎日夜遅くまで、宿題の丸付けや授業準備などに時間がかかり、自分の勉強時間が取れないことが多くあり悩んでいました。ある日、毎日顔色を悪くして夜遅く帰る私を心配して、ルームメートが理由を尋ねてくれました。状況を話すと、すぐにスーパーバイザーに伝えた方が良いと言われました。最初は、私自身が慣れていないため、自分のやり方に改善点があるものだと思い、試行錯誤して悩みながら過ごしていましたが、「伝えないと分からない」とルームメートに言われ、スーパーバイザーに相談したところ、すぐに負担を減らしてもらえ、自分の勉強時間や週末は余暇の時間までも作ることができました。学んだことは、ここでは基本的には、自立して物事を進めることが必要ですが、困ったことがあれば、抱え込まずに相談することが大切だということです。いつでも解決の糸口を一緒に見つけようとしてくれる優しいスーパーバイザーがいますので安心して過ごせると思います。また、仕事内容は、授業担当、宿題丸付けの他に、学生の対面相談、学生からの質問メールに対しての対応、欠席者への追試実施、成績管理、出欠管理、授業スケジュール作成、口頭試験予定作成、実施、など幅広く仕事をしますので、自分の気持ちとしては受け身の姿勢ではなく、途中からは自分がメインの先生という気持ちで自分から動いて物事を進め、分からないことがあればすぐにスーパーバイザーに相談することを意識することで多くのことがうまく進んでいます。

受講授業について
 秋学期での授業は、American JournalismとAmerican Military History を聴講生として参加しました。前者は160人くらいの講演形式の授業、後者は4人のクラスで授業内でディスカッションなどがあるクラスでした。4人のクラスでは、毎回、宿題が割り与えられ、本を読んで印象に残ったことを次回のクラスで共有し、授業最終日にはプレゼンテーションをする授業でした。読む量がとても多いので大変でしたが、おかげでリーディングの力が上がったと思います。また、プレゼンテーションでは、アメリカ人の友人の力もかりてPPTを作成し発表をしました。するとその発表と資料を教師にとても気に入ってもらえて、その資料を欲しいとまで言われ嬉しかったです。手伝ってくれた友人に感謝です。

ミズーラの生活
 ミズーラは雄大な自然、リスと鹿はほぼ毎日見かけて、広い空、優しい人たち、多くの犬がいますので、私が好きなものが詰まったとても素敵な街です。ルームメートにも恵まれ、土日は、大学裏の山にハイキングに行ったり、自転車でサイクリングに行ったり、イエローストーンや、グレイシャー国立公園などにも一緒に行きました。日曜日は、大学のフラダンスクラブに所属し、アメリカのハワイの文化にも触れています。ポットラック(食べ物持ち寄りパーティー)などもそのクラブで開催されますので、アメリカ文化をより体験することができています。そのほか、ここでしかできないことは、クリスマスの時期は、山にクリスマスツリーを切りに行き、シェアハウスに飾ったことも良い思い出です。また、大学内では多くのイベントが毎日開催されていますので、フットボール、バスケットボールなどのスポーツの試合を見に行ったり、音楽のコンサートを聞きに行ったり、授業以外でも様々な講演会があり、興味のあるものは積極的に参加しました。講演会で印象に残っていることは、アメリカの日系人が真珠湾攻撃後に、隔離されひどい生活を強いられた体験談は1番印象に残っています。そして、食事面では、大学の食事券はついていませんので、毎日自炊をしています。近くのスーパーまでは歩いて約15分で、お米や味噌汁など、ある程度の日本食も買えます。また、バスが無料で月曜日から土曜日まで利用できますので、1ヶ月に数回は安いスーパー、Walmartに行って食材の買い物も楽しんでいます。
 このような半分教師、半分学生という貴重な環境で、今の生活ができることに感謝しつつ、残りの期間も様々なことに挑戦し、担当学生が日本により深く興味を持ってくれるきっかけになれるよう、努力していこうと思います。



最終レポート

 約10か月が瞬く間に過ぎ去り、美しすぎる記憶になっています。

日本語の授業、学生とのかかわり
 前半と変わらず、初級のクラスを週3日、合計6コマを1人で教え、自分なりに責任を持って授業準備から成績付けまでをしました。学生数は全部で43人、2クラス担当です。コロナの影響で、ハイブリッド授業(対面とZoom)を行い、休んだ学生のために授業の録画もして後から送るということをしていました。授業の録画映像については、できる限り見直して、自分自身で反省点などを書き出し、次の授業に活かしていました。
 学生からは、授業外でも様々なことを頼まれました。例えば、日本語の志望理由書を添削してほしい、メールを日本語で送ってきて添削をしてほしい、中には、ジャーナリズム専攻の学生で、取材をさせてほしいという要望もありました。(ここに掲載している写真はその学生が取材中に撮影したものが多いです)私自身、限られた時間でできる限り学生の人生に好ましい影響が与えられることをしたいと考えていたため、多くのことにかかわることができ価値のある時間となりました。最後の日本語の授業では、「学生の皆さんへ」ということでクラス全員に、学生たちへの感謝と激励を書いた手紙を日本語と英語の翻訳を書いて印刷して学生1人1人に渡しました。すると、ある学生はもらった手紙を冷蔵庫に貼っておきますと言ってくれたり、別れを惜しんで涙を流したり、プレゼントを準備してくれ学生も何人かいました。私のために、そんなことをしてくれる人がいると思うと感極まり、素晴らしい学生に恵まれた幸せを感じ、本当に出会えて良かったと今も心から思います。何人かの学生は日本に留学すると話していましたので、今は再会できる日を楽しみにしているところです。

担当の日本語の授業の様子
日本語の最後の授業にて。日本文化紹介で浴衣着用。

授業外活動や友人関係
友人とイースターのお祝い
フラダンス発表会当日の写真

 大学では、私はフラダンスクラブに所属をしていました。ボランティアで老人ホームに行ってフラダンスを踊ったり、4月の「World Festa」というイベント期間のパフォーマンスに向けて自分たちで衣裳を縫って、練習をしたことはとても良い思い出です。何より、そのクラブではとても良い友人ができました。友人の家で、「イースター」を一緒にお祝いしたり、週末にハイキングに行ったり、スーパーへ買い物をしたりと多くの楽しい時間を過ごしました。クラブに所属をしていたからこそ友人ができ、アメリカの日常を生に知ることができ、世界が広がりました。また、アメリカでは「ムービーナイト」と言って、友人の家に集まって映画を一緒に見て過ごす余暇の過ごし方があります。近所に住んでいる友人の家へ行って、映画を見ながら、ポップコーンやピザ、アイスクリームを食べてゆっくりした時間を過ごしたことも新鮮な思い出です。
 唯一、友人のことに関して深く考えさせられたことがあります。それは、2月にロシアがウクライナに侵攻したことで戦争が始まったことです。身近にロシア人のルームメートがいましたが、侵攻した当日の彼女の落ち込み具合は大変でした。彼女の故郷や家族のことを考えると、日本にいるときには感じたことがない苦しく切ない気持ちになりました。世界では、紛れもなく戦争が起こっているのだと実感せざるを得ない出来事にもなりました。

聴講授業、英語力
 春学期からの授業はWritingとAmerican Historyを聴講しました。特にWritingのクラスでは、将来先生になりたい学生のプレゼンテーションを聞いたことや、授業内でディスカッションしたことは、英語力だけではなく考える力や発言する力が養えました。それから、分からないことがあれば、積極的に隣の学生に聞くようにも意識していました。将来先生になりたいという人たちなので、嫌な顔1つせず、分かりやすく教えてくれたため助かりました。その授業では最後の日に、食べ物を持ち寄って皆が話をしながら授業の振り返りをしましたが、この中では日本の教育や英語の教育について話す機会もあり有意義な時間でした。
 私の英語力に関しては、当初は、学生の質問を受けそれを理解して話すことが即座には出来ないというような状況でしたが、時間と学生の助け、英語力の向上とともに早い段階で解決されました。自分でももっと勉強する時間が欲しいと考え、1月からは大学内で週2回、英語個別レッスンをしてもらうようにアメリカ人の友人に頼みました。ライティングの添削、スピーキングの間違いを指摘してもらうなど、この友人の助けで勉強時間が確保できたことは、英語力アップに大きな役割を果たしました。自分から動けば、必ず助けてくれる環境があるのがモンタナ大学でした。

最後に
 振り返ると今では一瞬の出来事と思われます。しかし毎日がとても内容の濃い日々でした。モンタナ州、ミズーラでの多くの人との出会いがあり、雄大な自然に接し、長期休みに旅行したことも今では大きな知的財産となっています。旅行では授業「アメリカの歴史」で学んだ奴隷貿易やキング牧師の活動、数々の戦争、先住民の迫害の歴史などをその都市や博物館を訪れることでより深く考えさせられ学んだことが多くあります。
 私の夢の1つであった長期間の留学がこのようにして叶えられたことは、本当に恵まれています。この経験で学んだことを活かし、今後更に磨きをかけて、自国の歴史や文化とともに、幅広い国際的な視野を持った人間として次の世代に影響力を及ぼしながら歩んでいきたいと考えています。この素晴らしい経験をさせていただけたことに心から感謝申し上げます。